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雑学

歌舞伎の屋号には格付けやランクがあるの?屋号の由来や最上位について

「歌舞伎」には、屋号と呼ばれる固有の名前が与えられています。

屋号はその役者が所属する劇団や家系を表していて、格付けやランク付けがされているのです。

ではなぜ屋号には格付けやランクがあるのでしょうか?

それは役者の実力や経歴、家系の歴史などが関係しているからです。上位のランクの役者が、多くの経験と実績を積んできた証でもあります。

この記事では、歌舞伎の屋号とその格付けやランクについて詳しく解説しています。屋号の意味や由来、ランクの基準など、興味深い情報が盛りだくさんです。

ぜひこの記事を読んで、歌舞伎の屋号とランクについて理解を深め、興味を持った役者や舞台に出会ってみてください。

歌舞伎の屋号には格付けやランクがある

歌舞伎という分野には、格付けやランクが存在しています。

しかしながら、歌舞伎役者たちの家系図はとても複雑で、さかのぼっていくと家族同士が互いに親せき関係にあることが明らかになります。

これは家を存続するために他の家から養子を迎えたりして、つながりが生まれていることが1つの要因。

ただし各屋号の歴史が古く、その家が何代に渡って続いているか、どのくらいの観客を集めることができるかということが、格付けやランクの上位にいく要因になるとされています。

ここでは江戸時代から続く、歌舞伎界で最高の屋号として知られるものを含め、特に有名で格が高い屋号を紹介します。

歌舞伎のランク最上位の屋号は成田屋(なりたや)

「成田屋(なりたや)」は、歌舞伎界でも特別な家柄であり、1番格上とされています。テレビでもおなじみの人気役者、市川團十郎さんの屋号でもあります。

この屋号は現在でも最も格の高い家柄であり、現在につながる江戸歌舞伎の創始者である初代市川團十郎によって創設され、300年以上の歴史があります。

初代市川團十郎は、自ら芝居小屋を作り、客を集めて芸を披露するという、現在の歌舞伎のスタイルを確立しました。

彼の芸には、それまでに見たことのないような華やかさや力強さがあり、たちまち江戸中で評判になりました。

そのため成田屋は現在でも「江戸歌舞伎の代表」と称されています。

成田屋の代表的な名跡である「市川團十郎」は、歌舞伎界の大黒柱とされ、最も権威ある大名跡とされています。

また「十八番」という言葉がありますが、これは七代目市川團十郎が、成田屋のお家芸である「歌舞伎十八番」として選んだ演目が、語源とされています。

市川なのになぜ成田屋という屋号なの?

「市川」という名字を持つ歌舞伎一家が、なぜ「成田屋」という屋号を使用しているのか、疑問に思う方もいるかもしれません。

実は市川團十郎一家の祖先たちは成田不動尊を信仰していて、その信仰の対象として「成田屋」という屋号を名乗っていたのです。

また歌舞伎役者が使用する「名跡(みょうせき)」とは、いわゆる芸名のことであり、これは代々の家系で受け継がれているものです。

音羽屋(おとわや)

「音羽屋(おとわや)」という屋号は、江戸歌舞伎において成田屋と共に一翼を担っていた屋号です。

この屋号は、もともと京都にあった芝居小屋「都万太夫座(みやこまんだゆうざ)」で、観客案内や飲食のサービスなどを提供する仕事をしていました。

しかしあるとき、大坂での公演で成田屋の市川團十郎に認められ、江戸に住み着くことになったのです。

音羽屋の屋号の由来

初代の尾上菊五郎の父親「半平(はんぺい)」は、清水寺の近くで生まれました。

屋号の由来は、境内にある「音羽おとわの滝」にちなんで、「音羽屋半平(おとわやはんぺい)」と名乗っていたことから来ています。

そのため「音羽屋(おとわや)」という屋号が付けられたのです。

彼らの芸風は、粋でいなせな特徴を持っていて、「弁天小僧」などの世話物(現代劇)や、怪談物の舞踊劇が得意でした。

これらの舞台芸術は、江戸時代の人々に大きな人気を得ていました。

高麗屋(こうらいや)

初代の松本幸四郎がまだ若かった頃、役者になる前に江戸神田にある「高麗屋(こうらいや)」という商店で働いていたことがあり、「高麗屋」という屋号は、この商店に由来していると言われています。

高麗屋と成田屋には師弟関係があり、成田屋の跡継ぎがいなかったときに高麗屋から養子を迎えることがあったため、2つの家はかなり縁が深かった家柄とされています。

松本幸四郎は高麗屋の役者になることが決まっていましたが、もし成田屋に養子になることがあれば、大名跡である「市川團十郎」という名を受け継ぐこともできる可能性があったのです。

実際に七代目松本幸四郎の息子は、成田屋に養子として入り、結果的に十一代目市川團十郎になることができました。

歌舞伎界では、大名跡を受け継ぐことがとても重要であり、名家との関係も決定的な役割を果たすことがあると言われています。

中村屋(なかむらや)

中村屋はテレビの密着番組などで頻繁に放送されていて、家族の様子が紹介されることが多いです。

しかし「中村屋」という屋号は、実は十七代目中村勘三郎から名乗られるようになったものなのです。

江戸時代に三座(さんざ)と呼ばれた芝居小屋のうち、最も古い「中村座」が由来であり、もともとは「柏屋(かしわや)」という屋号でした。

座元である経営者は初代中村勘三郎を名乗っていましたが、明治時代には途絶えてしまったのです。

ところが昭和25年(1950年)になって、襲名する者が現れ、十七代目中村勘三郎となったことで、再び「中村屋」という屋号が復活したのです。

大和屋(やまとや)

坂東三津五郎初代が養子に入った初代坂東三八の実家は、「大和屋(やまとや)」という商売を営んでいたことから、その名を屋号として継承しています。

この家系は歌舞伎だけでなく「日本舞踊の名門」としても知られ、日本舞踊坂東流の家元として、日本舞踊が発展するためにもつとめています。

この家柄は日本の舞踊文化において重要な役割を果たしており、多方面から評価されている屋号なのです。

成駒屋(なりこまや)

四代目市川團十郎から「成駒柄(なりこまがら)」という美しい着物を贈られた際、その恩に感謝した四代目中村歌右衛門は、これまでの屋号であった「加賀屋」を改め、「成駒屋」と名乗ることを決めました。

この屋号の由来は、團十郎からの贈り物に込められた花鳥風月や美意識、さらには歌舞伎における上演場所「成駒場」の名前にもかけています。

また八代目中村芝翫(しかん)さんの奥様である、タレントの三田寛子さんとの間に生まれた3人の兄弟は「成駒屋3兄弟」と呼ばれ、現在は歌舞伎役者として活躍しています。

このように1つの着物から始まった「成駒屋」の名前が、一族の歴史とともに受け継がれているのです。

松嶋屋(まつしまや)

「松嶋屋」という一門は、15代にわたり「片岡仁左衛門」という大名跡を筆頭として、大阪の歌舞伎を代表する存在として、関西を中心に活躍しています。

屋号の由来については、残念ながら不詳です。なぜ「松嶋屋」と名付けられたのかは、今では誰もわからないのです。

松嶋屋の片岡愛之助の格付けやランクは?

またメディアで活躍している片岡愛之助さんについては、彼が二代目片岡秀太郎の養子であり、一般家庭出身であるため、「愛之助」という名前の格は低いです。

そのため明治座などで座頭をつとめているものの、歌舞伎座では大きな役に恵まれないことが多いようです。

現在の仁左衛門さんには、長男の片岡孝太郎や孫の片岡千之助がいますが、大名跡「片岡仁左衛門」を継ぐことは少し難しいとされています。

しかしながら、2010年に市川海老蔵さんが顔にけがを負った事件で、彼の代役として、たった3日間の稽古で『吉例顔見世興行きちれいかおみせこうぎょう』を見事に演じ切り、観客から大きな喝采を浴びました。

これが愛之助さんが一躍注目を浴びたきっかけとなり、その数年後にはドラマ『半沢直樹』でのヒール役を好演したことで大ブレークを果たし、仕事の幅が一気に広がっています。

歌舞伎役者の格付けやランクの決め方

歌舞伎の舞台においては、主役を演じるには身分が高い家柄の役者でなければならず、その他の役者は脇役をつとめるのが、古くからのしきたりとなっています。

つまり歌舞伎で演じる役を見れば、役者の身分差が明らかになるということです。

身分が高い家柄の役者は主役を演じるため、劇場の看板には、目立つ場所に名前が掲げられます。

それに対し身分が低い家柄の役者は、歌舞伎座では主役をつとめることはできませんが、地方公演などでは主役を演じる機会があります。

身分が高い家柄の役者は必ず主役になれるの?

ただし身分が高い家柄であっても、実力や役者としての貢献度がなければ主役を与えられることはありません。

近年では役者の身分だけでなく、役者本人の実力や貢献度をもとに、配役が決定される傾向があるようです。

つまり役者の家柄や歴史に基づく配役は考慮されつつも、実力や貢献度によって役割が決まるようになってきています。

兄弟でも屋号が違うこともある?

歌舞伎役者の家は、名跡を継ぐべき後継者がいない場合、他の歌舞伎役者の家から養子を迎えて跡を継がせることが多々あります。

そのため兄弟であっても異なる屋号を持つことがあり、親子であっても姓が異なる場合があります。

兄弟で屋号が違った例

たとえば松本白鸚(高麗屋)と中村吉右衛門(播磨屋)は実の兄弟でありながら、異なる屋号を持っていたのです。

これは吉右衛門家の跡継ぎがいなかったため、吉右衛門の娘が八代目の松本幸四郎に嫁いで、生まれた二人の男の子のうち、次男が吉右衛門家に養子として入ったためです。

松本幸四郎家と市川團十郎家は、歴史的に養子のやりとりをしていた関係があったため、息子の現在の松本幸四郎が、父親である松本白鸚の屋号である高麗屋を名乗る前は、市川染五郎を名乗っていました。

また坂東玉三郎は一般家庭の出身でしたが、大和屋の14代目守田勘弥の養子になることで、名門の名跡である坂東玉三郎を継ぐことができました。

このように歌舞伎界では名跡や家系が非常に重要視されるため、養子縁組がよく行われ、屋号や姓が異なる例が見られます。

歌舞伎の屋号とは?

歌舞伎役者が持つ屋号。これは役者の名前とともに、彼らには屋号が存在します。

たとえば市川團十郎さんの場合だと、彼の屋号は「成田屋(なりたや)」となります。この「〇〇屋」という命名法は、お店のように聞こえますよね。

でも実はそれは正しいのです。

実家が商売をしていた役者たちは、演劇での収入だけでは生計が立ちませんでした。こうした事情から、彼らはお店を開き「〇〇屋」という命名法を使って屋号を名乗りました。

これが歌舞伎の屋号の起源であると言われています。

歌舞伎の屋号の由来とは?

江戸時代には身分差別があったため、武士以外は苗字を持てませんでした。

そこで商人や農民は、家ごとに名乗れる呼び名を作り、それが「屋号」となったのです。

有名な屋号には「紀伊国屋」「越後屋」、「鍛冶屋」、「紺屋」、「油屋」などがあり、同様に歌舞伎役者も身分上の差別を受けていました。

初期には河原者と呼ばれ、社会的に最も差別された扱いを受けていましたが、人気が高まるにつれて幕府によって表通りに住めるようになりました。

しかし彼らは気が引けてすぐに表通りに住むことはできず、小さなお店を持ち「〇〇屋」と屋号を名乗ることで商人としての実態を作り、身分上「商人」と名乗って表通りに住めるようになったのです。

これが普及し、役者たちはお互いを「〇〇屋」と呼び合い、屋号は民衆の間でも知られるようになりました。

こうして歌舞伎役者にとって、屋号は大事な看板となったのです。

まとめ

歌舞伎とは、日本の伝統的な演劇です。歌舞伎役者たちが舞台で演じる役には、屋号という特別な名前があります。この屋号にはランクがあり、役者の地位や評価を表しています。

たとえば一流の役者は上位のランクに属し、多くの経験と実績を持っています。一方で新人の役者は下位のランクからスタートし、努力を重ねて上のランクを目指します。

屋号のランクは、役者の実力や家系の歴史によって決まります。ランクが高い役者は、素晴らしい演技力や豊富な舞台経験を持っていることを意味します。

屋号とランクを知ることで、役者たちの努力や熱意を理解し、舞台の素晴らしさを感じることができます。

歌舞伎は日本の伝統芸能であり、役者たちの情熱や技術が詰まっています。屋号とランクについて学ぶことで、歌舞伎の世界をより深く理解し、舞台の魅力に触れることができるのではないでしょうか。