春が近づくと、「今年はお花見どうする?」という話題が自然と出てきます。SNSには、満開の桜の下で楽しそうに過ごす家族写真が並び、見ているだけで少し気持ちが揺れることもありました。

わが家も以前は「子どもが小さいうちに連れて行ったほうがいいのかな」と悩んだ一方で、準備や人混みを思うと腰が重くなる年もありました。そして今年、私たちは「子連れでお花見に行かない」という選択をしました。
結論から言うと、その選択に後悔はありません。行かなかったからこそ見えた、今の家族に合った春の過ごし方があったからです。

この記事では、子連れでお花見に行かなかった理由と、その選択をして見えてきた家族に合った春の過ごし方についてお伝えします。

子連れお花見をやめようと思ったきっかけ

一番の理由は、気持ちと体力のバランスでした。
春の行事として定番のお花見ですが、子連れとなると「楽しみ」だけでなく「負担」も同時に思い浮かびます。桜の名所はどこも混雑しがちで、ベビーカーでの移動は思うように進まず、トイレは長蛇の列。食事のタイミングもずれやすく、子どもがぐずらないか、常に気を張っていなければなりません。

頭では、「せっかくの季節だし、行ったほうが思い出になるよね」「写真も撮っておきたいな」と分かっていました。
でも正直なところ、準備から当日の流れまでを想像しただけで、気持ちが少し重くなってしまって。ワクワクよりも、「ちゃんとできるかな」「疲れないかな」という不安のほうが先に立っていたのです。

そのとき気づいたのは、「行事だから行く」「みんな行っているから行く」と、自分の本音を後回しにしようとしていたことでした。
そこで一度立ち止まり、「今年は無理に行かなくてもいいかも」と、自分の気持ちをそのまま認めてみました。

この小さな判断が、私にとっては大きな一歩でした。
やめると決めた瞬間、肩の力がすっと抜けて、「今のわが家に合う過ごし方を選んでいいんだ」と思えたのです。
お花見をやめた理由は、怠けでも諦めでもなく、今の暮らしとちゃんと向き合った結果だったのだと、今は感じています。

行かなかったことで感じた、正直な気持ち

行かないと決めた直後は、正直に言うと少しだけ不安もありました。
「やっぱり行ったほうがよかったかな」「子どもに大切な季節の体験をさせてあげられなかったのでは」と、ふとした瞬間に考えてしまうこともあります。頭では納得して選んだはずなのに、周りの様子が目に入ると、気持ちが揺れるのは自然なことでした。

特に、満開の桜の写真や「今年も行ってきました」という投稿を見ると、「うちは何もしていない気がする」と、少しだけ取り残されたような感覚になることもありました。
それでも当日を迎えてみると、予想していた不安とは違う時間が流れていました。

家でゆっくり朝を迎え、カーテン越しに見える桜の色を眺めたり、混雑を避けて近所を散歩したり。子どもは自分のペースで歩き、気になった花や虫に立ち止まり、そのたびに会話が生まれます。
急かされることも、予定に追われることもなく、ただ「今」を一緒に過ごす感覚がありました。

そのとき、「ああ、今日はちゃんと穏やかだな」と、心が静かになるのを感じました。
慌ただしさのない一日が、こんなにも気持ちを軽くしてくれるということに気づけたのは、行かなかったからこその発見だったと思います。

結果的に、「行かなかった」という選択は、何かを失った決断ではありませんでした。
むしろ、今の自分たちに必要だった余白を、ちゃんと受け取れた一日だったと感じています。

周りと比べてしまったときの考え方

SNSを見ると、どうしても「楽しそう」「ちゃんとしている」家庭の様子が目に入ります。
満開の桜の下でお弁当を広げている写真や、家族そろって笑顔のお花見ショットを見るたびに、「みんなちゃんと季節の行事をしているな」と感じてしまうことがありました。

そのたびに、「うちは行ってないな」「何もしていない気がするな」と、無意識に比べてしまう自分もいました。
本当は自分で選んだはずなのに、周りの情報に触れると、選択がぐらつく。そんな経験、きっと多くの人があると思います。

でも少し時間がたって、冷静に考えてみると気づいたことがありました。
SNSに映っているのは、その家庭にとっての“切り取られた一日”であって、すべてではないということです。楽しそうに見える裏側には、準備や移動の大変さがあるかもしれませんし、その家庭なりの事情や工夫があるはずです。

そう考えると、「他の家庭の一日は、その家庭に合った形なだけ」という言葉が、すっと腑に落ちました。
わが家の基準で選んだ一日なら、それで十分そう思えるようになってから、比べる気持ちは少しずつ和らいでいきました。

比べることで生まれる焦りは、今の暮らしを見えにくくしてしまいます。
それよりも、「今日は家族が穏やかに過ごせたか」「自分に無理はなかったか」と、自分たちの足元に目を向けるほうが、ずっと大切だと感じています。

子どもにとって大切だったこと

お花見に行かなかったからといって、子どもが春を感じられなかったわけではありません。
桜の名所に足を運ばなくても、春は日常の中にちゃんとありました。散歩道に咲く桜を見て「きれいだね」と立ち止まったり、風に舞う花びらを追いかけたり。そんな何気ない時間の中でも、季節は十分に伝わっていたように感じます。

家に帰ってから、春がテーマの絵本を一緒に開いたり、「さっきの桜、ピンクだったね」と会話をしたりする時間もありました。
特別な場所や大きなイベントがなくても、子どもは大人の言葉や表情を通して、季節を感じ取っているのだと思います。

そして何より大きかったのは、大人である私自身に余裕があったことです。
混雑や時間に追われることがなかった分、子どものペースに合わせて歩き、話を聞き、気持ちに寄り添うことができました。
大人が落ち着いて関われたこと自体が、子どもにとっての安心感につながっていたと、今は感じています。

行事を「ちゃんとこなす」ことよりも、穏やかな気持ちで一緒に過ごすこと。
それが、子どもにとって本当に大切な記憶になるのかもしれません。

「行かない選択」をしてよかったと思えた理由

もしあのとき、「せっかくだから」「行かないと後悔しそうだから」と無理をしてお花見に行っていたら、きっと楽しい思い出と同時に、疲れや小さなイライラも残っていたと思います。
人混みの中で子どもの手を引き、時間を気にしながら動き、帰宅後はぐったり。そんな一日を想像すると、心から「行ってよかった」と思えたかどうかは分かりません。

それよりも、今の生活リズムや家族の状態に合わせて選べたことが、私にとっては何より大きかったです。
子どもの成長段階、私自身の体力、その時期の忙しさ。そうした要素を無視せず、「今はこういう過ごし方が合っている」と判断できたことに、納得感がありました。

この経験を通して感じたのは、行事は「やる・やらない」で白黒をつけるものではない、ということです。
行事は、「どう関わるか」「どんな距離感で向き合うか」を選べるものその考え方に気づけたことで、気持ちがとても楽になりました。

お花見に行かなくても、春はちゃんと迎えられます。
今のわが家に合った距離感で季節と向き合えたことに、派手さはなくても、静かな満足感が残りました。
その感覚こそが、「行かない選択」をしてよかったと思えた一番の理由だと感じています。

まとめ|子連れお花見に行かなかった選択も、家族を大切にする形

子連れでお花見に行かなかったからといって、何かが欠けたわけではありません。
それは、手を抜いた選択でも、諦めでもなく、今の暮らしと気持ちを丁寧に見つめたうえでの、ひとつの判断だったと思います。

子育てをしていると、「ちゃんとやれているか」「周りと比べて遅れていないか」と、不安になる場面がたくさんあります。
行事ごとになると、なおさらその気持ちは強くなりがちです。
もし今、「行かないのはよくないかな」「子どもにとってマイナスだったかな」と迷っているなら、その迷い自体が、家族を思って真剣に考えている証だと感じます。

無理に周りに合わせなくて大丈夫です。
桜の名所に行くことだけが、春を感じる方法ではありません。家の近くを歩くこと、同じ景色を一緒に眺めること、穏やかな気持ちで過ごすことも、立派な春の思い出になります。

あなたの家庭に合った春の過ごし方を、少し肩の力を抜いて選んでみてください。
その選択が、きっとあとから振り返ったとき、「あの年の春は、ちょうどよかった」と思える時間につながっていくはずです。