「もうムリ…」。そうつぶやいたのは、家族が寝静まった深夜。
泣き止まない子どもにイライラして、夫の何気ない一言に涙が出て、そんな自分を責めて――気づいたら、心も体も限界ギリギリでした。
でも、そんな私にも転機がありました。
この記事では、私自身が実践して効果を感じた子育てストレスの発散方法を、体験談を交えてご紹介します。
同じように頑張っているあなたの心が、少しでも軽くなりますように。
目次
私が感じていた“子育てストレス”の正体

どこにも逃げ場がない感覚
子どもと1日中一緒にいる生活。
もちろん、可愛い。笑った顔を見ると幸せだし、成長の瞬間には感動だってあります。
でも、それとストレスは別なんですよね。
泣かれて、グズられて、思い通りにいかなくて。
「ちょっと待って」が通じない世界に、心が削られていきました。
何が辛いって、ずっと“誰かのため”に動き続けている感覚です。
ご飯を作って、食べさせて、片付けて、洗濯して、また泣かれて…という繰り返し。
自分のことは後回し、というより、そもそも「自分」がどこかに置き去りになっているような感覚でした。
「トイレに行く時間すらない」って、言葉の比喩じゃなくて本当のこと。
子どもが泣いているときに席を立つと、「ママ〜!!」とさらに泣かれて、結局戻ることになる。
私の場合、お昼ご飯をゆっくり食べられた記憶もあまりありません。
冷めたご飯を立ったまま流し込むように食べる日も、当たり前になっていました。
在宅勤務だった私は、仕事中も常に「泣かせちゃいけない」という緊張感を抱えていました。
Zoom会議の最中に泣き声が響き、「すみません…」と謝るたびに、
申し訳なさと、自分への苛立ちと、もうどうにもならない疲れとが入り混じって、
何度も涙が出そうになったのを覚えています。
「泣かないで」「あと5分だけ静かにして」
そう願いながら仕事をして、「なんでわかってくれないの」と思ってしまう自分に、自己嫌悪…。
そんなループに、毎日巻き込まれていました。
「母親なんだから我慢しなきゃ」と思い込んでいた
夫は協力的なほうでした。
「いつもありがとうね」「大変だね」と言ってくれるし、休みの日には子どもを見てくれたりもします。
でもそれでも、どこかで私は「私がやらなきゃ」「母親なんだから当然だよね」と思い込んでいました。
・掃除が行き届いていない
・栄養バランスが偏っている
・イライラして怒ってしまった
そんな自分を、「まだまだ頑張りが足りないんだ」と責めていました。
SNSで楽しそうな子育ての投稿を見ては、「私はどうしてうまくできないんだろう」と落ち込んだことも一度や二度ではありません。
今思えば、その“ちゃんとしなきゃ”というプレッシャーこそが、ストレスの根源だったのだと思います。
「私は大丈夫」と自分に言い聞かせて、限界を無視し続けていた。
体は重く、気持ちは沈んでいるのに、「まだ頑張れる」と思っていた。
本当は、誰かに「もう頑張らなくていいよ」と言ってほしかったのかもしれません。
私を救ってくれたストレス発散の工夫
小さな“逃げ場”をつくる
ある日、どうしても気持ちが限界に達して、「もう無理かも…」と感じた瞬間がありました。
そのとき、勇気を出して夫にこう言ってみたんです。
「10分だけ、ひとりにしてほしい」って。
夫は少し驚いた顔をしながらも、すぐに「いいよ」と言ってくれました。
私はそのままお風呂場へ。
お湯を張るわけでもなく、ただ床に座ってぼーっとしてみたんです。
何もしない。ただ深呼吸して、耳に入ってくる音を遮断して、静けさを感じてみる。
たった10分だったけれど、その時間がとても贅沢で、呼吸が少しだけ深くできるようになりました。
「なんとかなるかもしれない」って、ほんの少しだけ思えたんです。
それからというもの、意識的に“ひとりになれる時間”を探すようになりました。
たとえば、
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洗面所にイヤホンとお気に入りの音楽を置いておく
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洗濯物を干すふりをして、ベランダで空を眺める
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子どもが寝たあとの5分間、ホットコーヒーを静かに飲む
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お風呂上がりに、部屋を暗くしてストレッチしてみる
どれもたいしたことではないし、劇的に変わるわけじゃないけれど、
「自分を置いてきぼりにしない時間」があるだけで、気持ちは全然違いました。
母親である前に、自分自身。
その感覚を思い出すだけで、余裕が少し戻ってきた気がします。
他人と比べないSNS断ち
当時の私は、子どもが寝たあとの貴重な「自分時間」に、スマホを片手にSNSを眺めるのが日課でした。
インスタ、Twitter、YouTube…次々と流れてくる、キラキラした子育てライフ。
・手作りのお弁当
・おそろいのリンクコーデ
・DIYした子ども部屋の写真
・「今日は◯◯公園でピクニック♪」という投稿
最初は「素敵だな」と思って見ていたはずなのに、
気づけば心のどこかで比べてしまっていたんです。
「私はあんな風にできてない」
「こんなに余裕のある暮らし、うちは無理だ」
「同じ月齢なのに、こんなに違うの?」
そんな思いが、じわじわとストレスになっていたことに、ある日ハッと気づきました。
そこで、思い切ってSNSのアプリをすべてアンインストールしました。
不安もありました。「世の中から取り残されるんじゃないか」っていう、妙な焦りも。
でも、やってみて驚いたのは、比べる対象がいなくなるだけで、こんなにも心がラクになるんだということでした。
・我が家の“普通”が、ちゃんと愛おしく思える
・子どもの成長を、「うちの子らしさ」として見守れる
・夕飯がワンプレートごはんでも「まぁいっか」と思える
そんなふうに、他人の物差しじゃなくて、自分たちのペースを大事にできるようになったんです。
家族や周囲に頼る“ハードル”を下げた

「助けて」と言っていい
「迷惑じゃないかな」「私が頑張れば済むこと」
ずっとそう思って、何も言わずに抱え込んでいました。
助けを求めることは“甘え”のような気がして、「母親として失格なんじゃないか」とさえ思っていたんです。
でもある日、いつものように朝から子どもがグズって、仕事の締切も重なって、家の中は散らかりっぱなしで。
もう無理だ…と感じた瞬間、気づいたら涙が止まらなくなっていました。
夜、夫にぽつりと「疲れた。もう限界かもしれない」と言ったら、彼は驚いたように言いました。
「え、そんなにしんどかったの?もっと早く言ってよ」と。
そうか、“助けて”って、言わなきゃ伝わらないんだと気づかされました。
どれだけ表情に出していたつもりでも、ちゃんと口に出さなきゃ、相手は気づけないんですよね。
それからは、週末に「ママの休憩タイム」を1時間だけもらうようにお願いしました。
カフェでぼーっとしたり、本屋さんをふらっと歩くだけでも、気持ちがずいぶん軽くなりました。
実母にも、「子どもを少しだけ見ててくれる?」と頼めるようになりました。
最初は罪悪感がありましたが、母はむしろ喜んでくれて、「たまには頼ってよ」と笑ってくれました。
自分が思っているよりも、周りの人は頼られることを嫌がってはいないのかもしれません。
“頑張る”ことも大事だけど、“頼る”ことはもっと大切だと今は思います。
家事を減らしても、家はまわる
私の中で、ずっとストレスの一因になっていたのが「家事をちゃんとやらなきゃ」という思い込みでした。
朝昼晩のご飯に、洗濯、掃除、片付け…。どれも“やって当たり前”だと思っていて、
少しでも手を抜くと「私ってダメな母親かも」と感じていました。
でも実際、仕事と育児に追われている中で、それらすべてを完璧にこなすのは無理があります。
そこで思い切って、「家事の優先順位を見直してみよう」と決めたんです。
・買い物はネットスーパーに切り替え
・洗濯は毎日じゃなくて2日に1回
・掃除は週に1回、気になるところだけでOK
・食器は夜まとめて食洗機へ
・お風呂掃除は「今日はパス」でもいい日をつくる
そうやって“完璧”から一歩引いてみたら、不思議と家はちゃんと回っていきました。
多少ホコリがあっても、誰かに責められるわけでもないし、
「なんだ、こんなもんでいいんだ」と肩の力が抜けた感じがしました。
むしろ、無理してイライラしていた頃の私よりも、
今の方が家族にはやさしく接することができている気がします。
家事は“減らす”ことで、心の余白が生まれる。
これは私にとって、すごく大きな気づきでした。
自分だけの“楽しみ時間”を持つようにした
誰のためでもない、自分の時間
毎日、子どものこと、家族のこと、仕事のこと…。
頭の中はいつも「誰かのため」でいっぱいで、自分のことはつい後回し。
でも、そんな生活を続けていると、気づかないうちに心がどんどん擦り減っていきました。
ある夜、ふと気づいたんです。
「私、最近ちゃんと笑ってないかも」って。
それまでも「疲れた」とは思っていたけど、「楽しい」と思う時間がいつあったか思い出せないほどでした。
それから、自分だけの“楽しみ時間”を少しずつ作るように意識し始めました。
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子どもが寝たあとに録画しておいたドラマを観る
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ソファに座って、ほんの少しだけ高級なコーヒーをゆっくり味わう
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お風呂上がりに、お気に入りの香りのボディクリームを塗ってみる
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寝る前にスマホを手放して、好きなエッセイを1ページだけ読む
どれも特別なことではないけれど、「これは誰のためでもない、自分のための時間」だと思えるだけで、心がふっと軽くなりました。
今までは「母親なんだから」「時間がもったいない」と自分を縛っていたけれど、
「子育てしてるからこそ、私は甘やかしていい」と思えるようになったら、罪悪感もすーっと消えていったんです。
むしろ、「自分をいたわる時間がない方が、家族にとっても良くないのかもしれない」とすら思うようになりました。
ひとり時間の充実が、家庭にも好影響
ある日、思い切って夫に「1時間だけ、ひとりでランチに行きたい」と伝えました。
「たまにはいいじゃん!」と快く送り出してくれて、私は近くのカフェへ。
メニューをゆっくり選んで、美味しいパスタを食べて、食後にコーヒーを飲んで。
そんな何でもない時間だったのに、帰る頃には心がふわっと軽くなっていたんです。
帰宅すると、夫が「今日はご機嫌だね」と笑いました。
自分では気づいていなかったけど、やっぱり“私がご機嫌”だと、家の空気も柔らかくなるんだなと思いました。
子どもに対しても、「早くして!」「もう〜!」とイライラする場面が減って、
気持ちに少しだけ“待てる余裕”が生まれた気がします。
それはきっと、私の心が満たされていたから。
誰にとっても、余裕のない人のそばにいるのって、苦しいですもんね。
だからこそ、今ではこう思っています。
ひとり時間は、わがままでも贅沢でもない。家族を大切にするために、必要な時間なんだと。
“共感”してくれる仲間の存在

「わかるよ」がこんなに嬉しいなんて
子育てって、基本は“孤独”との闘いだと思います。
どんなに家族がいても、どんなに子どもが可愛くても、
その場その場の判断や不安は、自分ひとりで抱えることが多いんですよね。
私は長い間、「こんなにしんどいのは私だけかも」と思っていました。
でも、保育園の送り迎えでよく顔を合わせるママと、ある日たまたま立ち話をしたときのこと。
「最近、全然寝てくれなくて…」と何気なく漏らしたら、
「わかる!うちも昨日の夜ひどくて…」と返ってきて。
その瞬間、胸に張りつめていた何かが、ふっとゆるんだのを感じたんです。
「私だけじゃなかった」って思えたことが、すごく大きな救いでした。
それから、ママ友とのLINEグループや育児コミュニティに少しずつ関わるようになりました。
専門家のアドバイスももちろん参考になりますが、
同じ立場の“今この瞬間も奮闘してる人”の声って、安心感がぜんぜん違うんです。
「私も怒鳴っちゃった日あるよ」
「ご飯、レトルトの日だってあるある」
そんな一言一言が、どれだけ気持ちをラクにしてくれたか、数えきれません。
また、気を使わない昔からの友人に、夜中に「ちょっと聞いてほしいだけ」とだけLINEしたこともあります。
何か特別なアドバイスが返ってくるわけじゃなくても、
「うん、うん、頑張ってるね」と寄り添ってもらえるだけで、涙が出るほど心が軽くなったこともありました。
誰かと“気持ちを共有する”って、想像以上に効果的なんですよね。
「言葉にするのがしんどいな」と感じるときは、
誰かが書いた育児ブログやSNSの投稿を読んで共感するだけでも、心が少しラクになることがあります。
それくらい、“共感”には力があります。
支援サービスを使ってもいい
さらに私は、地域のファミリーサポートや一時保育といった行政や地域の支援サービスも利用するようになりました。
最初は「こんなことで預けていいのかな…」と正直ためらいもありました。
「まだそこまで切羽詰まってないし」と思って申し込まずにいたのですが、
あるとき勇気を出してファミサポの方に相談してみたら、
「疲れる前に頼ってね。元気なうちに使ってくれるのが一番いいのよ」と言ってくださって、心からホッとしました。
子どもを短時間だけ見てもらって、自分は歯医者に行ったり、カフェでぼーっとしたり。
ほんの少しのリフレッシュでも、その後の自分が全然違うことに気づきました。
「お金をかけてまで…」と迷う人もいるかもしれません。
でも、私はこう思うようになりました。
お金を払ってでも、心と体を守ることは価値のあること。
その時間で自分が整って、また明るく子どもに向き合えるなら、
それは家族にとってもプラスの投資なんです。
今では、「育児はひとりじゃできない」という言葉の意味が、
前よりずっとリアルに理解できるようになった気がします。
まとめ|“私を守る”ことが、家族を守ることにつながる
子育てって、本当に休みがなくて、正解も見えにくくて、
がんばってるのに「ちゃんとできてない」と思ってしまうこと、ありますよね。
でも、私が体験して感じたのは、「私が私を大事にしてあげること」がすべてのはじまりだということ。
無理して壊れてしまう前に、ちょっとだけ立ち止まって、心の声を聞いてみてください。
今日紹介した方法の中に、「これならできそう」と思えることがあったら、
ぜひ試してみてください。
あなたの笑顔が、きっと家族の笑顔にもつながります。