ひな祭りをやらなかった年の気持ち

ひな祭りが近づくと、どこか心がざわつく年がありました。
「今年はどうする?」と考えながらも、忙しさや体力、気持ちの余裕を理由に、ひな祭りをやらない選択をした年です。やらないと決めたはずなのに、SNSで流れてくる華やかな投稿を見ては、「これでよかったのかな」と、少しだけ胸がチクっとしました。
でも、その年を振り返ってみて思うのは、やらなかったからこそ見えた気持ちや、守れたものが確かにあったということです。この記事では、ひな祭りをやらなかった年に私が感じた迷いや安堵、そして今だから言える答えを、同じ立場の方に向けて綴っていきます。
ひな祭りをやらないと決めた理由
その年のひな祭りは、正直に言えば「余裕がなかった」という一言に尽きます。
仕事と家事、子どもの行事が重なり、朝から晩まで気を張ったまま過ごす日々でした。気づけば一日が終わり、「今日も何とか回した」という感覚だけが残る毎日。ひな祭りの準備を考える余白が、心にも時間にも残っていなかったのです。
ひな人形を出して、飾りを整えて、料理を考えて…と頭の中で段取りを思い浮かべるだけで、どっと疲れを感じてしまいました。
「やりたい気持ちがないわけじゃない。でも、今はそれがしんどい」
そんな本音に、ようやく気づいた年でもありました。
無理を重ねていたことに気づいた
これまでの私は、「季節の行事はちゃんとやらなきゃ」という気持ちを、当たり前のように抱えていました。多少しんどくても、忙しくても、行事はやるもの。そう思い込んでいた部分があったと思います。
でもその年は、準備を想像しただけで心が重くなり、「また頑張らなきゃいけないことが増える」という感覚が先に立ってしまいました。
そこで初めて、「あ、私、もう無理してるんだな」と立ち止まれた気がします。
「今年はやらない」という判断は、怠けでも投げやりでもなく、自分の限界をきちんと受け止めた結果でした。
無理を続けて笑顔がなくなるより、行事を一つ手放してでも、今の暮らしを穏やかに保つほうが大切だと思えたのです。
その決断は簡単ではありませんでしたが、振り返ってみると、この年があったからこそ、行事との向き合い方を見直すきっかけになったのだと感じています。
やらないと決めたのに、揺れた気持ち
やらないと決めたはずなのに、気持ちはきれいに割り切れたわけではありませんでした。
頭では「今年は無理をしない」と納得しているのに、心のどこかで小さな引っかかりが残っている。そんな状態が、ひな祭り当日まで続いていたように思います。
決断した直後は少しホッとしたはずなのに、日が近づくにつれて、「本当にこれでよかったのかな」という思いが、何度も顔を出しました。
やらない選択をしたからといって、迷いや不安が消えるわけではない。そのことを、身をもって感じた時間でした。
周りと比べてしまった瞬間
SNSを開くと、色とりどりのひな人形や、手作りの料理、家族で楽しそうに過ごす写真が目に入ります。
園のおたよりにも「ひな祭り会」の文字があり、そのたびに胸の奥が少しざわつきました。
「ちゃんとしていない親だと思われないかな」
「うちの子だけ、季節を感じられていないんじゃないかな」
そんな考えが、勝手に頭の中を巡ります。誰かに責められたわけでも、何か言われたわけでもないのに、自分で自分を比べて、苦しくなってしまうのです。
特に夜、家の中が静かになった時間は要注意でした。
一日を終えてホッとする反面、余計なことまで考えてしまい、「やっぱり簡単にでもやったほうがよかったのかな」と、決めたことを揺さぶられる瞬間がありました。
それでも、その揺れは「後悔」ではなく、「迷い」だったのだと思います。
行事を大切にしたい気持ちと、今の暮らしを守りたい気持ち。その二つがぶつかっているだけで、どちらかが間違っているわけではありません。
今振り返ると、この揺れも含めて、ひな祭りをやらなかった年の大切な感情だったと感じています。
子どもの反応が教えてくれたこと
意外だったのは、子ども自身は、私が想像していたほどひな祭りを気にしていなかったことです。
やらないと決めたあとも、「何か言われたらどうしよう」「寂しがったらどうしよう」と、頭の中では何度もシミュレーションしていました。
でも実際にその日を迎えてみると、拍子抜けするほど、いつも通りの時間が流れていました。
大人ほど気にしていなかった現実
「今日はひな祭りだね」と、何気なく声をかけてみたときのことです。
子どもは少し考えるような間を置いて、「そうなんだ」とだけ返し、そのままお気に入りのおもちゃで遊び続けました。
その姿を見た瞬間、肩の力がふっと抜けました。
特別な飾りも、特別なごはんもなくても、子どもにとっては「いつもの安心できる日」であれば十分だったのかもしれません。
行事の意味や重さを一番背負っていたのは、子どもではなく、私自身だった。
そう気づいたとき、胸の中にあった罪悪感のようなものが、少しずつほどけていきました。
子どもにとって大切なのは、「ちゃんとした行事」よりも、日常の中で感じる安心感や、そばにいる大人の気持ちなのだと思います。
笑顔で話しかけて、一緒に過ごす時間がある。それだけで、その日は十分に満たされていたのでしょう。
この出来事を通して、「親が気にしすぎていること」と「子どもが本当に求めていること」は、必ずしも同じではないのだと、やっと理解できた気がしました。
やらなかったからこそ守れたもの
ひな祭りをやらなかったことで、「何か大切なものを失ったのでは」と思う瞬間もありました。
でも時間が経って振り返ると、失ったものよりも、守れたもののほうがずっと多かったと感じています。
行事を一つ手放したことで、暮らしの中に小さな余白が生まれました。
その余白が、私にとっても、家族にとっても、思っていた以上に大きな意味を持っていたのです。
心と時間に余白が生まれた
準備や片付けをしない分、その日はいつもより少し早く家事を終えられました。
ひな人形を出すスペースを考えたり、料理の段取りを組んだりする必要がないだけで、気持ちが驚くほど軽くなっていました。
夜は、子どもと一緒に布団に入り、いつもよりゆっくり話をしました。
「今日は楽しかった?」と聞くと、少し考えてから笑顔でうなずく子ども。その表情を見たとき、胸の奥がじんわり温かくなりました。
行事の準備をしないことで生まれた時間が、親子の会話や安心感に変わっていた。
その事実に気づいたとき、「これも立派なひな祭りの過ごし方なのかもしれない」と、自然に思えたのです。
特別な飾りや料理がなくても、子どもと向き合う時間がある。
慌ただしく動き回る親ではなく、少し余裕のある大人でいられる。その状態こそが、子どもにとって一番の安心材料なのかもしれません。
行事を減らしたことで、家族の時間が減るどころか、むしろ増えていた。
その気づきは、「ちゃんとやらなきゃ」という思い込みを手放す大きなきっかけになりました。
「やらない年」が教えてくれた価値観の変化
ひな祭りをやらなかった年を経験して、行事との向き合い方が少し変わりました。
それまでは、「続けてきたことは続けなきゃ」「一度やめたら戻れないかも」と、どこかで思い込んでいた気がします。
でも実際にやらない年を過ごしてみて、行事はそんなに硬いものではないのだと感じました。
一度立ち止まったからこそ、行事の本当の意味や、自分たち家族にとっての心地よさを、改めて考えることができたのです。
毎年同じ形でなくていい
ひな祭りは、必ず毎年同じようにやらなければならないものではありません。
その年の家族の状態、子どもの年齢、親の体力や気持ちによって、形が変わって当たり前だと思います。
余裕のある年は、しっかり飾ってお祝いすればいい。
少し忙しい年は、簡単に関わるだけでもいい。
そして、どうしてもしんどい年は、思いきってやらない選択をしてもいい。
行事は「続けること」そのものが目的ではなく、「無理なく関われること」のほうがずっと大切。
そう気づけたことで、行事がプレッシャーではなく、選べるものに変わりました。
この考え方に変わってから、「ちゃんとやらなきゃ」という気持ちに追われることが減りました。
代わりに、「今年はどんな関わり方が合っているかな」と、家族に目を向けて考えられるようになった気がします。
やらない年があったからこそ、次に迎えるひな祭りを、また違う気持ちで迎えられる。
この経験は、行事を長く、やさしく続けていくための、大切な転機だったと思っています。
もし今、同じように悩んでいるなら
ひな祭りをやらない選択に迷っている人は、きっと真面目で、家族思いの方だと思います。
「子どもに季節の行事を体験させたい」「できることなら、ちゃんとしてあげたい」
そんな気持ちがあるからこそ、やらない選択が引っかかってしまうんですよね。
私も当時は、決めきれないまま何度も考えました。
やらないと決めたのに、心が落ち着かない。やると決めるだけの余裕もない。
その間にある「宙ぶらりんの気持ち」が、一番しんどかったのかもしれません。
自分の気持ちを一番に考えていい
「やらなかったら後悔するかも」と思うなら、できる範囲で関わればいいし、「今はしんどい」と感じるなら、立ち止まっていい。
行事は、0か100かで決めなくても大丈夫です。
たとえば、ひな人形を出さなくても、ちらし寿司を作らなくても、こんな小さな関わり方でも十分だと思います。
「今日はひな祭りだね」と声をかける
子どもと一緒にひなあられを少し食べる
絵本を一冊読む
折り紙でおだいりさまを作る
どれも立派なひな祭りです。
そして、どれもできないくらい疲れているなら、それも今のあなたに必要なサインだと思います。
迷っている時点で、もう十分に家族のことを考えています。
本当にどうでもいいと思っていたら、そもそも悩まないからです。
もし迷いが強いときは、「後悔しないか」だけで判断しようとしなくて大丈夫です。
代わりに、こんなふうに問いかけてみてください。
今の私は、どこが一番しんどい?
ひな祭りをやることで、笑顔が増えそう?それとも減りそう?
子どもに残したいのは、行事の形?それとも穏やかな時間?
答えは一つではありません。
やる年があってもいいし、簡単にする年があってもいいし、やらない年があってもいい。
あなたの家庭が今いちばん大事にしたいものに合わせて、ひな祭りの形を選んでみてください。
その選択は、きっと間違いではありません。
まとめ|ひな祭りをやらなかった年がくれたもの
ひな祭りをやらなかった年、私は「ちゃんとやらなきゃ」という思い込みから、少しずつ肩の力を抜けるようになりました。
行事を完璧にこなすことが、必ずしも家族の幸せにつながるわけではない。むしろ、今の暮らしや自分の気持ちを無視してまで頑張ることのほうが、しんどさを残してしまうのだと気づけた一年でした。
行事を一つ手放したことで、心に余白が生まれました。
その余白は、慌ただしさの中では見落としてしまいがちな、家族との何気ない時間や会話に目を向けさせてくれました。
穏やかな気持ちで子どもと向き合えた一日そのものが、その年のひな祭りだったのだと思います。
もし今、「今年はどうしよう」と悩んでいるなら、無理のない形を選んでみてください。
誰かの正解や、去年までのやり方に合わせなくても大丈夫です。
やる・やらないではなく、「今の家族に合っているかどうか」を基準に考えてみてほしいです。
やらない年があっても大丈夫です。
行事は、続けることで価値が生まれるものではなく、その年ごとに家族が納得して選んだ形こそが、心に残るものだと私は感じています。
その年なりのひな祭りは、特別な飾りや写真がなくても、ちゃんとあなたの家庭の中に残ります。
どうか自分たちの選択を責めずに、今の暮らしに合ったひな祭りの形を、これからも選んでいってください。












