育児ノートを書かない家庭もある?無理しない選択の考え方

「育児ノート、ちゃんと書いていますか?」
そんな言葉を聞くたびに、少し胸がチクッとすることはありませんか。SNSには丁寧に記録されたノートの写真。ママ友の「毎日続けてるよ」という何気ない一言。私は正直、何度も挫折しました。続かない自分にがっかりしたこともあります。でも、ふと気づいたんです。育児ノートを書かない家庭も、実は少なくないということに。この記事では、無理をしない選択の考え方について、私の体験を交えながらお話しします。
育児ノートを書かない家庭は実際にある?
周りを見渡すと、きちんと記録している家庭のほうが目につきます。きれいにまとめられたノート、月齢ごとに整理されたアルバム、成長の記録がびっしり書かれたSNS投稿。そういうものを見ると、「やっぱり書いたほうがいいのかな」と、気持ちがざわつくこともありますよね。
でも、実際に一歩踏み込んで話を聞いてみると、「うちは書いてないよ」という家庭も意外と多いんです。
表に出ていないだけで、“書かない選択”をしている家庭は、決して少数派ではありません。
表に出ないだけで少なくない
ある日、保育園の帰り道で仲のいいママと何気ない会話をしていました。
「育児ノート、ちゃんとつけてる?」
「ううん、全然。写真だけは撮ってるけどね」
その言葉を聞いたとき、私は思わず「え、そうなの?」と聞き返しました。
いつも落ち着いていて、きちんとして見える彼女が、まさか“書いていない側”だったなんて。
その一言に、私は肩の力が抜けました。
みんな黙っているだけで、完璧にやっているわけではない。
丁寧に書いている家庭もあれば、写真だけの家庭もあるし、何も残していない家庭もある。
記録の形は、本当に家庭それぞれなのだと気づいた瞬間でした。
「書いていない」とあえて公言する人は少ないだけで、実際はもっと自由でいいのかもしれません。
忙しさの中で優先順位が変わる
共働きで、帰宅は18時過ぎ。
そこから夕飯、お風呂、洗濯、明日の準備、寝かしつけ。やっとソファに座れた頃には、もう21時半。目も頭も限界です。
そんな毎日の中で、ノートを広げて丁寧に振り返る時間をつくるのは、簡単ではありません。
「今日は何があったっけ」
そう思い出そうとするころには、自分のほうが先に眠気で記憶がぼやけている。
ノートを開く余裕がない日が続くと、「もういいや」と閉じてしまう気持ちも、私はよく分かります。
最初は「今日だけ休もう」のつもりが、気づけば1週間。白紙のページが増えるほど、再開のハードルは高くなっていきます。
でもそれは、怠けているからではありません。
単純に、毎日の暮らしがそれだけ忙しいということ。
育児ノートを書かない家庭は、子どもを大切にしていないのではなく、限られた時間と体力の中で優先順位を選んでいるだけなのです。
夕飯を温かいうちに食べさせること。
一緒にお風呂で笑うこと。
寝る前に「今日も楽しかったね」と声をかけること。
その時間を確保するために、ノートを後回しにする。
それは「手を抜いている」のではなく、「今の暮らしに合った選択」をしているだけなのかもしれません。
書かないという選択の裏には、それぞれの家庭の事情と、ちゃんと子どもを思う気持ちがある。
私はそう思うようになってから、少しだけ心が軽くなりました。
書かないことに罪悪感を抱いてしまう理由
「もう書かなくていいかな」と思ってノートを閉じたはずなのに、心のどこかがざわざわする。
ふとした瞬間に、白紙のページを思い出してしまう。私も長い間、そのモヤモヤの正体が分かりませんでした。
書かないという選択をしたのは自分なのに、なぜか落ち着かない。
それは、ただの習慣の問題ではなく、もっと深いところに理由があったのだと思います。
「ちゃんとやっている母」のイメージ
どこかで、「丁寧に記録している母=ちゃんとしている母」というイメージを持っていませんか。
私も、無意識のうちにそう思い込んでいました。
育児ノートをきれいにまとめている人を見ると、「すごいな」と思うと同時に、「私はできていないな」と比べてしまう。
ノートを書かなかった日は、自分が少し雑な母親になったような気がしてしまったのです。
でもよく考えてみると、それは誰かに決められた基準ではありません。
勝手に自分でつくった“理想の母親像”に、自分が追いついていないだけ。
「ちゃんとしているかどうか」を、ノートの有無で測ってしまっていたこと自体が、私の思い込みだったのです。
育児は目に見えにくいものだからこそ、何か形に残るものがあると安心する。
その安心を、ノートに求めすぎていたのかもしれません。
将来後悔するのではという不安
もうひとつ大きかったのは、未来への不安でした。
「あとで見返したくなったらどうしよう」
「小さい頃の記録が何もなかったら、子どもが寂しがるかも」
まだ起きてもいない未来を想像して、今の自分を責める。
それは、優しさの裏返しでもあります。
子どもの思い出を、ちゃんと残してあげたい。
大きくなったときに、「こんなことがあったね」と笑い合いたい。
その気持ちがあるからこそ、「やらない選択」に不安を感じてしまうのです。
でも、ある夜。ノートのことを気にして落ち込んでいた私に、夫がぽつりと言いました。
「覚えてなくても、そのときちゃんと一緒にいたなら、それでよくない?」
その言葉に、私はハッとしました。
記録がなくても、その日、その瞬間に笑い合っていたなら、それはもう十分な思い出ではないか。
写真がなくても、文章がなくても、心の中にはちゃんと残っているものがある。
後悔を恐れて今を苦しくするよりも、今を穏やかに過ごすほうが、きっとずっと大切。
そう思えたとき、罪悪感は少しずつ小さくなりました。
書かない選択は、逃げではありません。
今の自分と家族にとって無理のない形を選ぶこと。
それもまた、ひとつの誠実な育児のかたちなのだと、私はようやく思えるようになりました。
書かない選択が悪いわけではない
ここで一度、立ち止まって考えてみたいのです。
「書かない」という選択は、本当にいけないことなのでしょうか。
ノートを閉じた日の私は、どこか後ろめたさを抱えていました。でも、冷静に考えてみると、悪いことをしたわけではない。ただ“やらないと決めた”だけなのです。
それでも苦しくなるのは、「やらない=怠けている」という思い込みが心のどこかにあるからかもしれません。
記録と愛情はイコールではない
ノートが何冊もあっても、子どもと向き合う時間がなければ意味がない。
逆に、記録がなくても、毎日笑ったり怒ったり、一緒に過ごした時間は確かに積み重なっています。
私がはっとしたのは、ある夜のことでした。
寝る前に子どもがぎゅっと抱きついてきて、「今日も楽しかったね」と言ったのです。その日の私は、ノートを書く余裕なんてありませんでした。でも、その一言を聞いたとき、「ああ、これでいいのかもしれない」と思えました。
育児ノートを書かないことは、育児を手放すことではありません。
この言葉を、私は何度も自分に言い聞かせました。
書いていないからといって、愛情が減るわけではない。
書いていないからといって、関わりが薄くなるわけでもない。
むしろ、書くことに追われてイライラしていた頃よりも、今のほうが穏やかに向き合えている気がします。
記録はあくまで「手段」であって、「愛情の証明」ではない。
そう思えるようになってから、気持ちはずいぶん軽くなりました。
子どもは「ノート」を覚えているわけではない
大人になったとき、子どもが覚えているのは何でしょうか。
きれいに書かれたノートの文章でしょうか。
それとも、抱きしめられた感覚や、一緒に笑った時間でしょうか。
私は、自分の子ども時代を思い出してみました。母がどんな記録を残してくれていたのかは、正直ほとんど覚えていません。でも、夕方一緒に台所に立ったことや、寝る前に読んでもらった絵本のぬくもりは、今でもはっきり思い出せます。
子どもが心に残すのは、紙の上の言葉よりも、そのときの空気や温度なのかもしれません。
記録があることは素敵です。でも、それがなくても、毎日の中で交わした視線や笑顔は消えません。
その積み重ねこそが、子どもにとっての「思い出」になるのだと思います。
記録よりも、今の関わり。
その視点に立てたとき、私はようやく肩の力を抜くことができました。
書くことを選んでもいい。書かないことを選んでもいい。
大切なのは、目の前の子どもと、今日どう過ごすか。
その問いに素直に向き合えているなら、もうそれだけで十分なのだと、私は思っています。
それでも迷うときのゆるい代替案
完全にやめるのが不安なら、形を変えてみるのもひとつです。
「毎日書けない=やめるしかない」と思うと、選択肢が急に狭くなってしまいます。でも実際は、もっと間があっていい。0か100かではなく、20くらいの力で続く形を探せばいいんだと思います。
私も何度も「書けない→自己嫌悪→放置」を繰り返しました。
だからこそ、続かなかった自分を責めるより、“続く形に変える”ほうが現実的だと感じています。
写真だけ残す
私は今、文章はほとんど書いていません。その代わり、スマホの写真はなるべく残しています。
子どもが公園で拾ったどんぐり、保育園から持ち帰った制作物、夕飯を一緒に混ぜている手元。そういう小さな瞬間を、サッと撮っておくだけ。
写真って不思議で、見返すとその日の匂いや空気までふわっと戻ってきます。
文章にしなくても、「あの日こんな顔してたな」「この頃はこれにハマってたな」と思い出せる。十分、立派な記録です。
もし可能なら、こんなふうに“ゆるいルール”を決めるのもおすすめです。
月に1回だけ、お気に入りを10枚選ぶ
行事の日だけは必ず撮る
子どもが笑った瞬間だけ撮る
全部を残そうとしないほうが、あとで見返しやすいんですよね。
アルバムアプリにまとめるだけでも、本当に十分です。
一言メモにする
「今日はよく笑った」
「初めて自分で靴を履いた」
これくらいの一言なら、寝かしつけ後の数十秒でもできます。
長く書こうとすると、書けなかった日が負担になります。でも一言なら、空白があっても罪悪感が増えにくい。
私が続けやすかったのは、次のような“型”を決めておくことでした。
今日のひとこと
できたこと1つ
親が助かったこと1つ
たとえば、「靴を自分で履いた」「ご飯の途中で眠くなって抱っこ」「寝る前にぎゅっとしてきた」でもいい。
上手にまとめる必要はなくて、メモはメモでいいんです。
続けるコツは、内容を立派にしようとしないこと。
これに気づいてから、私はかなり楽になりました。
年に一度まとめる
毎日は無理。でも、節目ならできそう。
そういう家庭にとって、誕生日や年末に1年を振り返る方法はすごく相性がいいです。
たとえば、誕生日の夜に家族でこんな話をするだけでもいい。
「この一年で、いちばん変わったことって何だろう」
「いちばん笑った出来事は?」
「親として助かったアイテムは?」
その会話を、スマホのメモに箇条書きするだけでも、立派な育児記録になります。
毎日書けなかった自分を責めるより、年に一度でも振り返れるほうが、むしろ残るものが濃いこともあります。
「1年分の写真+一言まとめ」くらいの形にすると、後から見返す楽しみも増えます。
自分に合う「ちょうどいい形」を探していい
完璧な形にこだわらなければ、方法はいくらでもあるのだと、私も途中で気づきました。
育児ノートは、義務ではなく、家庭のためのツールです。続かないなら、合っていないだけ。あなたがダメなんじゃありません。
書く日があってもいい。書かない日があってもいい。
写真だけでもいいし、一言だけでもいいし、年一回でもいい。
大切なのは、“続けられる形”を選ぶこと。
それが見つかれば、育児ノートはあなたを追い詰めるものではなく、暮らしをそっと支える味方になってくれるはずです。
わが家が「書かない」を選んだ理由
最終的に、わが家は毎日の育児ノートをやめました。
何度も「やっぱり再開しようかな」と思いながら、白紙のページを前にため息をついた日もあります。それでも、ある夜、私はふと気づいたのです。ノートを書こうとしている時間、子どもはすでに眠っていて、私は疲れ切っている。そこに余裕はありませんでした。
夜の時間をどう使いたいかを考えた
理由はシンプルです。
夜の時間を、少しでも早く寝ることや、夫婦で話す時間に使いたかったから。
子どもが寝たあと、静かなリビングでノートを開く。
その時間が、どこか「やらなければいけない作業」になっている自分に気づきました。
それよりも、
30分早く布団に入る
夫と今日あった出来事を少し話す
何もせずにぼーっとする
そんな時間のほうが、次の日の自分を助けてくれると感じたのです。
限られた時間の中で、何を優先するかを選ぶことは、手抜きではなく暮らしの調整だと思いました。
ノートを閉じた日の不安
ノートを閉じたその日、正直少し不安でした。
「やっぱり後悔するかもしれない」
「子どもが大きくなったとき、残しておけばよかったと思うかも」
そんな声が、心の中で何度も繰り返されました。
でも、数か月たってみると、困ることは何もありませんでした。
むしろ変わったのは、私のほうでした。
夜の寝不足が減り、朝のイライラが少し減った。
余裕がある日は、子どもの話をゆっくり聞けるようになった。
「早く寝なさい」と急かす回数も減った気がします。
ノートの代わりに、笑顔が少し増えた。
それなら、それでいいのかもしれないと思えました。
今のわが家に合う形を選ぶ
どれが正解かは分かりません。
毎日きちんと記録する家庭も、本当に素敵だと思います。
でも、今のわが家には、この形が合っている。それだけは確かです。
育児は、何年も続く長い時間です。
その中で、ずっと同じやり方を続けなくてもいい。子どもの成長や、自分たちの働き方によって、形は変わっていいのだと思います。
「やめる」という選択は、投げ出すことではありません。
今の自分たちに合うやり方に、そっと整え直すこと。
そう思えるようになってから、私はノートのことを考えても、もう胸がチクッとしなくなりました。
これから先、また書きたくなる日が来たら、そのときは再開すればいい。
今は今の形で、目の前の子どもと向き合っていく。それで十分だと、私は思っています。
まとめ|育児ノートは「書かない」選択もあっていい
育児ノートを書かない家庭も、確かにあります。
書く家庭もあれば、書かない家庭もある。ただそれだけの違いです。
ノートを続けられる人がすごいわけでも、続けられない人がだめなわけでもありません。暮らしの形が違えば、余裕の形も違う。育児の正解が一つではないように、記録の形も一つではないのだと思います。
もし今、続かない自分を責めているなら、一度こう問いかけてみてください。
「今の私に、無理はないかな?」
この問いを立てられるだけで、もう十分です。
なぜなら、無理をしているときほど、私たちは「頑張らなきゃ」を優先してしまい、気づいたときには心も体も限界に近づいているから。
育児は長い道のりです。
一日二日なら頑張れても、それが何か月、何年と続くと、どこかで息切れします。だからこそ、続けられる形に整えることは、甘えではなく、育児を続けていくための大事な工夫だと思います。
毎日ノートを書けなくても、子どもを思う気持ちはちゃんとそこにあります。
朝、急いで靴を履かせるとき。
夜、布団の中で背中をさするとき。
熱を出したときに、少しでも楽にしてあげたくて動くとき。
そういう場面のひとつひとつに、すでに愛情は入っています。
育児ノートがなくても、あなたの育児が薄くなることはありません。
それでも不安が残るなら、今日できる小さな形から始めてみてもいいと思います。
写真を1枚だけ残す
「今日のひとこと」をスマホにメモする
月に1回だけ、振り返ってみる
全部やらなくていい。完璧にしなくていい。
「私にできる範囲で」だけで十分です。
あなたの家庭に合った形でいい。
書いてもいいし、書かなくてもいい。途中でやめてもいいし、また戻ってもいい。
今日からできることは、たった一つ。
自分にこう言ってあげることです。
「今のわが家に合う形を選んでいい」
無理のない選択を、今日から少しずつ選んでいきましょう。














