子どもの行事って、本来は楽しいもののはずなのに、気づけば「準備は全部私だけ」という状態になっていませんか。私も何度も経験があります。気がつけば前日までにやることが山積みで、当日はぐったり。それなのに周りは当たり前のように過ごしていて、なんとも言えないモヤモヤが残るんですよね。

この記事では、そんな「親だけが頑張ってしまう行事準備」に疲れてしまった私の体験と、そこから少しずつラクになれた考え方や工夫をお伝えします。無理をしない関わり方のヒントが、きっと見つかると思います。

行事準備が「親だけ」になってしまう理由

気づけば自然と役割が固定されている

最初は「ちょっと手伝うだけ」のつもりだったのに、気づけば毎回自分が中心になって準備している。そんな流れ、ありませんか。

我が家もまさにそうでした。最初の頃は、「私がやったほうが早いし、確実だし」と思って、つい自分で引き受けてしまっていたんです。誰かに頼むより、自分でやったほうがスムーズに進む。それは間違いではないのですが、その積み重ねが、気づかないうちに「役割」として固定されていきました。

一度その形ができてしまうと、周りも自然とそれを前提に動くようになります。たとえば、夫は「任せて大丈夫なんだ」と思い、子どもも「お母さんがやってくれるもの」と認識していきます。

もちろん、そこに悪気はありません。ただ、こちらが何も言わずに引き受け続けていると、周りから見れば「問題なく回っている状態」に見えてしまうんですよね。

その結果、気づいたときには「自分だけが動いている状態」が当たり前になってしまうという状況に陥っていました。

さらにやっかいなのは、自分自身もその役割に慣れてしまうことです。「私がやるもの」という意識が強くなると、逆に人に任せることに違和感を覚えてしまうこともありました。

「ちゃんとやらなきゃ」が自分を追い込む

行事になると、どうしても「ちゃんとやらなきゃ」という気持ちが強くなりますよね。

私も、

・周りの家庭と比べてしまう
・子どもにいい思い出を作ってあげたい
・せっかくならしっかりやりたい
・失敗したくない

そんな思いが頭の中にどんどん増えていきました。

とくにSNSや周りの話を見聞きすると、「みんなちゃんとやっているように見える」んですよね。おしゃれなお弁当や、しっかり準備された行事の様子を見ていると、「うちもこれくらいはやらないと」と無意識にハードルを上げてしまっていました。

でも、その「ちゃんと」は、本当に必要なものだったのかと後から思います。

本当は、

・子どもが楽しめること
・家族が穏やかに過ごせること

それだけでも十分なはずなのに、「理想の形」に引っ張られてしまっていたんですよね。

その結果、準備の負担はどんどん増えていきました。

やることが増えるほど、「途中で手を抜けない」「ここまでやったんだから最後までやらなきゃ」という気持ちも強くなり、さらに自分を追い込むことになります。

そして気づけば、楽しむための行事なのに、準備の段階で疲れきってしまう…。

そんな状態が続いていました。

今振り返ると、「ちゃんとやらなきゃ」という思い込みが、一番自分をしんどくしていたのかもしれません。

実際にしんどかったエピソード

前日準備で疲れきってしまった運動会

運動会の前日、私はいつもより少し早めに夕飯を済ませて、そこから一気に準備に取りかかりました。

お弁当の下ごしらえ、冷蔵庫の確認、持ち物リストのチェック、子どもの服の準備…。やることを書き出すとシンプルに見えるのに、実際に動くと細かい作業が次から次へと出てきます。

「これもやっておいたほうがいいかな」「明日の朝ラクになるし」と思って手を動かしているうちに、気づけば時間はどんどん過ぎていきました。

ふとリビングを見ると、家族はテレビを見たり、いつも通りの時間を過ごしていました。

そのとき、急に頭に浮かんだんです。

「…あれ、これ全部私だけ?」

誰かに頼めばよかったのかもしれません。でも、そのときの私は「ここまでやってるし、もういいか」と思ってしまっていて。

そのままキッチンに立ち続けながら、なんとも言えない気持ちになりました。

やることは終わっているのに、気持ちは全然スッキリしない。むしろ、じわじわと疲れとモヤモヤが溜まっていく感覚でした。

「誰にも頼らずに頑張っているのに、それが当たり前になっていること」に気づいた瞬間、心の疲れが一気に押し寄せてきたんです。

結局その日は、すべての準備が終わったのが遅い時間になってしまい、ゆっくり休むこともできませんでした。

当日は楽しめないまま終わった

そして迎えた当日。

朝からお弁当の仕上げや最終チェックでバタバタしていて、正直、余裕なんてほとんどありませんでした。

「忘れ物ないかな」「時間間に合うかな」と頭の中は常にフル回転。会場に着いた時点で、すでに少し疲れていたのを覚えています。

いざ運動会が始まっても、

・ちゃんと見なきゃ
・いい写真を撮らなきゃ
・場所取りどうしよう

と、気持ちがずっと“やること”に引っ張られていました。

子どもが一生懸命走っている姿を見ているのに、どこかで「次どう動くか」を考えてしまっていて、純粋にその瞬間を楽しめていなかったんです。

あとから写真を見返しても、「あのときどんな気持ちだったかな」と思い出せない場面もありました。

せっかくの行事なのに、その場に“いる”だけで、ちゃんと“味わえていなかった”ような感覚でした。

そして、すべてが終わって帰宅したあと。

「終わったー」という解放感はあったものの、それ以上に感じたのは強い疲労感でした。

楽しかったはずの運動会なのに、「やりきった」という達成感よりも、「やっと終わった」という安堵のほうが大きかったんです。

本来なら、子どもの頑張りを見て心があたたかくなるはずの一日。

それなのに、「頑張りすぎたせいで、大切な時間をちゃんと楽しめなかった」という気持ちが残ってしまいました。

そのとき初めて、「このやり方はちょっと違うのかもしれない」と、少し立ち止まって考えるきっかけになりました。

「このままじゃ続かない」と思ったきっかけ

来年も同じことをするのかと考えた

そのときにふと思ったんです。

「これ、来年も同じようにやるのかな」と。

運動会が終わったあとの夜、片付けをしながらぼんやり考えていました。体は疲れているのに、気持ちだけが妙に引っかかっていて。「また来年も、同じように準備して、同じようにバタバタして、同じように疲れきるのかな」と想像したとき、少ししんどくなってしまったんです。

一度だけなら頑張れることって、意外と多いですよね。でも、それが「毎年続く」と考えた瞬間に、急に重たく感じることがあります。

・今年だけだから頑張ろう
・今回くらいはちゃんとやろう

そう思ってやってきたことが、気づけば「これが普通」になってしまう。その流れに、少し違和感を覚えました。

それまでの私は、「やるかやらないか」しか考えていなかったんです。でもこのとき初めて、「どうやるか」を選んでもいいんじゃないかと思えました。

「続けられるかどうか」で考えたときに初めて、自分にとって無理のあるやり方だったことに気づいたんです。

その気づきは、小さなものだったかもしれません。でも、自分の中では大きな転換点でした。

家族との時間が削られていた

もう一つ、大きかったのがここでした。

準備に追われている間、私はずっと「やること」に意識が向いていて、家族との時間をあまり大切にできていなかったことに気づいたんです。

たとえば、前日の夜。

本当なら、子どもと「明日楽しみだね」と話したり、一緒に少しワクワクした時間を過ごしたりしたかったはずなのに、私はキッチンに立ちっぱなしでした。

子どもが話しかけてきても、「ちょっと待ってね」と言ってしまったり、心ここにあらずの状態で返事をしてしまったり…。

今思えば、その時間こそが、行事の大切な一部だったのかもしれません。

当日も同じで、余裕がない分、どうしてもピリピリしてしまうことがありました。

・急かしてしまう
・イライラしてしまう
・笑顔が少なくなる

そんな自分に気づいて、少し落ち込んだこともあります。

行事のために頑張っているはずなのに、そのせいで家族との時間がぎこちなくなってしまう。それって、少し本末転倒ですよね。

本来大切にしたいはずの、

・ゆっくり話す時間
・一緒に笑う時間
・穏やかに過ごす時間

そういったものが、知らないうちに削られていたことに、強い違和感を感じました。

そしてそのとき、自然と思ったんです。

「行事の完成度よりも、家族とどんな時間を過ごせるかのほうが大事なんじゃないか」と。

そこから少しずつ、「頑張り方」を見直していこうと思えるようになりました。

私がやめたこと・変えたこと

全部を完璧にやるのをやめた

まずやめたのは、「全部ちゃんとやる」という考え方でした。

それまでは、「せっかくの行事だから」「子どものためだから」と思って、できるだけ手を抜かずに準備していました。お弁当もなるべく手作りで、見た目も整えて、持ち物も完璧に揃えて…。でも、それを続けていくうちに、どんどん自分の負担が増えていったんです。

そこで思い切って、「やらないこと」を決めるようにしました。

・手作りにこだわらない
・市販のものも上手に取り入れる
・必要最低限で整える
・完璧じゃなくてもいいと割り切る

最初は少し罪悪感もありました。「これでいいのかな」と不安になることもありました。でも実際にやってみると、思っていた以上に問題は起きなかったんです。

子どもはお弁当の見た目よりも「一緒に食べる時間」を楽しんでいましたし、多少抜けている部分があっても、行事自体はちゃんと成立するんですよね。

それどころか、余裕ができたことで、子どもと笑って話せる時間が増えたり、当日も落ち着いて過ごせるようになりました。

「やらないことを決める」だけで、心にも時間にも余白が生まれると実感しました。

今では、「全部やること=いいこと」ではないと思えるようになっています。

家族にも少しずつ任せるようにした

もう一つ変えたのは、「自分だけでやらない」ということでした。

とはいえ、いきなり全部を任せるのは正直ハードルが高いですよね。私も最初は、「どう伝えたらいいんだろう」「ちゃんとやってくれるかな」と不安がありました。

なので、まずは本当に小さなことから始めました。

・持ち物チェックを一緒にやる
・子どもに自分の準備を任せてみる
・簡単な作業をお願いする

最初は戸惑いもありました。夫も子どもも、「何をどうすればいいのか分からない」という様子で、逆に時間がかかることもありました。

でも、それでも「一緒にやる」という形を続けていくうちに、少しずつ変わっていったんです。

夫が自然と「これやっておこうか」と声をかけてくれたり、子どもが「自分で準備する」と言ってくれるようになったり…。

以前は私が全部抱えていたことが、少しずつ「家族で分けるもの」に変わっていきました。

そして何より、自分の中でも変化がありました。

「全部自分でやらなくても大丈夫」と思えるようになったことで、気持ちがぐっとラクになったんです。

完璧に分担できているわけではありません。でも、「一人で抱え込まない状態」を作れただけでも、大きな一歩だったと感じています。

結果的に、準備の負担が減っただけでなく、家族で関わる時間そのものも増えていきました。

行事とのちょうどいい距離感の見つけ方

「やる・やらない」の二択にしない

以前の私は、「ちゃんとやるか、やらないか」で考えていました。

「やるならしっかりやる」「できないならやらない」
そんな極端な考え方になっていたんですよね。

でも実際に生活していると、そのどちらかしか選べない状況って、ほとんどないことに気づきました。

たとえば行事ひとつでも、

・全部やるのではなく、一部だけやる
・時間や手間をかけすぎない形にする
・自分たちに合ったやり方に変える

こんなふうに「間の選択」がいくつもあるんですよね。

我が家でも、以前はフルで準備していた行事を、

「お弁当は簡単にする」
「飾りつけは最低限にする」
「無理な部分は思い切ってやらない」

と少しずつ変えていきました。

すると不思議なことに、「ちゃんとやらなくても大丈夫なんだ」と感じられるようになったんです。

むしろ、余裕ができたことで、その行事自体を楽しめるようになりました。

「全部やらなくてもいい」と思えるだけで、気持ちの負担は驚くほど軽くなります。

この考え方に変えてから、行事との距離感が一気にラクになりました。

無理なく続けられるかで考える

もう一つ大きかったのが、「その場の気持ちだけで決めない」ということでした。

行事の直前や当日って、どうしても気持ちが高ぶりやすいですよね。

・せっかくだから頑張ろう
・今年くらいはちゃんとやろう

そう思って無理をしてしまうこともあります。

でも、そのときに少し立ち止まって、

「これ、来年も同じようにできるかな?」

と考えてみるようにしました。

すると、不思議と判断が変わるんです。

・これは続けるのはしんどいな
・ここはもう少しラクにしてもいいかも
・これは無理なくできそう

そんなふうに、自分たちに合ったラインが見えてきます。

さらに、「無理なく続けられるか」という視点を持つことで、気持ちのブレも減っていきました。

その場の勢いで頑張りすぎてしまうことが減り、あとから後悔することも少なくなったんです。

「続けられる形」を基準にすることで、自分たちにとってちょうどいい関わり方が自然と見えてきます。

結果として、行事そのものが負担ではなく、「無理のない楽しみ」として感じられるようになりました。

親の余裕が行事の楽しさを変える

余裕があると子どもとの関わりも変わる

準備を詰め込みすぎていた頃は、どうしても余裕がありませんでした。

頭の中はいつも「やること」でいっぱいで、子どもが話しかけてきても、どこか上の空で返事をしてしまったり、「あとでね」と後回しにしてしまうことも多かったんです。

でも、やることを少しずつ減らしていく中で、自然と「空白の時間」ができるようになりました。

その変化は、自分でも驚くほど大きかったです。

・子どもの話を最後までゆっくり聞ける
・一緒に笑ったり、ふざけたりする時間が増える
・「楽しみだね」と同じ目線で話せる

そんな何気ないやりとりが増えていきました。

以前は、「ちゃんと準備すること」が行事の成功だと思っていました。でも実際は、その前後の時間のほうが、子どもにとっては大切だったのかもしれません。

当日も同じで、余裕があると視野が広がります。

・子どもの表情に気づける
・ちょっとした成長に目を向けられる
・焦らず、その場の空気を楽しめる

そんなふうに、「見る」だけでなく「感じる」ことができるようになりました。

余裕があるだけで、同じ行事でもまったく違う時間に変わると実感しています。

行事よりも大切なものに気づいた

行事はたしかに大切なものですし、子どもにとっても思い出のひとつになりますよね。

でも、少し距離を置いて考えてみたときに、私は気づきました。

それ以上に大切なのは、「日常の時間」なんじゃないかと。

行事は年に数回ですが、日常は毎日続いていきます。

だからこそ、

・家族で穏やかに過ごせること
・笑顔でいられる時間が多いこと
・無理なく関われること

こういった積み重ねのほうが、子どもにとっても大きな意味があると感じるようになりました。

以前の私は、「いい行事にしなきゃ」と思うあまり、その一日に力を注ぎすぎていたのかもしれません。

でも今は、「その前後も含めて、どんな時間になっているか」を大切にしたいと思っています。

たとえば、少し準備を減らしてでも、

・前日にゆっくり話す時間を作る
・当日も穏やかな気持ちで過ごす
・終わったあとに笑いながら振り返る

そんな時間のほうが、あとから振り返ったときに、あたたかく残る気がしています。

「何をするか」よりも「どんな状態でいるか」が、家族の思い出を左右するんだと感じるようになりました。

無理をして疲れきってしまうよりも、少し力を抜いて、穏やかに過ごす。そのほうが、結果的に心に残る時間になることも多いです。

行事との向き合い方を変えたことで、家族の時間そのものが、より心地よくなっていきました。

まとめ|自分たちに合った行事の形を見つけよう

行事準備を親だけが抱え込んでしまうと、どうしても負担は大きくなります。でも、それは「やり方を変えてはいけない」ということではありません。

・全部やらなくてもいい
・少しだけ関わる形でもいい
・家族と分担してもいい

大切なのは、自分たちにとって無理のない形を見つけることです。

一度立ち止まって、「来年も続けられるかな」と考えてみてください。その視点があるだけで、きっと気持ちはラクになります。

完璧じゃなくても大丈夫です。少しずつでも、負担を減らしながら、心地よく行事と付き合っていけたらいいですよね。