初節句で義両親との温度差に悩んだ話|無理をしない家庭の選び方

初節句の時期が近づいたころ、私は思いがけず義両親との温度差に悩むことになりました。
「そんなに大きくやらなくてもいいかな」と思う私たち夫婦に対して、「一生に一度だから」「ちゃんとしないと後悔するよ」と言う義両親。悪気がないのは分かっているのに、会話を重ねるほど気持ちが疲れていく自分がいました。
この記事では、初節句に対する義両親との温度差に戸惑った私自身の体験を通して、どう向き合い、どう折り合いをつけたのかをお話しします。もし今、同じように悩んでいるなら、「こう考えてよかったんだ」と少し気持ちが軽くなるきっかけになればうれしいです。
初節句に対する私たち夫婦の温度感
私たちが思い描いていた初節句の形
初節句と聞いて、私の中にまず浮かんだのは「家族で静かに、無理なく過ごせたら十分」という気持ちでした。
豪華な飾りや立派な料理が悪いわけではありません。ただ、当時の私は育児で手一杯で、毎日の生活を回すだけでも精一杯だったのです。
赤ちゃんはまだ生活リズムも安定しておらず、少し環境が変わるだけでぐずってしまう時期。
だからこそ、初節句の日くらいは「イベントを成功させる日」ではなく、「赤ちゃんの様子を見ながら穏やかに過ごす日」にしたいと思っていました。
写真についても同じでした。
スタジオで完璧な一枚を残すより、その日の空気や家族の雰囲気が伝わる、ささやかな記念写真が一枚あれば十分。
あとから見返したとき、「大変だったけど、ちゃんと一緒に過ごした日だったな」と思えれば、それでいい。そんな感覚だったと思います。
夫との話し合いで確認していたこと
初節句が近づくにつれて、夫とも何度か話し合いました。
「そんなに派手にしなくていいよね」「無理して疲れるのは避けたいよね」
自然と、似たような言葉が並びました。
お互いに共通していたのは、「ちゃんとやらなきゃ」というプレッシャーよりも、「今の自分たちに合っているかどうか」を大事にしたいという考えでした。
仕事や育児で余裕がない中、行事の準備が負担になってしまったら、本末転倒だと感じていたのです。
私たち夫婦の中では、初節句は「誰かに見せるための行事」ではなく、子どもと家族が安心して過ごせることを一番に考える時間という位置づけでした。
その認識を事前に共有できていたことは、あとから振り返ると、とても大きかったと思います。
「全部きちんとやらなくてもいい」
そう夫と確認し合えたことで、少なくとも私たち夫婦の間では、初節句に対する軸がしっかり定まっていました。
義両親の反応に感じた温度差
「一生に一度」という言葉の重さ
義両親に初節句の話をしたとき、思っていた以上に強い言葉が返ってきました。
「ちゃんとやらないとだめよ」
「一生に一度なんだから、後悔するよ」
その場ではうなずきながら聞いていましたが、心の中では少しずつ違和感が積み重なっていきました。
責められているわけではない。怒られているわけでもない。
それでも、「その考え方は甘い」と言われているような気がして、胸がざわざわしてしまったのです。
「一生に一度」という言葉は、とても重く響きました。
その言葉を聞くたびに、「ちゃんとできなかったら取り返しがつかないのかな」「私の判断は間違っているのかな」と、不安が膨らんでいきました。
本当は、まだ何も決めていない段階だったのに、選択肢が一気に狭められたような感覚がありました。
善意だと分かっているからこそつらい
義両親が、孫のことを思って言ってくれているのは分かっていました。
自分たちが大切にしてきた行事だからこそ、「ちゃんとやってあげてほしい」という気持ちがあるのだと思います。
だからこそ、はっきり否定することもできませんでした。
「そんなに大きくやらなくてもいいと思っていて…」と伝えようとしても、
「でも、あとで後悔するわよ」
「今しかできないんだから」
そんな言葉が返ってくるたびに、会話の流れを止められなくなっていきました。
言葉には出さなくても、「簡単に考えすぎているのでは」「親としてどうなのか」という空気を感じてしまい、話が終わったあとにどっと疲れてしまったのを覚えています。
善意だからこそ反論しづらく、自分の気持ちだけが置き去りになる感覚が、とてもつらかったです。
その場では何も決着がついたわけではないのに、心の中だけが重たくなっていく。
そんな温度差を、初節句の話題を通して初めて強く感じた瞬間でした。
温度差に気づいてから、心がしんどくなった理由
自分の考えを否定されたように感じた
義両親との会話を重ねるうちに、ふとした瞬間に「私の考えは間違っているのかな」と思ってしまいました。
「そこまでやらなくてもいい」
ただそれだけの考えだったはずなのに、周りの言葉を聞くうちに、少しずつ自信が揺らいでいったのです。
誰かにはっきり否定されたわけではありません。
でも、「一生に一度」「後悔する」という言葉を重ねて聞くうちに、“ちゃんとしない親”“行事を軽く考える親”と言われているような気持ちになってしまいました。
頭では分かっていても、心はなかなか切り離せませんでした。
「赤ちゃんの体調を優先したい」
「今の生活に無理のない形にしたい」
そう思う気持ちは、親として自然なもののはずなのに、それを堂々と言えなくなっていく自分がいました。
正解が分からなくなっていった
義両親の考えも、間違っているとは思えませんでした。
これまでの経験から、「ちゃんとやること」に意味を感じてきたからこその言葉だと思います。
一方で、私たち夫婦の考えも間違っていないはずです。
今の暮らし、今の体力、今の子どもの様子を見て出した結論でした。
それでも、どちらかを選べば、どちらかが少し傷つくような気がして、気持ちは堂々巡りになっていきました。
「義両親の希望に合わせなければ、冷たいと思われるかな」
「自分たちの考えを通したら、わがままだと思われるかな」
そんな不安ばかりが浮かび、何が正解なのか分からなくなっていったのです。
初節句そのものよりも、「どう振る舞うべきか」「どう思われるか」を考える時間が増えていき、心がどんどん疲れていきました。
温度差に気づいたことで、行事の準備以上に、気持ちの整理が必要になっていたのだと思います。
義両親の価値観を整理して考えてみた
義両親世代にとっての初節句
少し時間がたってから、感情を切り離して考えてみると、義両親の言葉の背景が少し見えてきました。
義両親にとって初節句は、単なる「お祝い」ではなく、「家としてきちんと行う大切な節目」だったのだと思います。
親戚を招き、立派な飾りを用意し、記念写真を撮る。
それは「見栄」や「形式」ではなく、「子どもの成長を家族や周囲と分かち合う当たり前の行事」だったのでしょう。
そうした経験を重ねてきた世代だからこそ、「簡単に済ませる」という発想自体が、あまりなじみのないものだったのかもしれません。
義両親の中では、初節句をしっかり行うことが「親としての責任」や「家族としての役割」と結びついていたように感じます。
だからこそ「ちゃんとやったほうがいい」という言葉が自然に出てきたのだと気づきました。
今の家庭との違いは「時代」でもある
一方で、私たちが置かれている環境は、義両親の時代とは大きく違います。
共働きが当たり前になり、核家族が増え、行事の形も家庭ごとに多様になりました。
情報もあふれていて、「こうしなきゃいけない」という正解が一つではなくなっています。
だからこそ私たちは、「今の生活に合っているか」「無理がないか」を基準に行事を考えるようになったのだと思います。
この違いは、どちらが正しい・間違いという話ではありません。
育ってきた時代や環境が違えば、大切にするポイントが違うのは自然なことです。
価値観のズレではなく、「時代の違い」として捉えられたことで、少しだけ気持ちが楽になりました。
義両親の考えを理解しようとしたことで、「分かってもらえない」という思いが、「考え方が違うだけ」という認識に変わっていった気がします。
それだけでも、心の重さは少し和らぎました。
私たちが選んだ、折り合いのつけ方
すべてを合わせようとしなかった
たくさん悩んだ末、私たちが出した結論は、「義両親の希望にすべて応えること」でも、「自分たちの考えを押し通すこと」でもありませんでした。
最終的に選んだのは、そのどちらか一方に振り切らない、少し曖昧で、でも現実的な折り合いのつけ方です。
正直なところ、最初は「全部合わせたほうが波風が立たないのでは」とも思いました。
でも、それを想像したとき、準備や当日の負担だけでなく、「本当は無理をしている」という気持ちが残るような気がしたのです。
かといって、「私たちはこうします」と完全に線を引く勇気もありませんでした。
そこで私たちは、“全部やらないけれど、全部断らない”という選択をすることにしました。
小さな妥協と、自分たちの軸
具体的には、義両親が大切にしている「形」の一部だけを取り入れることにしました。
たとえば、
・飾りは本格的なものではなく、簡単なものを用意する
・写真はスタジオではなく、自宅で家族だけで撮る
・食事は外食や会食ではなく、無理のない自宅で
どれも、義両親の価値観を完全に否定せず、かといって自分たちを追い込みすぎないための工夫でした。
「できることだけやる」
そう決めたことで、気持ちは驚くほど軽くなりました。
完璧を目指さなくていい。誰かの理想に近づこうとしすぎなくていい。
自分たちの家庭の軸を守りながら、少しだけ歩み寄る。そのバランスが、私たちにはちょうどよかったのだと思います。
初節句を通して、「行事は100点を目指さなくていい」という感覚を持てたことは、これからの家庭行事にもつながる大きな学びになりました。
初節句を終えて、今振り返って思うこと
完璧じゃなくても、ちゃんと記憶に残った
初節句を終えた直後は、「これでよかったのかな」と、少しだけ心に引っかかるものがありました。
義両親が思い描いていた理想の形とは、きっと違っていたと思います。もっと立派に、もっとにぎやかに、というイメージがあったはずです。
それでも時間がたって振り返ってみると、思い出されるのは、赤ちゃんの穏やかな表情や、家の中に流れていた落ち着いた空気でした。
大きな飾りや豪華な料理がなくても、家族で同じ時間を過ごしたことは、しっかりと記憶に残っています。
写真を見返すと、決して完璧ではありません。
でも、ぎこちない笑顔や、抱っこされたまま眠ってしまった姿に、当時の空気がよみがえります。
「ちゃんと祝ったかどうか」より、「どんな気持ちで過ごしたか」が、思い出として残るのだと感じました。
後悔より「わが家らしさ」が残った
もし、義両親の希望をすべて叶える形を選んでいたら、どう感じていただろうと考えることがあります。
きっと、形としては立派でも、心のどこかに「無理をしたな」という疲れが残っていた気がします。
今残っているのは、「もっとやればよかった」という後悔よりも、「無理をしなくてよかった」という安堵の気持ちです。
あのとき、自分たちの家庭の状況や気持ちを優先したことは、間違いではなかったと、今ははっきり言えます。
初節句は一日で終わる行事ですが、その考え方は、その後の行事や日常にも影響します。
わが家に合った形を選ぶことは、わがままではなく、家族を大切にする一つの方法なのだと、この経験を通して実感しました。
完璧じゃなくてもいい。
静かでも、簡単でも、その家庭らしい初節句は、ちゃんと心に残ります。
まとめ|初節句の温度差に悩んだら、立ち止まって考えていい
初節句に対する義両親との温度差は、決して珍しいことではありません。
むしろ、家族の節目だからこそ、気持ちがぶつかりやすい場面なのだと思います。義両親は孫を思って言ってくれている。こちらも、子どものために最善を考えている。どちらも大切にしたいからこそ、悩みが深くなってしまうのですよね。
もし今、
「ちゃんとやらなきゃいけないのかな」
「簡単に済ませるのはよくないのかな」
そんなふうに迷っているなら、一度、呼吸を整えるように立ち止まってみてください。
温度差のある会話の中にいると、「正解」を急いで見つけたくなります。
でも、本当は急いで結論を出す必要はありません。まず整理したいのは、初節句という行事の“目的”です。
その初節句は、誰のための行事でしょうか。
義両親のためでも、世間体のためでもなく、主役は子どもと、あなたの家庭です。
そして、子どもにとって大切なのは、飾りの豪華さよりも、親が無理をしすぎず、安心できる空気の中で過ごせることだと私は感じています。
だからこそ、「今の家庭に合った形」を選ぶことは、立派な親の判断です。
大きく祝う家庭も素敵。小さく祝う家庭も素敵。写真をきちんと残すのもいいし、家族でささやかに過ごすのもいい。どれも間違いではありません。
今日すべての答えを出さなくても大丈夫です。
もし言葉にするのが難しければ、まずは夫婦で「何を一番大事にしたいか」を短い言葉で共有してみてください。
たとえば、
・赤ちゃんの体調を優先したい
・準備で疲れすぎたくない
・義両親の気持ちも少しは立てたい
そんなふうに、優先順位を並べるだけでも、心は少し整っていきます。
温度差に悩んでいるあなたは、冷たいわけでも、行事を軽く見ているわけでもありません。
その悩みは、家族を大切にしたい気持ちの表れです。焦らず、あなたの家庭なりの初節句の形を選んでください。きっと、無理のない答えが見つかります。












