帰省の時期が近づくと、毎年のように心がざわついていました。
「今年はどうする?」「やっぱり行かないとダメかな」
子どもが小さい今の生活、仕事の都合、体力の余裕。それでも「帰省しない」という選択に、どこか後ろめたさを感じてしまう自分がいました。

実際、私自身も悩み続けた末に、ある年から帰省しない選択をしました。
その決断は、楽なものではありませんでしたが、今振り返ると「わが家にとって必要な判断だった」と感じています。

この記事では、帰省しない選択をした家庭の気持ちや理由、周囲との関係、そして心の整理のしかたを、私自身の体験を交えながらお話しします。
今まさに迷っている方が、少し気持ちを整えるきっかけになればうれしいです。

帰省しない選択を考え始めたきっかけ

子どもが小さい時期の移動の大変さ

帰省を迷うようになった一番の理由は、子どもが小さい時期の移動が、想像していた以上に負担だったことです。
赤ちゃんや幼児との移動は、単に「時間がかかる」という話ではありません。授乳やオムツ替えのタイミング、ぐずったときの対応、周囲への気遣いまで含めて、常に気を張った状態が続きます。

長時間の車移動では、チャイルドシートで泣き続ける声に心がすり減り、新幹線では「泣いたらどうしよう」「周りに迷惑をかけたらどうしよう」と落ち着きませんでした。
さらに、慣れない場所での寝かしつけは想像以上に難しく、夜中に何度も起きてしまうことも珍しくありません。

荷物も、毎回「引っ越し?」と思うほどの量になります。
オムツ、着替え、ミルク、離乳食、お気に入りのおもちゃ。
出発前からすでに疲れてしまっている自分に、あるとき気づきました。

「せっかく会いに行くのに、私はずっと余裕がない」
そう感じた瞬間、帰省そのものが目的ではなく、「頑張りすぎる行事」になっているのではないかと、疑問を持つようになりました。

家族全員が疲れ切ってしまう現実

帰省中はなんとか気を張って過ごしても、本当の大変さは帰ってきてからでした。
楽しい思い出よりも先に残るのは、どっと押し寄せる疲労感です。

子どもは生活リズムが崩れ、寝る時間や食事のペースが乱れます。
夜泣きが増えたり、日中ぐずりやすくなったりして、「元に戻るまでに時間がかかるな」と感じることが増えました。

私自身も、帰省後しばらくは家事や仕事に身が入らず、夫も同じようにぐったりしていました。
連休明けなのに、「休んだはずなのに、全然回復していない」そんな感覚が残ったのを、今でもはっきり覚えています。

「これは本当に、今のわが家に必要なことなんだろうか」
そう自問するようになったことが、帰省しない選択を考え始める大きなきっかけでした。

帰省しないと決めたときの正直な気持ち

罪悪感とホッとした気持ちが同時にあった

「今年は帰省しない」
そう決めた瞬間、正直に言うと胸の奥がチクッと痛みました。
親の顔が浮かび、「がっかりさせてしまうかもしれない」「冷たいと思われないだろうか」と、次々に不安が押し寄せてきたのを覚えています。

特別な理由があるわけでもなく、誰かとトラブルがあったわけでもない。
だからこそ、「帰省しない」という選択が、わがままや非常識のように感じてしまいました。

でも同時に、心の奥のほうで、ふっと力が抜ける感覚がありました。
移動の準備をしなくていい、無理に予定を詰め込まなくていい。
「この連休は、家族のペースで過ごしていいんだ」と思えた瞬間、確かにホッとした自分がいたのも事実です。

罪悪感と安心感が同時に存在する。
その矛盾した気持ちに戸惑いながらも、「これが今の正直な感情なんだ」と、少しずつ受け止めるようになりました。

「逃げているのでは?」と自分を責めたことも

決断したあとも、気持ちが完全に落ち着いたわけではありませんでした。
「本当は行けるのに、楽を選んでいるだけなんじゃないか」
「頑張れば行けたんじゃないか」
そんな声が、何度も頭の中に浮かびました。

特に、周りから帰省の話を聞いたり、SNSで家族団らんの写真を見たりすると、その気持ちは強くなりました。
「みんなできているのに、私はできていない」
そんなふうに、自分を責めてしまったこともあります。

それでも、子どもの様子や家の中の空気を見ていると、少しずつ考えが変わっていきました。
帰省をしなかった連休、子どもは穏やかに過ごし、私自身も笑顔でいられる時間が増えていました。

「逃げているのではなく、今の家族を守る選択だった」
そう思えるようになったとき、ようやく自分の決断を肯定できるようになった気がします。

帰省しない理由は家庭ごとに違っていい

体力・仕事・家の事情はそれぞれ違う

帰省しない理由は、誰かに納得してもらえるほど「立派」である必要はないと、私は思っています。
体力がもたない、仕事が忙しい、子どもの性格的に移動が難しい。
どれも、日々の暮らしをちゃんと見て出てきた理由です。

特に子育て中は、思っている以上にエネルギーを使っています。
仕事と家事、育児を回しながら、限られた休みで体力を回復させる。
その中で「長距離移動をする余裕がない」と感じるのは、決して甘えではありません。

また、家の事情も本当にさまざまです。
実家との距離、滞在中の過ごし方、家族構成、子どもの年齢や気質。
一つとして同じ家庭はなく、条件が違う以上、選択が違って当たり前だと感じています。

「今のわが家にとって無理があるかどうか」
それを基準に考えるだけで、帰省の判断はずっとシンプルになる気がしました。

周りと同じにしなくていいと気づいた

SNSを開くと、楽しそうな帰省の様子が目に入ります。
祖父母と笑う子ども、実家でのごちそう、にぎやかな集合写真。
それを見るたびに、「うちはこれでいいのかな」と、心が揺れたこともありました。

頭では分かっていても、無意識に比べてしまう。
「みんなできているのに」「帰省してこそ家族行事なのでは」
そんな思いが浮かんでは、消えない時期もありました。

でも、あるときふと気づいたんです。
画面の向こうに映っているのは、その家庭の一場面であって、すべてではないということ。
そこに至るまでの疲れや葛藤、無理している部分は、見えていないだけかもしれません。

他の家庭の正解が、わが家の正解とは限らない
そう思えるようになってから、帰省に対する焦りや比較の気持ちは、少しずつ薄れていきました。

同じにしなくていい。
違っていていい。
その当たり前を受け入れられたことで、帰省しないという選択も、自然に受け止められるようになった気がします。

親や親戚との関係が心配だった

伝え方に悩んだ実際の会話

帰省しないと決めたあと、次に悩んだのが「どう伝えるか」でした。
決断そのものよりも、親や親戚に話す瞬間のほうが、正直つらかったかもしれません。

私の場合、電話をかける前から何度も言葉を考えていました。
言い訳に聞こえないか、冷たい印象を与えないか。
あれこれ考えすぎて、なかなか切り出せなかったのを覚えています。

実際に伝えたのは、とてもシンプルな言葉でした。
「今は子どもが小さくて、移動が負担になっていて。今回は帰省を見送ろうと思ってる」
理由を飾らず、できるだけ正直に話すことを意識しました。

言葉を選びながら話す時間は緊張しましたが、相手もすぐに感情的になることはなく、「そうなんだね」「大変だよね」と言ってくれました。
すべてを理解してもらえなくても、頭ごなしに否定されなかっただけで、心が少し軽くなったのを覚えています。

すべてを分かってもらえなくてもいい

もちろん、完全に納得してもらえたわけではありません。
電話を切ったあと、「本当は来てほしかったんだろうな」と感じる空気も、正直ありました。

それでも、あとから振り返って思うのは、すべてを分かってもらう必要はなかったということです。
親や親戚の価値観と、今のわが家の状況が違うのは、ある意味自然なことでした。

以前の私は、「分かってもらえない=自分の選択が間違っている」と、無意識に結びつけていた気がします。
でも今は、分かってもらえなくても、その選択が間違いになるわけではないと思えるようになりました。

大切なのは、関係を壊さないことと、無理をし続けないこと。
その両方を守るためには、完璧な説明よりも、誠実な姿勢で伝えることのほうが大事だったのかもしれません。

帰省しない選択は、人間関係を断つことではありません。
距離を取りながらも、つながりを続ける一つの形として、少しずつ受け入れられるようになりました。

帰省しないことで見えてきた、わが家の時間

家で過ごすことで整った生活リズム

帰省しない年の連休は、拍子抜けするほど穏やかでした。
特別なイベントがあるわけでもなく、遠出もしない。
それなのに、家の中の空気がいつもより落ち着いているのを感じました。

子どもは、いつもの時間に起きて、いつもの時間に寝る。
慣れた場所で遊び、安心できる環境の中で過ごす。
それだけで、表情がやわらかくなり、ぐずる時間も減ったように思います。

私自身も、「次は何時に移動しなきゃ」「予定に遅れたらどうしよう」といった焦りがありませんでした。
時計を気にせず、子どものペースに合わせられることが、想像以上に心を楽にしてくれたのです。

生活リズムが守られるだけで、家族全員の気持ちがこんなに安定するんだ
そう実感したのは、この連休が初めてでした。

「ちゃんと休めた」と感じられた連休

連休が終わったあと、「もう一度休みたい」と思わなかったのも、初めての経験でした。
これまでは、帰省や移動で疲れ切り、日常に戻る前から気持ちが重くなっていたのに、このときは違いました。

朝起きて、「また一週間が始まるな」と思いながらも、どこか余裕がありました。
心も体も、ちゃんと回復している感覚があったのです。

休みの間にしたことは、特別なことではありません。
一緒にごはんを食べて、散歩をして、昼寝をして。
それだけなのに、「休みが本当に休みとして機能した」 という感覚が、はっきり残りました。

「連休は疲れるもの」
そう思い込んでいた自分にとって、この気づきは大きなものでした。
無理に予定を詰め込まなくても、家族の時間はちゃんと満たされる。
帰省しない選択が、わが家にとって意味のある時間を運んできてくれたと、今では感じています。

帰省する・しないより大切にしたいこと

「今の家族に合っているか」を基準にする

帰省するかどうかを考えるとき、つい周りの目や慣習を基準にしてしまいがちです。
「毎年帰るもの」「行かないと失礼」
そんな言葉が、無意識のうちに判断を縛っていた気がします。

でも、実際に悩み続けて分かったのは、いちばん大切なのは「今の家族に合っているか」だということでした。
子どもの年齢、体力、生活リズム、仕事の状況。
そのどれか一つが無理をしている状態なら、帰省は「大切な行事」ではなく、「負担」になってしまいます。

世間体や慣習よりも、今の生活を守れるかどうか。
家族が穏やかに過ごせる選択かどうか
そこを基準に考えるだけで、帰省に対する迷いは少し整理されました。

選択を毎年見直してもいい

帰省について、一度決めたら変えてはいけない。
以前の私は、どこかでそう思い込んでいました。

でも、子育てをしていると、状況は毎年のように変わっていきます。
去年は無理でも、今年は行けるかもしれない。
逆に、去年は行けたけれど、今年は厳しいこともあります。

子どもが成長すれば移動も楽になりますし、親の体調や家庭の事情も変わります。
だからこそ、帰省する・しないの判断も、その年ごとに見直していいのだと思います。

一度「帰省しない」と決めたからといって、ずっと同じ選択を続けなくてもいい
その柔軟さを持てたことで、帰省に対するプレッシャーはぐっと減りました。

今は無理をしない。
余裕ができたら、また考える。
そんなふうに、自分たちのペースで選び続けていいのだと、今では感じています。

まとめ|帰省しない選択は「わが家を守る判断」

帰省しないという選択は、決して冷たい決断でも、楽をした結果でもありません。
それは、今の暮らしや家族の状態をきちんと見つめたうえで出した、ひとつの判断だと思っています。

子どもの年齢、体力、仕事、心の余裕。
どれか一つでも無理をしているなら、そのまま続けることが本当に家族のためなのか、一度立ち止まって考えてもいいはずです。
「帰省しない=大切にしていない」ではありません
むしろ、今の生活を守ろうとする気持ちがあってこその選択だと、私は感じています。

もし今、帰省について迷っているなら、誰かの基準ではなく、自分の心に問いかけてみてください。
「無理をしていないか」
「本当はどう感じているか」
答えは、すぐに出なくても大丈夫です。

完璧な判断をしようとしなくていい。
考え続けているその時間そのものが、すでに家族を思っている証だと、私は思います。
正解は一つではありませんし、選択はいつでも見直せます。

あなたの家庭にとって、少し心が軽くなる形が、きっとあります。
今のあなたと家族に合った選択が、穏やかな時間につながりますように。