お食い初めをやらなかった家庭の理由と気持ち

お食い初め、やったほうがいいのかな」「やらなかったら後悔する?」
子どもが生後100日を迎える頃、私も同じように悩みました。SNSには立派なお膳や記念写真が並び、やらない選択が少数派のように感じてしまって。わが家は話し合った末に、お食い初めをやりませんでした。
この記事では、お食い初めをやらなかった家庭として、どんな理由で決め、どんな気持ちで100日を迎えたのかを、正直な体験談としてお伝えします。今まさに迷っている方の、心が少し軽くなればうれしいです。
お食い初めを「やらない」と決めたきっかけ
夫婦で話し合ったリアルな理由
一番のきっかけは、夫との本当に何気ない会話でした。
「準備って、誰が中心でやるんだろうね」
「当日、赤ちゃんの機嫌が悪かったらどうする?」
そんな言葉を交わしているうちに、少しずつ現実が見えてきたんです。
当時の私は、仕事復帰を目前に控えていて、心の余裕があまりありませんでした。毎日の育児だけでも精一杯で、夜になると「今日もよくやったな」と思いながら眠るような日々。そこに新たなイベントの準備が加わることを想像すると、正直ワクワクよりも不安のほうが大きかったんです。
料理の手配、写真の段取り、両家への連絡。
どれも小さなことかもしれませんが、積み重なると負担になります。夫も「どちらかが無理をするなら、今回はやらなくてもいいんじゃない?」と言ってくれて、「やらない」という選択肢が、初めて現実的に感じられました。
「やらなきゃ」という気持ちへの違和感
もう一つ大きかったのが、自分の中にある「やらなきゃ」という気持ちへの違和感でした。
SNSや育児サイトを見ると、「お食い初め=やるもの」という空気が当たり前のようにあって、気づけば私もその前提で考えていたんですよね。
でも、ふと立ち止まって考えました。
本当にやりたいのかな、それとも周りと同じでいないと不安なだけなのかな、と。
お祝いの気持ちは確かにあります。100日間、無事に育ってくれたことへの感謝も、これからの成長を願う気持ちも本物です。けれど、それを「決まった形」で表現しないといけないわけではないはず。行事の形を守ることが目的になってしまった瞬間、気持ちが置き去りになる気がしました。
「今回はやらない」という選択は、逃げではなく、今のわが家に合った判断だった。そう思えたことで、気持ちがすっと軽くなったのを、今でもよく覚えています。
やらなかった家庭は実際どれくらいいる?
周りに聞いてみて分かったこと
正直なところ、「お食い初めをやらなかった家庭って、少数派なのかな」と思っていました。だから最初は、周りに聞くのも少し勇気がいったんです。でも、思い切ってママ友との何気ない会話の中で話題にしてみると、意外な反応が返ってきました。
「うちはお膳は用意しなかったよ」
「写真だけ撮って終わりにした」
「そもそもバタバタしていて、気づいたら過ぎてた」
そんな声が次々と出てきて、正直かなり驚きました。
きちんとフルセットでやっている家庭ばかりだと思い込んでいたけれど、実際はそれぞれ事情があって、形もバラバラ。「やらなかった」「簡略化した」という選択は、決して珍しいものではないと知れたことで、心の中の緊張が一気にほどけました。
話を聞いていくと、共通していたのは「無理をしなかった」という点でした。体調、仕事、上の子の都合。その時々の家庭の状況を優先した結果が、たまたま“やらない”や“簡単に済ませる”という形になっていただけなんですよね。
SNSと現実のギャップ
一方で、SNSを開くと、立派なお膳に家族写真、きれいな飾り付けが並んでいます。見ていると、「やっぱりやったほうがよかったのかな」と不安になることもありました。
でも、冷静に考えてみると、SNSに投稿されるのは“見せたい一場面”だけ。準備で疲れたことや、やらなかった理由までは、なかなか表に出てきません。華やかな投稿が多いからといって、それが全体像ではないんですよね。
実際に周りの話を聞いてみて、「投稿していないだけで、同じように迷ったり、やらなかった家庭がちゃんといる」と分かったことで、ようやく自分の選択を肯定できるようになりました。SNSの世界と、目の前の現実は必ずしも一致しない。その当たり前のことを、子育てを通して改めて実感した気がします。
お食い初めをやらなくて後悔はあった?
正直な気持ち
正直に言うと、「やらなきゃよかった」と後悔したことは、今のところ一度もありません。
100日当日は、特別な料理や儀式はしませんでしたが、家族でゆっくり過ごしました。赤ちゃんの顔を見ながら、「ここまで元気に育ってくれてありがとう」と声をかけて、何枚か写真を撮っただけ。それだけの時間だったのに、不思議と心は満たされていました。
むしろ印象に残っているのは、慌ただしさがなかったことです。
「次はこれをやらなきゃ」「時間が押してる」と焦ることもなく、赤ちゃんのペースに合わせて過ごせた一日。この子の成長を祝うはずの日に、親が疲れ切ってしまうより、穏やかに笑っていられたことのほうが、わが家には大切だったと感じています。
夜、写真を見返しながら「もう100日か、早いね」と夫と話した時間も、今では大切な思い出です。立派な行事ではなくても、ちゃんと「節目」は心に刻まれていました。
「もしやっていたら…」と考えた瞬間
もちろん、まったく迷いがなかったわけではありません。あとからSNSやアルバムを見返したとき、「きれいなお膳の写真が一枚くらいあってもよかったかな」と思ったことはあります。特に、成長記録をまとめているときには、ふとそんな気持ちがよぎりました。
でも、その思いは本当に一瞬でした。
写真が一枚増えたとしても、あの日の空気や気持ちが変わっていたかというと、たぶんそうではありません。準備に追われていたら、今のような穏やかな記憶にはならなかったかもしれない。そう考えると、「やらなかった」という選択は、わが家にとって納得のいく形だったと、自然に思えるようになりました。
行事をやったかどうかよりも、「どんな気持ちでその日を迎えたか」。振り返ってみて大切だったのは、そこだったと感じています。
両親や義両親への伝え方で気をつけたこと
伝えるタイミングと伝え方
正直なところ、いちばん気を遣ったのは両親や義両親への伝え方でした。
お食い初めは親世代にとって「当たり前にやる行事」という認識が強いことも多いので、「やらない」とストレートに伝えると、心配させたり、気まずくなったりしそうだなと感じていたんです。
そこで意識したのは、早めに、そして方針として伝えることでした。
「お食い初め、どうするの?」と聞かれてから説明するのではなく、事前にこちらから「今回は家族だけで静かにお祝いする予定だよ」と話しました。「やらない」という言葉を前面に出さず、どう過ごしたいかを先に伝えるようにしたのがポイントだったと思います。
電話でもLINEでも、できるだけ柔らかい言葉を選びました。
「準備が大変で…」ではなく、「今は赤ちゃんのペースを大事にしたくて」と伝えると、否定的な印象になりにくかった気がします。“できないからやらない”ではなく、“大切にしたいものがあるからこの形を選んだ”という伝え方を心がけました。
納得してもらえた理由
結果的に、両親も義両親も、思っていた以上にあっさり受け入れてくれました。
「無理しなくていいよ」
「元気に育ってるなら、それが一番だね」
そんな言葉をかけてもらえたとき、少し肩の力が抜けたのを覚えています。
特別な説得をしたわけではありません。ただ、「今の生活を大切にしたい」「家族が無理をしない形でお祝いしたい」という気持ちを、正直に話しただけです。行事よりも、子どもと親の安定を優先したいという姿勢は、きちんと伝わるものなんだと感じました。
親世代は経験も多く、こちらが思う以上に柔軟な場合もあります。過度に構えすぎず、素直な気持ちを言葉にすること。それが、いちばんの近道だったのかもしれません。
お食い初めの代わりに大切にしたこと
写真と日常の記録
お食い初めの特別なお膳や飾り付けは用意しませんでしたが、その代わりに、いつもより少しだけ丁寧に「日常」を残しました。スマホを片手に、ミルクを飲んでいる横顔、指をぎゅっと握る仕草、寝返りを打ちそうで打たない瞬間。何気ない場面ばかりですが、今見返すと、その一枚一枚が宝物です。
きちんとした記念写真ではなく、生活の中の写真だからこそ、「あの頃はこんな表情だったね」「このとき、よく笑ってたよね」と、自然に会話が広がります。特別な演出がなくても、成長の記録はちゃんと残せると、このとき実感しました。
アルバムにまとめるときも、「お食い初め」というタイトルはつけませんでした。ただ「生後100日ごろ」とだけ書いて、その時期の空気ごと閉じ込めるような気持ちで整理しています。それで十分だったと、今でも思っています。
家族の言葉と時間
もう一つ大切にしたのは、その日の言葉と時間です。
「もう100日なんだね」
「毎日よく頑張ってるね」
そんな何気ない言葉を、夫婦で、そして赤ちゃんに向けて自然に交わしました。
改まった儀式はなくても、感謝や願いはちゃんと口に出して伝えられます。赤ちゃんが言葉を理解できなくても、声に出すことで、親自身の気持ちが整理されていくような感覚がありました。行事をやらなくても、想いは日常の中で十分に形になる。そう感じられた時間でした。
忙しい毎日の中で、ほんの少し立ち止まって、家族で同じ方向を見られたこと。その時間こそが、わが家にとってのお食い初めだったのかもしれません。
これからお食い初めを迎える家庭へ伝えたいこと
やる・やらないは家庭ごとの選択
これからお食い初めを迎える方に、まず伝えたいのは、お食い初めを「やる家庭」も「やらない家庭」も、どちらも間違いではないということです。
立派なお膳を用意して家族みんなで祝うのも素敵ですし、簡単に済ませるのも、何もしないのも、それぞれの家庭に合った形があります。
子育ては、正解が一つではありません。家庭の状況、体調、仕事、上の子の有無。そのとき置かれている環境によって、できることも、選びたいことも変わって当然です。大切なのは「一般的にどうか」ではなく、「わが家として無理がないかどうか」だと、私は感じています。
「ちゃんとやらなきゃ」と思って苦しくなるくらいなら、形を変えたり、やらない選択をするのも立派な判断です。お祝いの気持ちは、行事の有無で決まるものではありません。
迷っているなら一度立ち止まって
もし今、やるかやらないかで迷っているなら、少しだけ立ち止まって考えてみてください。
「周りからどう思われるかな」
「あとで後悔しないかな」
そんな気持ちが頭をよぎるのは、とても自然なことです。
でも、その先にある問いは、
「私たちは、どう過ごしたいかな」
「今の生活に、余裕はあるかな」
という視点でもいいはずです。
答えを急いで出さなくても構いません。夫婦で話してみる、気持ちを書き出してみる。それだけでも、気持ちは整理されていきます。迷っている時間そのものが、すでに子どものことを真剣に考えている証だと、私は思います。
どんな選択をしても、その家庭なりの「大切にした形」があれば十分です。どうか、自分たちの気持ちを一番に、安心できる選択をしてほしいなと思います。
まとめ|お食い初めをやらなかった家庭でも大丈夫
お食い初めをやらなかったからといって、愛情が足りないわけではありません。
行事を一つ省いたからといって、子どもの成長を願う気持ちや、これまでの感謝が消えることはないと、わが家は実感しています。
むしろ振り返ってみると、心に残っているのは特別な料理や写真よりも、日々の関わりでした。泣いたら抱っこしたこと、笑った顔にほっとしたこと、「今日も元気だね」と声をかけたこと。そうした積み重ねのほうが、きっと子どもの心にも、親の記憶にも深く残っていくのだと思います。
子育てをしていると、「やるべきこと」「みんながやっていること」に目が向きがちです。でも、そのたびに自分たちの生活や気持ちが置き去りになってしまっては、本来大切にしたいものから離れてしまいます。行事は、家族を縛るためのものではなく、支えるためのもののはずです。
もし今、お食い初めをやるかどうかで悩んでいるなら、無理に答えを急がなくても大丈夫です。
「わが家にとって心地いい形はどれだろう」
「今の生活に、余裕はあるだろう」
そんな問いを、一度ゆっくり考えてみてください。
その選択がどんな形であっても、子どものことを思って出した答えなら、きっと後悔の少ない100日になります。自分たちの選択を信じていい。そう伝えられる記事であればうれしいです。














