運動会が近づくと、うれしい気持ちと同時に「お弁当どうしよう……」とため息が出ること、ありませんか。前日からの仕込み、早起き、周りの目、子どもの期待。全部が重なって、正直しんどいと感じてしまう。
私も何度か、運動会のお弁当が理由で気持ちが重くなったことがあります。でも、ある年を境に「頑張り方」を変えたことで、心がずいぶん楽になりました。

この記事では、運動会のお弁当作りがしんどいと感じる理由を整理しながら、無理を減らす考え方や、わが家で実際に取り入れてきた工夫をお伝えします。「ちゃんとやらなきゃ」から少し距離を置くヒントになればうれしいです。

なぜ運動会のお弁当はこんなにしんどく感じるのか

行事と家事が一気に重なる負担

運動会の日は、ただ「お弁当を作る日」ではありません。
いつもより早く起きてお弁当を詰め、子どもを送り出し、忘れ物がないか気にして、時間に追われながら学校へ向かう。そこから場所取りや応援があり、終われば片付けや午後の予定が待っています。

普段なら分散している家事や気遣いが、すべて同じ一日に詰め込まれる。それだけで、体も気持ちも消耗しやすくなります。
しかも運動会は「失敗したくない行事」でもあるので、無意識のうちに緊張していることも多いんですよね。

「朝からずっと気を張っている感じがする」
「座っているのに、なぜか疲れる」

そんな感覚があるとしたら、それはあなたが怠けているからではありません。普段以上に多くの役割を一人で抱えている状態だから、しんどく感じるのはとても自然なことです。

周りと比べてしまう気持ち

運動会のお弁当がしんどくなる理由には、「人の目」も大きく関係しています。
「他の家はどんなお弁当なんだろう」「うちだけ手抜きって思われないかな」。そんな考えが、ふと頭をよぎることはありませんか。

SNSで見たきれいなお弁当、過去の運動会の記憶、誰かの何気ない一言。
それらが重なって、「ちゃんとしなきゃ」という気持ちを必要以上に強めてしまうことがあります。

本当は比べなくていいと分かっていても、行事の場はどうしても“見られている感覚”が強くなりがちです。
特に、周りが家族単位で集まる運動会では、「家庭の在り方」まで比べてしまうこともあります。

でも実際は、他の家庭のお弁当を細かく覚えている人はほとんどいません。
それでも苦しくなるのは、自分自身が自分に厳しい目を向けてしまっているからなのかもしれません。

「簡単すぎるかな」と感じた時点で、もう十分に家族のことを考えています。
比べてしまう自分を責めず、「そう感じるくらい、ちゃんと向き合っているんだ」と受け止めてあげてください。

「ちゃんと作らなきゃ」が自分を追い込んでいた

理想像が無意識にハードルを上げる

私の場合、「運動会のお弁当=特別で豪華なもの」というイメージが、いつの間にか頭の中にできあがっていました。
唐揚げ、卵焼き、彩りのあるおかず、フルーツにデザート。どこかで見た写真や、昔の記憶が基準になっていたのだと思います。

その理想を前提にしてしまうと、「今日はそこまでできないな」と感じた瞬間に、できない自分にがっかりしてしまいます。
本当は誰かに言われたわけでも、求められたわけでもないのに、自分で自分のハードルを上げて、苦しくなっていたんですよね。

一度立ち止まって考えてみると、その理想は「今の自分」や「今の家庭」に合っているものではありませんでした。
仕事や家事、体力のことを考えれば、毎年同じように頑張れるわけがない。それなのに、過去の自分や理想像と比べてしまっていたのです。

理想を持つこと自体が悪いのではなく、その理想に縛られてしまうことが、しんどさの原因になっていたと気づいてから、少し気持ちが楽になりました。

「子どものため」が自分の負担になっていないか

「子どものためだから頑張らなきゃ」。
この気持ちは、親としてとても自然で、まっすぐな想いだと思います。私もずっと、そう思って動いてきました。

でも、その「頑張らなきゃ」が積み重なりすぎると、当日を楽しむ余裕がなくなってしまいます。
朝からピリピリしていたり、疲れ切って笑顔が出なかったり。そんな自分に、また落ち込んでしまうこともありました。

ある年、ふと気づいたことがあります。
子どもは、お弁当の中身を細かく評価しているわけではなく、「一緒に食べた時間」や「声をかけてもらえたこと」をよく覚えているということです。

「おいしいね」「頑張ったね」と言い合いながら食べた時間のほうが、唐揚げが手作りかどうかより、ずっと大切だったのかもしれません。

子どものために頑張ることと、自分をすり減らすことは同じではない
そう思えるようになってから、「できる範囲でやればいい」と、自分に言えるようになりました。

運動会のお弁当は、愛情を証明する場ではありません。
今の自分が笑顔でいられる形を選ぶことも、十分「子どものため」なのだと思います。

無理を減らしても、運動会はちゃんと成り立つ

お弁当を「特別」にしすぎない選択

わが家では、ある年をきっかけに、運動会のお弁当を「特別な一日用」から「普段のお弁当+少しだけ特別」へと切り替えました。
全部を一から作るのではなく、冷凍食品を上手に使う、前日の夕飯の残りを取り分ける、果物は皮をむかずにそのまま持っていく。たったそれだけで、準備にかかる時間も気力も大きく減りました。

以前は「手作りじゃないとダメ」「運動会なんだから豪華に」と思い込んでいましたが、実際にやってみると、当日の負担が軽くなった分、気持ちに余裕が生まれました。
朝から慌てずに済み、忘れ物にも落ち着いて対応できる。応援にも集中できて、「今日は長い一日だな」という疲れ方が変わった気がします。

運動会のお弁当は、特別である必要はあっても、無理をする必要まではない
そう割り切れたことで、「これでいい」と思える基準が、自分の中にできました。

家族で役割を分ける

もう一つ、気持ちが楽になった大きな理由が、「全部を一人でやらない」と決めたことです。
それまでは、お弁当のことは私が全部やるもの、という前提で動いていました。でもそれは、誰かに強制されたわけではなく、自分で背負い込んでいただけだったのかもしれません。

「唐揚げは買ってきてもらう」「おにぎりは子どもと一緒に握る」「詰めるのは家族でやる」。
役割を少し分けるだけで、作業そのものが“孤独な準備”から“家族の時間”に変わりました。

完璧な段取りではなくても、「一緒にやった」という感覚が残ると、不思議と達成感があります。
子どもも「これ、私が入れたんだよ」とうれしそうに話していて、その様子を見て「これで十分だったな」と思えました。

すべてを一人で抱え込まなくても、運動会はちゃんと回るし、家族の思い出は残る
そう実感できたことが、何よりの収穫だったと思います。

子どもは意外と中身を細かく見ていない

喜んでいたのは、別のところだった

運動会が終わった帰り道、私の子どもは「今日のお弁当、おいしかったね」と何気なく言いました。
正直、その言葉を聞いたときは少しほっとしました。朝からバタバタしていたし、「ちゃんとできていたかな」と不安もあったからです。

でも、「どれが一番おいしかった?」と聞いてみると、返ってきたのは「ウインナーとデザート!」という答えでした。
それ以外のおかずについては、ほとんど覚えていない様子。品数や彩り、手間をかけたかどうかは、子どもにとってあまり重要ではなかったようです。

よくよく話を聞いてみると、印象に残っていたのは
・友だちと並んで食べたこと
・外で食べたこと
・「お疲れさま」と声をかけてもらえたこと
そうした“時間”や“空気”でした。

子どもが覚えているのは、お弁当の完成度より、「誰と、どんな気持ちで食べたか」なのかもしれない
そう気づいたとき、「そこまで頑張らなくてもよかったんだ」と、肩の力が抜けました。

親の笑顔はちゃんと伝わる

以前の私は、運動会の日はどこか余裕がなく、気づくと眉間にしわを寄せていることがありました。
疲れているのに、「ちゃんとしなきゃ」という気持ちが抜けず、笑顔を作る余裕がなかったのだと思います。

でも、少し手を抜くようになってから、当日の自分の表情が変わりました。
朝もバタバタしすぎず、子どもに声をかける余裕ができて、「頑張ったね」と自然に言えるようになったのです。

子どもは、大人が思っている以上に、親の表情や雰囲気をよく見ています。
しんどそうにしている親より、多少お弁当が簡単でも、笑って応援してくれる親のほうが、安心できるのだと思います。

無理を減らすことは手抜きではなく、家族の一日を守るための選択
そう考えるようになってから、運動会という行事そのものを、前より穏やかな気持ちで迎えられるようになりました。

お弁当の中身を完璧にするより、当日の自分の心に余白を残すこと。
それが、子どもにとっても、きっと大切な思い出につながっていくのだと思います。

「しんどい」と感じた自分を責めなくていい

その感覚は、頑張っている証拠

運動会のお弁当がしんどいと感じると、「私、余裕がないのかな」「みんなは普通にやっているのに」と、自分を責めてしまうことがあります。
でも、その感情は、適当にやっているから生まれるものではありません。むしろ、家族のことを考え、ちゃんと向き合っているからこそ出てくる気持ちです。

「ちゃんと作れるかな」「当日大丈夫かな」と考える時間そのものが、すでに十分な頑張りです。
準備が大変だと感じるのは、運動会という一日を大切にしたいと思っている証拠でもあります。

「しんどい」と感じた時点で、もうあなたは必要以上に手を抜いているわけではない
そこまで気を配っている自分を、まずは認めてあげていいのだと思います。

年ごとに形が変わっても大丈夫

去年は余裕があって頑張れたけれど、今年はどうしても無理。
そんな年があっても、何もおかしくありません。

家庭の状況、仕事の忙しさ、体調、子どもの成長段階。
どれも毎年少しずつ変わっていきます。だから、運動会のお弁当だけが、ずっと同じ形である必要はないはずです。

「去年と比べてできていない」と思うと、気持ちが沈んでしまいますが、比べる相手は過去の自分ではなく、「今の自分」でいい。
今の自分にできる範囲で選んだ形なら、それは立派な判断です。

運動会のお弁当は、その年その年の暮らしに合わせて変えていいもの
無理をしない選択をした年があっても、それは手抜きではなく、家族を守るための調整です。

できない年があるからこそ、余裕のある年に感謝できる。
そうやって、行事との向き合い方も少しずつ変わっていっていいのだと思います。

まとめ|運動会のお弁当は「頑張りすぎない」でいい

運動会のお弁当作りがしんどいと感じたときは、まず一度立ち止まって、自分の気持ちに目を向けてみてください。
「ここまで頑張らなきゃいけないのかな」「今の自分にとって、本当に必要な準備って何だろう」。そんな問いを持つこと自体が、すでに家族のことを大切に考えている証です。

完璧なお弁当を用意することが、良い運動会の条件ではありません。
それよりも、当日を迎える自分の気持ちに余裕があるか、子どもの頑張りを落ち着いて見られるか。そこに目を向けてみてください。

完璧なお弁当より、余裕のある気持ち。
豪華さより、当日を楽しめる体力。

この基準で選んだお弁当なら、きっと後悔は少ないはずです。

「これでいい」と思える形は、家庭ごとに、年ごとに違っていて当たり前。
去年と同じでなくても、誰かと比べなくても、その選択は間違いではありません。

次の運動会では、「ちゃんと作る」より「無理をしない」を大切にしてみてください
その余白が、家族みんなにとって、穏やかであたたかな一日につながっていくはずです。