ひな祭りは写真だけでいい?|比べない選択をした家庭の本音とその後の気持ち

ひな祭りが近づくと、「ちゃんとやらなきゃいけないのかな」「写真だけで済ませるのは手抜きかな」と、どこか落ち着かない気持ちになることがあります。SNSを開けば、立派なお雛様や豪華な食卓の写真が並び、自分の家庭と比べてしまう人も多いかもしれません。
わが家も、悩んだ末にひな祭りは写真だけにしました。最初は少し迷いもありましたが、今振り返ると、その判断は間違いではなかったと感じています。この記事では、ひな祭りを写真だけにした家庭のリアルな判断と、その中で見えてきた「大切にしたかったこと」を、私自身の体験を交えてお伝えします。
ひな祭りを「写真だけ」にしようと考えたきっかけ
忙しさと余裕のなさに気づいた日
ひな祭りの準備を意識し始めた頃、正直なところ、心にも時間にも余裕がありませんでした。
平日は仕事と家事をこなすだけで一日が終わり、夜は子どもを寝かせたあとにようやく一息つく状態。休日も、掃除や買い出し、たまった用事を片付けているうちにあっという間に過ぎていきます。
そんな中で「お雛様を出して、料理も用意して、写真も撮って…」と一連の流れを思い浮かべたとき、楽しみよりも先に、ずしっとした重さを感じてしまいました。
本当は行事を大切にしたい気持ちがあるのに、「ちゃんとやらなきゃ」という思いがプレッシャーになり、気持ちが追い込まれていく感覚です。
そのときふと、「今の私は、この行事を楽しめる状態だろうか」と立ち止まりました。
行事そのものが負担になってしまっては、本末転倒なのではないか。そう気づいたことが、写真だけにしようと考え始めた最初のきっかけでした。
子どもの様子を見て感じたこと
もう一つ大きかったのが、子どもの様子でした。
娘はまだ小さく、きれいに並んだお雛様を「眺めて楽しむ」というより、「触りたい」「動かしたい」年齢です。飾っても、目を離せば倒してしまいそうで、親のほうが常に気を張ることになりそうだと感じました。
「これ、ちゃんと見て楽しめるかな?」
そんな疑問が浮かび、行事の形が今の子どもに合っているのか、考えるようになりました。
無理に形を整えても、親が注意ばかりしていたら、子どもにとっても楽しい時間にはならない気がしたのです。
それなら、今はシンプルに写真を撮って、「大きくなったね」「かわいいね」と声をかけながら過ごすほうが、娘にとっても、私たち親にとっても心地いいのではないか。
行事を完璧に再現することより、今の子どもに合った関わり方を選びたい。そう思えたことで、「写真だけ」という選択が、少しずつ現実的なものになっていきました。
写真だけでも「ひな祭りをした」と言える理由
記録として残るものの大切さ
写真を撮ると決めたことで、不思議と気持ちが切り替わりました。
「全部はできないけれど、この一瞬だけは大事にしよう」
そんな意識が自然と生まれたのです。
お気に入りの服を着せて、部屋の中を少しだけ整えて、スマホやカメラを構える。
その準備は、豪華な料理を作ったり、大きなお雛様を飾ったりすることとは違いますが、「この日を大切にしたい」という気持ちが形になった時間でした。
シャッターを切るたびに、「かわいいね」「大きくなったね」と声をかけ合う。
子どもはよく分かっていなくても、家族が笑顔で向き合っている空気は、ちゃんと伝わっている気がします。
写真は、その日の出来事を思い出すための「きっかけ」であり、行事の証でもあると感じました。
子どもにとっての記憶は形だけじゃない
後から写真を見返したとき、私が思い出すのは、並んだ料理や準備の大変さではありません。
思い浮かぶのは、そのとき交わした会話や、子どもの表情、家の中の穏やかな空気です。
「ちゃんとやったかどうか」を証明するものより、
「どんな気持ちで過ごしたか」が、記憶として残っている。
それに気づいたとき、写真だけのひな祭りでも十分だったと、心から思えました。
子どもにとっても、後々覚えているのは細かい段取りではなく、
「楽しかった」「大事にしてもらった」という感覚なのではないでしょうか。
行事の価値は、形の多さではなく、その時間に流れていた気持ちにある。
そう感じられたことで、写真だけのひな祭りは、わが家にとって立派な行事になりました。
「ちゃんとやらなきゃ」という気持ちとの向き合い方
周りと比べてしまう気持ち
ひな祭りの時期になると、SNSやママ友との会話で、自然と他の家庭の様子が目に入ってきます。
立派なお雛様、手の込んだ料理、きれいに整えられた写真。
それを見るたびに、「うちは簡単すぎるかな」「これでいいのかな」と、不安になる瞬間がありました。
でも、冷静に考えてみると、比べていたのはほんの一部分だけでした。
写真一枚、話の一場面だけを切り取って、「あの家はちゃんとしている」「うちは足りない」と判断してしまっていたのです。
その裏にある忙しさや、迷い、家庭ごとの事情までは、誰にも見えません。
比べて苦しくなるのは、自分が手を抜いているからではなく、見えないものまで想像してしまうから。
そう気づいたとき、少しだけ気持ちが楽になりました。
正解は家庭ごとに違うと気づく
ひな祭りの形に、決まった正解はありません。
毎年同じようにやらなければいけない決まりも、誰かに評価されるものでもない行事です。
「今の生活で、無理なくできるか」
「家族が穏やかに過ごせるか」
そんな視点で考えていいのだと、自分に言い聞かせました。
完璧を目指すより、今の家族に合った形を選ぶ。
それは、妥協でも逃げでもありません。
家庭ごとの状況をきちんと見て選んだ判断こそが、その家の正解なのだと思います。
周りと同じでなくてもいい。
去年と違ってもいい。
そう思えたとき、「ちゃんとやらなきゃ」という気持ちは、少しずつ「わが家らしくでいい」という気持ちに変わっていきました。
写真だけにしてよかったと感じた瞬間
当日を穏やかに過ごせたこと
写真だけにすると決めたことで、ひな祭り当日は驚くほど気持ちが軽くなっていました。
前日から準備に追われることもなく、当日も「これをやらなきゃ」「あれがまだ」と焦ることがありません。朝はいつも通り起きて、いつも通りごはんを食べて、子どものペースに合わせて一日が進んでいきました。
その中で、少しだけ時間を取って写真を撮る。
それだけなのに、行事としての区切りはちゃんと感じられました。
子どもは機嫌よく笑っていて、親の私たちも余裕のある表情で向き合えている。
家の中にピリピリした空気がなく、穏やかな気持ちで過ごせたことが、何よりの「成功」だったと感じています。
「特別なことをしなくても、いい一日だったと思える」
その感覚が残ったことは、写真だけにしたからこそ得られたものかもしれません。
後悔よりも納得感が残った
もちろん、「もっとちゃんとやればよかったかな」と思う瞬間が、まったくなかったわけではありません。
写真を見返したときや、他の家庭の話を聞いたときに、ふとそんな気持ちがよぎることもありました。
それでも、時間が経つにつれて強く残ったのは後悔ではなく、納得感でした。
あのときの自分は、今の生活や心の状態を見たうえで、無理のない選択をした。
その判断は、その時点の自分にとって最善だったと思えたのです。
行事は、後から評価されるものではありません。
その日をどう過ごし、どんな気持ちが残ったかがすべてだと思います。
無理をしなかった選択が、結果的に家族の空気を守ってくれた。
そう感じられたことで、写真だけにしたひな祭りは、わが家にとって十分意味のある一日になりました。
ひな祭りの形を決めるときに大切にしたい視点
今の家庭の状態を基準にする
ひな祭りの形を考えるとき、つい「一般的にはどうか」「ちゃんとしているか」が気になってしまいます。
でも本当に見るべきなのは、今の家庭の状態ではないでしょうか。
忙しさ、子どもの年齢、親の体力や気持ちの余裕。
それらは毎年少しずつ変わっていきます。去年できたことが今年も同じようにできるとは限りませんし、逆に今年は余裕がなくても、来年はまた違う形が選べるかもしれません。
行事は、続けることよりも、暮らしに無理なくなじむことが大切だと感じています。
その年その年の生活に合った形を選ぶことは、手を抜くことではなく、暮らしを整える選択です。
毎年同じでなくていい。そう思えるだけで、気持ちがぐっと楽になりました。
子どもとの関係が楽しく保てるか
もう一つ大切にしたいのが、その行事が子どもとの関係を苦しくしていないか、という視点です。
準備や段取りに追われて、親がイライラしてしまったり、「触らないで」「静かにして」と注意ばかりになってしまったりすると、行事の時間そのものが負担になってしまいます。
ひな祭りは、本来、子どもの成長を喜う日です。
その日に親が笑顔でいられなかったら、どこか本末転倒な気がしました。
親も子どもも、無理なく笑顔で過ごせる形こそが、その家庭に合ったひな祭りなのだと思います。
完璧な準備より、穏やかな時間。
そう考えるようになってから、行事に対する構え方が少しやさしくなりました。
写真だけのひな祭りでも、できる小さな工夫
写真を見返す時間を作る
写真を撮ったら、それで終わりにしないことも大切だと感じています。
その場で一緒に写真を見返したり、「このとき、こんな顔してたね」と話したりするだけで、ひな祭りの時間が少し長く続いているような感覚になります。
後日、スマホの写真フォルダを見返すだけでも十分ですが、時間に余裕があれば、簡単なアルバムにまとめてみるのもおすすめです。
一枚一枚を丁寧に選ばなくても、数枚並べるだけで、「この年のひな祭りはこうだったね」と振り返れる記録になります。
行事の余韻は、当日だけでなく、後から思い出す時間の中でも育っていく。
写真を見返すひとときが、ひな祭りを「写真だけ」で終わらせない工夫になると感じました。
一言の声かけを添える
写真に残るのは姿だけですが、そこに言葉を添えることで、思い出の深さはぐっと増します。
「大きくなったね」「去年よりしっかりしてるね」
そんな何気ない一言をかけるだけで、写真はただの記録ではなく、そのときの気持ちごと残るものになります。
子どもは言葉の意味をすべて理解していなくても、やさしい声や雰囲気はちゃんと感じ取っています。
その積み重ねが、「大切にされてきた」という安心感につながっていくのではないでしょうか。
写真+言葉がそろったとき、ひな祭りは形以上の思い出になる。
特別な演出をしなくても、声をかけ合う時間そのものが、行事の代わりになってくれると感じています。
まとめ|ひな祭りは「写真だけ」でも家庭の選択として正解になる
ひな祭りを写真だけにしたわが家の判断は、時間が経った今でも、間違いではなかったと感じています。
立派なお雛様や特別な料理がなくても、その日を意識し、子どもと向き合う時間を持てたことは、十分「ひな祭りをした」と言える一日でした。
行事の形は、家庭ごとに違っていいし、毎年同じである必要もありません。
忙しさや子どもの成長、親の余裕によって、最適な形は自然と変わっていきます。
大切なのは、行事を「どう見せるか」ではなく、「どんな気持ちで過ごしたか」なのだと思います。
もし今、「写真だけでいいのかな」「これで後悔しないかな」と迷っているなら、一度立ち止まって考えてみてください。
今のわが家にとって、無理のない形はどれか。
親も子どもも、穏やかな気持ちで過ごせるか。
その問いに向き合っている時間そのものが、もう十分、子どもを大切にしている証です。
完璧を目指さなくても、比べなくても大丈夫。
あなたの家庭に合ったひな祭りの形を選ぶことは、立派な親の判断です。
どうか自信を持って、わが家なりのひな祭りを選んでください。
その選択は、きっとあとから振り返ったとき、やさしい思い出として残っていくはずです。














