子連れ法事が大変だと感じたときの考え方

子連れで法事に参加すると、「正直、しんどい…」と感じてしまうことはありませんか。静かにしなければならない空気、慣れない親族との距離感、子どもの機嫌や食事の心配。私自身、何度か子連れで法事に出て、「ちゃんとできていない気がする」と落ち込んだことがあります。でも今は、大変だと感じる自分を責めなくていいと思えるようになりました。
この記事では、子連れ法事が大変だと感じたときの考え方や、少し気持ちがラクになる視点を、私の体験を交えながらお伝えします。
子連れ法事が大変だと感じるのは自然なこと
静かな場と子どもの相性はそもそも難しい
法事は、故人を偲び、静かに手を合わせる時間を大切にする場です。読経の声が響き、周囲も自然と背筋を伸ばすような空気になりますよね。一方で、子どもにとって「長時間静かに座っている」「意味の分からない時間が続く」という状況は、とてもハードルが高いものだと感じています。
私自身、読経中に子どもが小さく声を出しただけで、「まずい」「周りに見られているかも」と一気に心拍数が上がった経験があります。でも後から冷静になって考えると、それはしつけが足りないわけでも、親として失敗しているわけでもありません。子どもの発達段階を考えれば、静かな場が難しいのはごく自然なことなんですよね。
大人同士でも、意味が分からず長時間じっとしているのは苦痛です。子どもならなおさらです。「できなくて当たり前」という前提を持つだけで、気持ちは少し緩むように感じました。
親が気を張りすぎてしまう
子連れ法事がつらく感じる理由のひとつに、親自身が無意識に気を張りすぎていることもあると思います。「迷惑をかけてはいけない」「親としてきちんとして見られたい」。そんな思いが重なると、子どもの一つひとつの動きに神経が尖ってしまいます。
私も、子どもが立ち上がりそうになるたびに体を固くして、「お願いだから今は座っていて」と心の中で何度もつぶやいていました。周囲を見渡す余裕もなく、終わったころにはどっと疲れていたのを覚えています。
でも後から振り返ると、周囲の大人たちは意外と穏やかで、「そんなに気にしていなかったのかもしれない」と思う場面もありました。一番自分を追い込んでいたのは、周囲ではなく自分自身だったのかもしれません。
「ちゃんとしなきゃ」と思う気持ちは、それだけ家族や場を大切にしている証です。でも、その気持ちが強すぎると、法事そのものよりも「うまくやれるかどうか」ばかりに意識が向いてしまいます。まずは、自分が気を張りすぎていないかに気づいてあげることも、大切な一歩だと感じています。
周囲の視線が気になって余計につらくなる
親族の言葉に傷つくこともある
子連れで法事に参加していると、どうしても周囲の反応に敏感になります。「もう少し静かにできないの?」「まだ小さいのね」といった何気ない一言や、チラッと向けられる視線。悪気がないと頭では分かっていても、心は素直に受け止められないことがあります。
私も、子どもが落ち着かずに動いてしまったとき、ため息のような空気を感じて、胸がギュッと苦しくなった経験があります。帰り道、思わず夫に「やっぱり連れて行かなきゃよかったかな」とこぼしたほどでした。そのとき感じたのは、法事そのものよりも、「迷惑をかけてしまったかもしれない」という気持ちの重さでした。
でも冷静になって振り返ると、あの一言や視線は、相手の価値観や世代感覚から出たものかもしれません。その言葉が、あなたや子どもの価値を決めるものではないと、少しずつ思えるようになりました。傷ついたと感じた自分の気持ちを、まずは否定しなくていいのだと思います。
比較してしまう自分がしんどい
親族が集まる場では、自然とほかの子どもが目に入ります。年上で静かに座っている子、きちんと挨拶ができる子を見ると、「どうしてうちはできないんだろう」と比べてしまうこともありました。
私自身、「同じ年頃のはずなのに」「あの子はちゃんとしているのに」と、頭の中で何度も比較してしまい、そのたびに気持ちが沈んでいったのを覚えています。でも、その比較は気づかないうちに、自分を追い詰める方向に働いていました。
よく考えてみれば、年齢も性格も、育ってきた環境も違います。同じ場にいても、感じ方や行動が違うのは当たり前ですよね。比べるほどに苦しくなるなら、その比較は手放していい。そう思えるようになってから、少し肩の力が抜けました。
「今日はここまでできた」「無事に終わった」。そんな小さな基準で、自分と家族を見てあげること。それだけでも、法事の時間は少し違って見えてくるように感じています。
無理に「ちゃんとやろう」としなくていい
完璧な参加を目指さない
「法事は最初から最後まで、きちんと参加するもの」。そんな思い込みを、どこかで抱えていませんか。私も以前はそうでした。途中で席を立つことに罪悪感があり、「最後までいられないなら、来ない方がよかったのかな」と考えてしまったこともあります。
でも、子どもと一緒に参加する中で気づいたのは、法事の本質は“形を完璧にこなすこと”ではないということです。故人を思い、手を合わせる気持ちがあれば、それだけで十分なのだと感じるようになりました。実際、途中で子どもが落ち着かなくなり、外で過ごす時間を作ったことで、私自身の気持ちも整い、その後の時間を穏やかに過ごせた経験があります。
全部に参加しなくても、気持ちはちゃんと伝わる。そう思えた瞬間から、「ちゃんとやらなきゃ」という重たい荷物を、少し下ろせた気がしました。
できる範囲で関わるという選択
法事への関わり方は、一つではありません。読経には参加するけれど食事は別室にする、焼香だけ済ませて早めに帰るなど、その家庭ごとに選べる形があります。私も、事前に「途中で外に出るかもしれない」と心づもりをしておくだけで、当日の緊張感が和らぎました。
「できるところまで関わる」という考え方は、決して逃げではなく、家族を大切にするための選択だと思います。無理をして心も体も疲れ切ってしまうより、今の家族に合った関わり方を選ぶことのほうが、長い目で見て大切だと感じています。
法事の形は変えられなくても、関わり方は調整できます。「ここまでで十分」と自分に許可を出すことで、子連れ法事は少しだけ、穏やかな時間に変わっていくのではないでしょうか。
子どもを優先することは失礼ではない
子どものケアは親の役割
法事の最中に子どもが泣いてしまったり、そわそわし始めたりすると、「どうしよう」「迷惑をかけてしまう」と一気に焦ってしまいますよね。でも私は、そんなときに席を立つことは、場を壊す行為ではないと思っています。むしろ、静かな時間を守るための配慮であり、親として自然な判断だと感じています。
私自身、読経の途中で子どもが泣き出し、迷いながら席を立ったことがありました。そのとき、親族の一人が「大丈夫だから外に行っておいで」と声をかけてくれて、張り詰めていた気持ちが一気にほどけたのを覚えています。子どものケアを優先することは、決して場を軽んじる行動ではない。そう実感した出来事でした。
子どもは大人の事情や空気を、完璧には理解できません。だからこそ、困ったサインが出たときに寄り添うのは、親の大切な役割だと思います。
親が罪悪感を持たなくていい理由
法事は確かに大切な行事です。でも、それは「親子で無理をして耐える場」ではありません。子どもを優先する行動に、後ろめたさを感じる必要はないと、今は思えています。
以前の私は、「最後まで座らせられなかった」「静かにさせられなかった」と、自分を責めてばかりいました。でも、子どもの様子を見て行動した結果、結果的に周囲が落ち着いて過ごせたなら、それは十分に意味のある対応だったのではないでしょうか。
子どもを優先するのは、親として当たり前の行動。その視点を持てるようになってから、「ちゃんとできなかった」という考えよりも、「そのときできる最善を選んだ」という気持ちで自分を見られるようになりました。
無理をしない判断は、甘えではありません。親も子も守るための選択です。そう考えられるようになると、子連れ法事に対する気持ちも、少しずつ穏やかになっていくように感じています。
事前の準備で心の負担は軽くなる
持ち物と逃げ道を用意する
子連れ法事で感じるしんどさの多くは、「何かあったらどうしよう」という不安から来ているように思います。だからこそ、事前に少し準備しておくだけで、当日の気持ちは驚くほど違ってきます。
お気に入りのおもちゃや絵本、少量のおやつ。これらは「静かにさせるための道具」ではなく、困ったときに気持ちを切り替えるための逃げ道として用意しています。私も以前は、「法事におもちゃなんて…」とためらっていましたが、持っているだけで心の余裕が生まれました。
実際に使わなくても構いません。「どうしても無理になったら、これがある」と思えるだけで、子どもの小さな動きに過剰に反応せずに済んだ気がします。完璧を目指す準備ではなく、自分の不安を減らすための準備。それが大切だと感じています。
家族で役割を決めておく
もう一つ、心の負担を軽くしてくれたのが、家族で役割を決めておくことでした。夫と「途中で外に出る係」をあらかじめ話しておくだけで、「私が全部対応しなきゃ」という気持ちが和らぎました。
また、可能であれば親族に「子どもがぐずったら少し外に出るかもしれません」と一言伝えておくのもおすすめです。それだけで、席を立つときの心理的なハードルが下がります。一人で抱え込まない準備をしておくことが、当日の安心につながると実感しました。
当日になってから対応を考えるのではなく、「もしこうなったら、こうしよう」と決めておく。その小さな段取りが、子連れ法事の緊張をやわらげてくれます。準備は、子どものためだけでなく、自分の心を守るためのものでもあるのだと思います。
「行かなければよかった」と感じたあとに考えたいこと
後悔はそれだけ頑張った証
子連れ法事を終えて家に帰ったあと、どっと疲れが押し寄せてきて、「もう二度と子連れでは行きたくない」「行かなければよかったかも」と思ったことが、私にもあります。体だけでなく、気持ちまで消耗していると、どうしても自分を責める方向に考えがちですよね。
でも、少し時間が経ってから振り返ってみると、その後悔は「うまくできなかった証」ではなく、「それだけ周りに気を配って、必死に頑張った証」だったのだと感じるようになりました。子どもの様子を見ながら場の空気にも配り、自分なりに最善を尽くしたからこそ、疲れ切ってしまったのだと思います。
後悔が出てくるほど、真剣だったということ。そう捉えられるようになると、「ダメだった」という評価から、少し距離を置けるようになりました。
次回に活かせばいい
今回の法事が大変だったなら、それを次に活かせばいい。それだけで十分だと、今は思えています。「次は途中で外に出よう」「最初から短時間の参加にしよう」「今回は欠席という選択もありかもしれない」。関わり方はいくつも考えられます。
一度の経験で、「私は子連れ法事に向いていない」「親として失格だ」と決めつける必要はありません。そのとき感じたつらさは、次の判断の材料にすればいいのです。
無理をしない選択も、立派な経験の積み重ねです。今回感じた疲れやモヤモヤを、「もう行きたくない」で終わらせず、「次はどうしたいか」を考えるきっかけにしてみてください。その視点が持てるようになると、過去の法事の記憶も、少しだけやさしいものに変わっていく気がしています。
まとめ|子連れ法事が大変だと感じたら立ち止まっていい
子連れで法事に参加して「大変だった」「正直しんどかった」と感じるのは、あなたが場の空気や周囲、そして何より家族のことを真剣に考えていたからです。決して、気遣いが足りなかったわけでも、親として未熟だったわけでもありません。
子連れ法事では、静かな時間への配慮、親族との関係、子どもの気持ち、自分の立場など、たくさんのことを同時に背負うことになります。それだけ多くのことを考えていたからこそ、疲れてしまうのは当然だと私は思います。
無理に頑張らなくていいし、完璧にこなさなくても大丈夫です。途中で席を外してもいいし、関わり方を調整してもいい。「今回はここまで」と線を引くことは、逃げではなく、家族を守る判断です。
もし今、心が少し重たくなっているなら、今日すべての答えを出そうとしなくていいと思います。一度立ち止まって、「わが家にとって無理のない法事との向き合い方って何だろう」と考えてみてください。その時間そのものが、もう十分、家族を大切にしている行動です。
子連れ法事に正解はありません。あるのは、家庭ごとの選択だけ。あなたが選ぶその形が、きっと、あなたの家族にとってのちょうどいい答えなのだと、私は思います。













