こどもの日が近づくと、ふと立ち止まってしまうことがあります。
鯉のぼり、兜、料理、写真撮影。「ちゃんとやらなきゃ」という気持ちはあるのに、正直しんどい。去年と同じようにできない自分に、少しだけ後ろめたさを感じることもありました。
わが家も、そんな気持ちをきっかけに、こどもの日の行事を少しずつ減らしていきました。全部やめたわけではありません。ただ、「今の暮らしに合わないこと」を手放しただけです。
この記事では、こどもの日の行事を減らしたわが家の考え方や、その後の気持ちの変化について、私自身の体験を交えながらお話しします。もし今、同じように悩んでいるなら、「こういう選択もあるんだ」と、少し肩の力が抜けるきっかけになればうれしいです。

こどもの日の行事を「減らそう」と思ったきっかけ

毎年同じ準備が、少しずつ負担になっていった

こどもの日が近づくと、自然と頭の中に「やることリスト」が浮かんでいました。
兜を押し入れから出して、埃を払って飾る。料理の献立を考えて、買い物に行って、当日は片付けまで含めて一日仕事。

子どもが小さい頃は、それでも楽しかったんです。
「今年も大きくなったね」「去年より喜んでるね」と、成長を感じられる時間でもありました。

でも、仕事や家事、日々の予定に追われるようになると、その準備がだんだん重く感じるようになりました。
行事そのものが嫌になったわけではありません。ただ、「こどもの日=やることが増える日」になってしまっていたんです。

気づけば、「楽しみ」よりも「ちゃんと終わらせなきゃ」という気持ちが先に立つようになっていました。

「ちゃんとやらなきゃ」が自分を追い込んでいた

本当は疲れている日でも、
「みんなやっているから」
「やらないと、かわいそうだから」
そんな言葉を自分に向けて、無理やり動いていた気がします。

周りと比べているつもりはなくても、SNSや保育園の話題を通して、「ちゃんとしている家庭像」が自然と頭に浮かんでしまう。
その理想に近づこうとするほど、気持ちはどんどん苦しくなっていきました。

ある年、兜を飾りながら、ふと手が止まったんです。
「これって、誰のためにやっているんだろう」と。

子どものため、家族のため。
そう答えたいはずなのに、正直な気持ちは少し違っていました。
「やらなかったら後ろめたいから」
「ちゃんとしていない親だと思われたくないから」
そんな気持ちが混ざっていたことに気づいてしまったんです。

その瞬間、「全部を今まで通り続けなくてもいいのかもしれない」と、初めて思えました。
行事をやめるかどうかではなく、行事との向き合い方を見直すタイミングだったのだと思います。

「減らす」という選択は、そのときの私にとって、逃げではなく、暮らしを守るための一歩でした。

行事を減らすことへの迷いと葛藤

手を抜いているように感じてしまう罪悪感

行事を減らすと決めたあと、いちばん最初に出てきたのは「ほっとした気持ち」よりも、罪悪感でした。
「こどもの日なのに、これだけでいいのかな」
「あとから後悔しないかな」
そんな考えが、何度も頭をよぎりました。

特に心が揺れたのは、SNSを見たときです。
立派な兜、手作りの料理、きれいに並んだ写真。
それらを見るたびに、「うちは手を抜いているのかもしれない」と、無意識に比べてしまっていました。

でも、よく考えてみると、その罪悪感の正体は「子どもの気持ち」ではなく、「ちゃんとしていないと思われたくない自分の気持ち」だったんです。
子どもが不満そうにしているわけでも、悲しそうなわけでもないのに、大人の都合で自分を責めていたことに、少しずつ気づくようになりました。

行事を減らす=愛情を減らす、ではありません。
そう頭では分かっていても、気持ちが追いつくまでには、少し時間が必要でした。

家族や周囲の目が気になっていた本音

もう一つ大きかったのが、周囲の目でした。
「今年は何もしないの?」
もしそう聞かれたら、どう答えよう。理由を説明しなきゃいけないのかな。
そんなことを考えて、必要以上に身構えていました。

特に、家族や親世代の反応は気になっていたと思います。
行事を大切にしてきた人たちに、どう思われるだろう。
「手抜き」「かわいそう」そんな言葉を勝手に想像して、不安を膨らませていました。

でも、実際にその時期を迎えてみると、拍子抜けするほど何も起こりませんでした。
聞かれたとしても、「今年はシンプルにしたよ」と伝えるだけで、それ以上踏み込まれることはほとんどなかったんです。

振り返ってみると、一番厳しかったのは周囲ではなく、自分自身の中にあった「こうあるべき」という思い込みだったのだと思います。
誰かに責められる前に、自分で自分を追い込んでいた。
そのことに気づけただけでも、行事との向き合い方が少し変わりました。

迷いや葛藤があったからこそ、「減らす」という選択は軽いものではありませんでした。
でも、その揺れを経験したからこそ、今はこの選択に納得できています。

わが家が実際に減らしたこどもの日の行事

飾りは「出せるものだけ」にした

以前のわが家では、こどもの日が近づくと兜も鯉のぼりもすべて出すのが当たり前でした。
押し入れから箱を出して、場所を確保して、ほこりを払って飾る。終わったあとは、また片付けることまで含めてひと仕事です。

でも今は、その年に余裕のあるものだけを出すようにしています。
「今年は兜だけ」「今年は小さな鯉のぼりだけ」そんな年があっても構わないと決めました。

最初は、「全部出さなくていいのかな」と少し迷いもありましたが、
「今年はこれでいい」と自分の中で線を引くだけで、気持ちが驚くほど楽になったのを覚えています。

子どもも、「去年と違うね」と言うことはあっても、不満そうにすることはありませんでした。
行事の記憶は、飾りの数ではなく、家の中の雰囲気や会話のほうが残るのだと感じています。

料理は特別感より「普段+少し」にした

以前は、こどもの日といえば「特別なごちそう」を用意しなきゃ、という思い込みがありました。
メニューを考えて、買い物をして、当日はキッチンに立ちっぱなし。
正直、食べる頃には少し疲れてしまっていたこともあります。

今は、いつもの食事をベースに、ほんの少しだけこどもの日らしさを足す程度にしています。
たとえば、好きなおかずを一品多めにする、盛り付けを少し変える、それくらいです。

それでも子どもは、「今日はこどもの日だね」とちゃんと分かってくれます。
豪華さよりも、「今日は特別だよ」と伝わる空気のほうが大事なのだと気づきました。

無理をしない分、食卓での会話も穏やかになり、「ちゃんとやらなきゃ」という緊張感がなくなりました。

写真や記録にこだわらなくなった

以前は、「行事なんだから残さなきゃ」と、写真を撮ることにも力が入っていました。
きれいに撮れているか、あとから見返せるか。
気づけば、カメラ越しに過ごす時間が増えていたように思います。

今は、無理に写真を撮らなくなりました。
撮れたらそれでいいし、撮れなくても気にしない。
その代わり、目の前の子どもの表情や声に、しっかり目を向けるようになりました。

写真がなくても、その日の空気や会話は、ちゃんと自分の中に残っています。
記録よりも、記憶に残る時間を大切にしたいと思えるようになったのは、行事を減らしたからこその変化でした。

こうして振り返ると、減らしたのは「行事」そのものというより、「無理を生んでいた部分」だったのだと思います。
全部をやめなくても、形を少し変えるだけで、こどもの日はずっとやさしい時間になりました。

行事を減らして感じた心の変化

気持ちに余裕が生まれた

行事を減らして一番大きく変わったのは、私自身の気持ちでした。
以前は、こどもの日が近づくと「まだ準備できていない」「間に合うかな」と、どこか落ち着かない気持ちで過ごしていました。

でも、やることを減らしたことで、「全部やらなくていい」と思えるようになりました。
その瞬間から、気持ちがふっと軽くなったのを覚えています。

「ちゃんとやらなきゃ」から解放されるだけで、こどもの日そのものを穏やかな気持ちで迎えられるようになったんです。
当日も、時間に追われることなく、家の中の空気がどこか柔らかくなりました。

行事を完璧にこなせたかどうかではなく、
「今日は落ち着いて過ごせたな」と思えることが、こんなにも心に余裕をくれるのだと実感しています。

子どもとの時間が濃くなった

準備や段取りに追われなくなった分、自然と子どもと向き合う時間が増えました。
一緒に遊んだり、何気ない会話をしたり、ただ隣で過ごしたり。
以前なら見過ごしていたような時間が、ちゃんと手元に残る感覚がありました。

行事を減らす前は、「こどもの日らしいことをしなきゃ」と、どこか外向きの意識が強かった気がします。
でも今は、「今日、子どもはどんな顔をしているかな」「何を話したがっているかな」と、目の前に意識が向くようになりました。

その中で気づいたのは、「何をしたか」より、「どんな気持ちで一緒に過ごしたか」のほうが、子どもにとっても、私にとっても大切だったということです。

特別なことをしなくても、ゆっくり笑い合えた時間は、ちゃんと心に残っています。
行事を減らしたことで、こどもの日は「こなす日」から、「味わう日」に変わったのかもしれません。

こどもの日は「家庭ごとに形が違っていい」

行事の正解は一つじゃない

こどもの日の過ごし方に、これが正解、という形はありません。
立派な飾りをそろえて、料理も行事通りに準備する家庭もあれば、最低限のことだけで静かに過ごす家庭もあります。

どちらが良い・悪いではなく、大切なのは、「今の家庭に合っているかどうか」だと、私は感じています。
家族の人数、子どもの年齢、仕事の忙しさ、その年の体調や気持ち。
条件は家庭ごとにまったく違うのに、同じ形を目指そうとするほうが、無理があるのかもしれません。

以前の私は、「こどもの日だから、こうするべき」というイメージに、知らないうちに縛られていました。
でも、行事を少しずつ見直してみて、「わが家にはこの形がちょうどいい」と思えるようになったことで、気持ちがずいぶん楽になりました。

減らすことは愛情が減ることではない

行事を減らすと、「ちゃんとできていない」「愛情が足りない」と思われるのでは、と不安になることもあります。
でも、実際に減らしてみて感じたのは、愛情は行事の量では測れない、ということでした。

むしろ、無理をしない選択をしたことで、心に余裕が生まれ、子どもに向けるまなざしがやさしくなった気がします。
忙しさや焦りが減るだけで、子どもの話をきちんと聞ける時間が増えました。

行事を減らしたからこそ、「ちゃんと向き合えている」と感じられる瞬間が増えたのだと思います。
形を整えることよりも、気持ちを向けること。
それが、わが家にとってのこどもの日の大切な意味になりました。

行事は、家庭を評価するためのものではありません。
家族が無理なく、穏やかに過ごすためのきっかけであっていい。
そう思えるようになったことで、こどもの日は、少しやさしい行事になりました。

行事を減らすか迷っている人へ伝えたいこと

「減らしてもいいかな」と思った時点で十分

もし今、
「少し減らしたほうが楽かも」
「今年は全部やらなくてもいいかな」
そんな気持ちがよぎっているなら、その感覚は大切にしていいと思います。

それは、行事を軽く見ているからではありません。
むしろ、暮らしのペースや家族の状態をちゃんと見ているからこそ出てきた感覚です。

私自身も、「減らしたい」と思いながら、しばらくその気持ちを打ち消していました。
でも今振り返ると、その時点でもう十分、家族のことを考えていたのだと思います。

行事は「頑張れるかどうか」で決めるものではなく、「今の自分たちに合っているか」で選んでいい。
そう考えられるようになってから、気持ちがずいぶん楽になりました。

小さく減らすところからでいい

行事を減らすと聞くと、「大きく変えなきゃいけない」と感じるかもしれません。
でも、全部を変える必要はありません。

たとえば、
・今年は飾りを一つだけにする
・料理はいつもより少し簡単にする
・写真は無理に撮らない
そんな小さな調整でも、心の負担はかなり軽くなります。

私も、最初は「少しだけ減らす」ところから始めました。
すると、「これでも大丈夫だった」という安心感が積み重なっていきました。

一度に完璧な答えを出さなくても大丈夫です。
今年やってみて、また来年考えればいい。
行事は、毎年見直していいものだと思います。

もし今、迷っているなら、まずは一つだけ手放してみてください。
その一歩が、こどもの日をもっと穏やかな時間に変えてくれるかもしれません。

まとめ|こどもの日は「減らす」選択も大切にしていい

こどもの日の行事を減らすことは、決して手抜きでも、後ろ向きな選択でもありません。
それは、今の暮らしのペースや、自分自身の余裕にきちんと目を向けた結果の、ひとつの前向きな判断です。

行事は、本来「頑張り続けるかどうか」を試されるものではなく、家族が同じ時間を共有するためのきっかけであってほしいものだと思います。
それなのに、準備や段取りに追われて心がすり減ってしまうと、本末転倒になってしまいます。

もし今、こどもの日の準備がしんどいと感じているなら、それはあなたが怠けているからではありません。
今の暮らしに合わない形を、無理に続けようとしているサインかもしれません。

一度立ち止まって、
「今のわが家にとって、ちょうどいい形はどれかな」
そう静かに問いかけてみてください。

全部やらなくてもいい。
去年と同じでなくてもいい。
減らしたって、形が変わったって、こどもの日はちゃんと意味を持ちます。

行事は、家庭を苦しめるものではなく、支えるものであってほしい。
あなたの家庭なりのこどもの日の形を選ぶこと自体が、もう十分、子どもを大切にしている証です。

どうか、自分たちに合ったペースを信じてください。
その選択が、来年以降のこどもの日を、もっとやさしい時間にしてくれるはずです。