去年のこどもの日は、もう少しちゃんとできていた気がする。
兜を飾って、写真を撮って、柏餅も用意して。
それなのに今年は、気づけば何もしていないまま一日が終わりそうで、「なんで去年と同じようにできなかったんだろう」と、少し心がざわつきました。

忙しかったから、余裕がなかったから。
理由は思い浮かぶけれど、それでも「手を抜いてしまった気がする」「子どもに申し訳ない」という気持ちが残りますよね。

でも振り返ってみると、去年と同じこどもの日ができなかったのには、ちゃんと理由がありました。
この記事では、私自身の体験をもとに、「できなかった」背景を一つずつ整理しながら、今の家庭に合ったこどもの日の考え方を見つめ直していきます。

去年と今年で、暮らしの余裕が変わった

子どもの成長で一日の流れが変わった

去年のこどもの日を振り返ると、今よりも一日のリズムが読みやすかった気がします。
お昼寝の時間がほぼ決まっていて、その前後で「これをしよう」「あれを済ませよう」と予定を立てる余裕がありました。

でも今年は、そう簡単にはいきませんでした。
昼寝をしない日が増えたり、寝る時間がずれたり、外出のタイミングひとつ取っても様子を見ながら判断する必要があります。
さらに、兄弟姉妹がいる場合は、それぞれのペースや気持ちの違いも重なります。

子どもが成長するほど、手が離れる部分もある一方で、生活全体はむしろ細かい調整が必要になっていくと感じました。
去年と同じ準備をしようとしても、同じ時間の使い方はもうできません。
それは準備不足ではなく、暮らしが次の段階に進んだ証だったのだと思います。

親の体力や余裕も同じではない

もうひとつ大きかったのは、親である私自身の余裕の変化です。
仕事や家事の負担は少しずつ積み重なり、年度替わりの忙しさや環境の変化で、気づかないうちに疲れが溜まっていました。

それでも、「去年はできたのに」という思いがあると、無理をしてしまいがちです。
本当は休みたいのに、気力で動こうとしたり、「これくらいはやらなきゃ」と自分を追い込んだり。

後から振り返ってみて、去年と同じ行事ができなかったのは、怠けたからでも気持ちが足りなかったからでもなく、親の体力や心の余裕を含めた暮らしの前提そのものが変わっていたからだと気づきました。
同じことができない自分を責めるより、今の状態に気づけたことの方が、ずっと大切だったように思います。

「去年はできた」という比較がつらくなる理由

写真や記録が残っているから比べてしまう

スマホの写真フォルダや、SNSの「◯年前の今日」という表示。
ふと目に入った去年のこどもの日の写真に、思わず立ち止まってしまうことがあります。

兜をかぶって笑っている子ども、きれいに並んだ料理、部屋の飾り付け。
その一枚一枚が、当時は「ただの記録」だったのに、今見ると比べる材料になってしまいます。

特に写真は、楽しかった瞬間だけが切り取られています。
準備で慌ただしかった時間や、親が疲れていたこと、うまくいかなかった場面は写っていません。
それでも写真を見ると、「去年はちゃんとできていた」「今年は何もしていない」という感覚が強く残ります。

記録が残っているからこそ、実際以上に差が大きく感じてしまうのは、とても自然なことだと思います。

比較の基準が「一番頑張っていた年」になりがち

私たちが無意識に比べているのは、たいてい「一番余裕があった年」や「一番頑張れた年」です。
たまたま仕事が落ち着いていた、子どもの生活リズムが安定していた、体力にも余裕があった。
そんな条件が重なった年を、基準にしてしまいます。

でも、その状態が毎年続くわけではありません。
暮らしも、家族の状況も、親のコンディションも、少しずつ変わっていきます。

それでも「去年はできたのに」と思ってしまうと、今の自分を過小評価しやすくなります。
できていない部分ばかりが目について、「ちゃんとできていない親なんじゃないか」と責めてしまうこともあります。

比べてつらくなるのは、真面目に家族と向き合ってきた証でもあります。
それだけ大切にしてきたからこそ、過去の自分と比べてしまうのだと、私は感じています。

今年は「できなかった」のではなく「選ばなかった」

無意識に取捨選択をしている

今年のこどもの日を振り返ってみると、「何もしなかった」と思っていた一日の中に、実はいくつもの選択がありました。
兜を出さなかった代わりに、子どもが眠くなる前にお風呂を済ませて、早めに布団に入ることを選びました。
柏餅を用意する代わりに、いつものごはんを一緒に食べて、穏やかな時間を過ごすことを選びました。

どれも派手ではありませんが、そのときの私には必要な判断でした。
準備に追われてイライラするより、少し余裕のある気持ちで子どもと向き合いたかったからです。

一つひとつを見ていくと、何もしていなかったのではなく、「今の自分にできる形」を無意識に選び続けていたのだと気づきました。
行事の形を減らすことは、手抜きではなく、暮らしを守るための取捨選択だったのだと思います。

優先順位が変わっただけ

去年の私は、「行事を形にすること」を大切にしていました。
季節を感じさせたい、思い出を残したい、ちゃんとやってあげたい。
その気持ちが強く、多少無理をしてでも準備をしていたと思います。

今年は、「家族が疲れずに過ごすこと」を一番に考えていました。
忙しい日々の中で、これ以上無理を重ねないこと、子どもが安心して一日を終えられること。
そのために、行事のボリュームを自然と減らしていました。

できなかったのではなく、今の暮らしに合わせて優先順位を選び直しただけだと考えると、気持ちが少し整います。
同じこどもの日でも、年ごとに大切にするものが変わるのは、決しておかしなことではありません。

子どもは「去年と同じかどうか」を見ていない

子どもが覚えているのは雰囲気

こどもの日が終わってしばらく経っても、子どもから
「去年は兜あったよね」
「なんで今年は出さなかったの」
と言われることは、ほとんどありませんでした。

親の私は、飾りや準備の有無ばかり気にしていましたが、子どもが覚えているのは、もっと別の部分だったように思います。
それは、その日の部屋の空気や、家族の表情、声のトーンです。

一緒に笑ったこと、少し遊んだこと、話しかけたときにちゃんと目を見て聞いてもらえたこと。
そうした何気ないやり取りのほうが、子どもの記憶には残りやすいのだと感じました。

行事の形より、「どんな気持ちで一緒に過ごしていたか」のほうが、子どもにとっては大切なのかもしれません。

親が思うほど、子どもは行事の完成度を気にしていない

私たち親の頭の中には、「ちゃんとしたこどもの日」という理想像があります。
兜を飾って、行事食を用意して、写真も撮って。
それができて初めて「できた」と感じてしまいがちです。

でも子どもにとって、その完成度はそれほど重要ではありません。
飾りがあったかどうかより、親がそばにいてくれたか、笑顔だったか、いつもより少し特別な気持ちで接してくれたか。
そうした部分のほうが、ずっと大きく伝わります。

親が思っているほど、子どもは行事の出来栄えを評価していないと気づいたとき、肩の力が抜けました。
特別な演出がなくても、気持ちが向き合っていれば、それで十分だったのだと思います。

行事は毎年同じでなくていい

家庭の形は毎年変わる

こどもの日だけでなく、どんな行事でも「去年と同じようにできるかどうか」を基準にしてしまいがちです。
でも冷静に考えてみると、家庭の状況は一年ごとに少しずつ変わっています。

子どもの年齢が上がれば、生活リズムも変わります。
家族が増えたり、仕事の忙しさが変わったり、親自身の体力や気持ちの余裕も同じではありません。
一見変わっていないように見えても、暮らしの中身は確実に動いています。

そんな中で、行事だけを「去年と同じ形」に保とうとするほうが、無理があるのかもしれません。
家庭の形が変われば、行事の形が変わるのは自然なことだと感じるようになりました。

「去年と違う」は成長の証

去年できなかったことが、今年はできるようになることもあります。
反対に、去年できていたことが、今年は難しくなることもあります。

それを「後退した」「ちゃんとできていない」と捉えてしまうと、行事が苦しくなってしまいます。
でも実際には、家族が置かれている状況が変わっただけで、良し悪しの問題ではありません。

行事がシンプルになったり、形を変えたりするのは、家族が前に進んでいる証です。
去年と違う行事になったのは、家族の成長や変化があったからだと考えるようになってから、気持ちが楽になりました。

同じ行事を繰り返すことより、その年ごとの家庭に合った形を選ぶこと。
それこそが、長く無理なく行事と付き合っていくために大切なことなのだと思います。

来年のこどもの日は、白紙で考えていい

「今年できなかった」を引きずらなくていい

こどもの日が終わったあと、「来年こそはちゃんとやろう」と心の中で決めてしまうことがあります。
でも、その決意があるほど、来年が近づいたときにプレッシャーになってしまうこともあります。

今年できなかった理由は、今年の暮らしの中にありました。
忙しさ、体力、余裕、子どもの成長。
それらが重なった結果であって、反省材料として来年まで背負い続ける必要はありません。

来年はまた、違う暮らし、違う余裕、違う子どもがいます。
今年の反省を、そのまま来年の義務にしなくていいと考えられるようになってから、行事への気持ちが少しやわらぎました。

今の延長線ではなく、そのときの家庭で決める

「来年は兜を出そう」「来年は料理もちゃんとしよう」と、今のうちに決めなくても大丈夫です。
そのときの家庭の状況は、今とはきっと違っています。

子どもの興味が変わっているかもしれませんし、行事そのものへの関わり方も変わっているかもしれません。
その年のこどもの日をどう過ごすかは、当日近くになってから考えても遅くありません。

今の延長線で考えず、そのときの家庭に合った形を選べばいいと思えたことで、行事が「頑張らなければならないもの」ではなくなりました。
白紙のまま残しておくことも、立派な選択だと、今は感じています。

まとめ|去年と違うこどもの日は、家族が進んだ証

去年と同じこどもの日ができなかった理由は、気持ちが薄れたからでも、愛情が減ったからでもありません。
子どもが成長し、暮らしが変わり、家庭の優先順位が少しずつ動いた結果です。

私自身も、去年の写真を見返して「今年は何もできていない」と感じたことがありました。
でも落ち着いて考えると、今年の私は今年の暮らしの中で、ちゃんと家族のことを考えていました。
兜を出さなかったのも、料理を減らしたのも、ただの手抜きではなく「今の余裕でできる形」を選んだ結果だったんですよね。

もし今、
「去年はできたのに」
「今年は何もしてあげられなかった」
そんな気持ちを抱えているなら、一度だけ立ち止まって、自分に問いかけてみてください。

その選択は、本当に「間違い」だったでしょうか。
それとも、今の家族を守るための判断だったでしょうか。

行事は、毎年同じでなくていいです。
その年の家庭の状況に合わせて、形が変わるのは自然なことです。
むしろ、変わったからこそ見えるものもあります。
去年は頑張れた。
今年は無理をしないことを選べた。
どちらも、家族を大切にした結果です。

「去年と違う」こどもの日は、家族が前に進んでいる証だと私は思います。
子どもが大きくなり、親も変わり、暮らしが少しずつ更新されている。
その中で、同じ形にできない年があるのは当たり前です。

今日できる小さな一歩として、もし心に引っかかりが残っているなら、行事の完成度ではなく「子どもに向けた気持ち」を一つ形にしてみてください。
たとえば、
「大きくなったね」
「いつもありがとうね」
そんな一言を、いつもの日常の中で伝えるだけでも十分です。

来年もまた、違うこどもの日になるかもしれません。
その変化を、少しやさしい目で受け止めてみてください。
そして来年は、白紙のまま、そのときの家族に合う形を選べば大丈夫です。