運動会が近づくと、どこか気持ちが重くなる。
楽しみなはずの行事なのに、「正直しんどいな…」と感じている親は、実は少なくありません。私自身、子どもが成長するにつれて、運動会を前向きに楽しめない自分に気づくようになりました。

朝早くからの準備、仕事の調整、人付き合い、そして終わったあとのぐったり感。
この記事では、「運動会 親 しんどい」と感じてしまう理由を、私の体験を交えながら整理していきます。
「自分だけじゃなかった」と少し安心できて、来年はほんの少しラクに向き合える。そんなヒントをお届けできたら嬉しいです。

運動会が近づくと気持ちが重くなる理由

運動会の案内プリントを見た瞬間、胸がざわっとする。
それは「行きたくない」という気持ちとは少し違って、やること・考えることが一気に頭に押し寄せる感覚に近いものだと思っています。

「もうそんな時期か」「今年も来たな」
カレンダーを見ながら、無意識のうちにため息が出ることもありました。
楽しみな気持ちがゼロなわけではないのに、心が先に疲れてしまう。そんな自分に、少し戸惑うこともあります。

日程調整や準備が想像以上に負担になる

共働き家庭だと、まず立ちはだかるのが仕事の調整です。
「この日は休めるかな」「半休で足りるかな」「代わりの人はいるかな」
運動会そのものよりも、その前段階のやり取りでエネルギーを使ってしまうことがあります。

職場に迷惑をかけたくない気持ちと、子どもの行事を大切にしたい気持ち。
その間で揺れながら予定を組む時間は、正直なところ気が重いものです。
「行事=調整が大変」というイメージが先に立ってしまうのも、無理はないと感じています。

さらに、準備も地味に負担がかかります。
お弁当が必要かどうか、レジャーシートはいるのか、服装は体操服だけでいいのか。
プリントを何度も読み返して、「これで合ってるよね?」と家族で確認するやり取りが続きます。

前日の夜になって、
「明日、帽子いるんだっけ?」
「水筒は大きいほう?」
そんな会話が飛び交う我が家は、毎年ちょっとしたバタバタ状態です。

準備そのものは特別難しいわけではない。
でも、忙しい日常の中に“非日常の段取り”が入ってくることが、想像以上に負担になっているのだと思います。

だからこそ、運動会が近づくと気持ちが重くなる。
それは怠けているからでも、行事を大切にしていないからでもなく、毎日の生活を回しながら親として向き合っている証なのだと、私は感じています。

当日の朝からすでに疲れている

運動会は、始まる前から体力を使います。
特に小さい子がいる家庭では、当日の朝が一番の山場かもしれません。

まだ眠気が残る中で起きて、いつもより早いペースで身支度を進める。
その時点で、「今日は長い一日になりそうだな」と感じることがあります。
運動会は“始まってから頑張る行事”ではなく、“朝からフル稼働の一日”だと、毎年実感しています。

早起き・場所取り・お弁当問題

以前は、少しでも見やすい場所を取ろうと早起きしていました。
レジャーシートを持って学校へ向かい、場所を確保しただけで一仕事終えた気分。
その時点で、もう一日の元気を半分使ってしまったような感覚でした。

最近は「もう無理はしない」と決めて、場所取りはほどほどにしています。
それでも朝は慌ただしく、余裕があるとは言えません。

お弁当がある場合は、
「これで足りるかな」「詰めすぎたかな」と最後まで悩みながら準備。
お弁当がない年でも、水筒やタオル、敷物など、持ち物の確認に追われます。

その横で、
「ママ、靴どこ?」
「もう行くの?まだ?」
と子どもたちの声が重なり、気づけば頭の中はフル回転です。

準備をしながら時計を気にして、忘れ物がないか確認して、子どもの機嫌にも目を配る。
その積み重ねで、家を出る頃には「もう十分頑張った気がする…」と思ってしまうこともあります。

始まる前から疲れている自分に気づいたとき、
「もっと楽しめたらいいのに」と思ったこともありました。
でも今は、そう感じるのも自然なことだと思えるようになりました。

運動会の朝がしんどいのは、それだけ親が一人で背負っている役割が多いから。
まずはそこに気づくだけでも、少し気持ちが軽くなる気がしています。

周りの親との関わりがしんどい

運動会がしんどい理由として、意外と大きいのが「人との距離感」だと感じています。
競技そのものよりも、その場にいる“親同士の空気”に気を使ってしまうことが、心の疲れにつながることも少なくありません。

普段は送り迎えで軽く挨拶する程度の関係でも、運動会では長時間、同じ場所で過ごすことになります。
その距離の近さが、思っている以上にプレッシャーになることがありました。

知らない親との会話や比較がつらい

顔見知り程度の保護者と並んで座り、何となく会話をする。
沈黙が続くと気まずく感じて、天気や競技の話題を振ってみる。
そんなやり取りを「自然にできたらいいのに」と思いながら、実は少し緊張しています。

悪気がないと分かっていても、
「去年はうちの子がリレーでアンカーでね」
「もう〇〇ができるようになってて」
そんな話を聞くと、気持ちがザワつくことがありました。

自分の子どもと比べてしまったり、
「ちゃんと応援できてるかな」
「周りからどう見えてるかな」
と、必要以上に意識してしまう自分に気づくこともあります。

特に、
「ちゃんと応援しなきゃ」
「感じよくしなきゃ」
「浮かないようにしなきゃ」
そんなふうに無意識に気を張っていると、心のエネルギーがどんどん削られていきます。

本当は、子どもを見ることだけに集中したい。
でも現実には、人間関係のバランスを取りながらその場にいる。
その“見えない気疲れ”が、運動会をしんどく感じさせている大きな要因なのだと思います。

無理に輪に入らなくてもいいし、会話が少なくても問題はありません。
そう分かっていても、気を使ってしまうのが親心。
だからこそ、「疲れてしまう自分」を責めなくていいと、私は思っています。

子どもの頑張りを見たい気持ちと現実のギャップ

本当は、子どもの成長を心から楽しみにしています。
練習してきたことを発揮する姿を見たいし、頑張っている瞬間を目に焼き付けたい。
運動会は、そんな思いが一番強くなる行事でもあります。

でも現実は、頭の中で思い描いていた通りには進まないことが多いです。
「今日はしっかり見よう」と思っていても、いろいろな事情が重なって、その気持ちが叶わない場面に何度も直面してきました。

思い通りに見られない・応援できない

人が多くて前が見えない。
少し場所を変えようと動いている間に、競技が始まってしまう。
下の子がぐずってトイレに行っている間に、上の子の出番が終わっていた。

「あれ、今走った?」
そんな言葉が、思わず口から出たこともあります。

ビデオを回そうとしていたのに、カメラの準備に手間取って撮れなかったり、
応援したい気持ちはあるのに、抱っこや荷物で手がふさがっていたり。
“見たい気持ち”と“現実の動き”が噛み合わない瞬間が、どうしても生まれてしまいます。

それでも子どもは、競技が終わったあとにキラキラした表情で、
「見てた?」
「どうだった?」
と聞いてきます。

その一言に、胸が少し痛くなる。
ちゃんと見てあげられなかったこと、全力で応援できなかったこと。
「ごめんね」という気持ちが、あとからじわじわ残ることもありました。

でも今振り返ると、子どもが本当に求めているのは、完璧な観客としての親ではないのかもしれません。
競技のすべてを見ていなくても、結果を知らなくても、
帰り道に話を聞いてあげること、家で「頑張ったね」と声をかけること。
その積み重ねが、子どもにとっての安心につながっているのだと感じています。

理想通りに見られなくても、応援が途切れてしまっても、
その場に来て、気にかけていたこと自体が、もう十分だった。
そう思えるようになるまでには時間がかかりましたが、今は少しずつ受け止められるようになりました。

終わった後のどっとくる疲労感

運動会が終わると、まず「終わった…」という安堵感があります。
でもその直後、身体と気持ちの両方に、一気に疲れが押し寄せてくる。
私にとって運動会は、終わった瞬間がゴールではなく、そこからが本当の疲れの始まりでした。

片付け・帰宅後まで含めて運動会

家に帰ると、現実が待っています。
洗濯機に入れきれないほどの洗濯物、砂だらけの靴、使ったままのレジャーシートや水筒。
「今日はもう何もしたくない…」と思いながらも、最低限のことだけはやらなきゃいけない夜です。

靴を洗う気力はなく、とりあえず玄関に置いたまま。
洗濯物も「今日は回すだけでいい」と自分に言い聞かせます。
頭では分かっているのに、身体がまったくついてこない感覚。
一日中、気を張っていた反動が、ここで一気に出てくるように感じます。

そんな中、子どもはテンション高めです。
「リレーでね」「転びそうになってね」と、楽しかった話を次々と話してくれる。
その横で、私はソファから立ち上がれず、「うんうん」と相槌を打つのが精一杯。

この温度差に、
「もっとちゃんと聞いてあげたいのに」
「楽しかったねって、笑顔で返したいのに」
と、少しだけ自己嫌悪を感じたこともありました。

でも、今なら思います。
それだけ疲れるのは、朝から晩まで全力で向き合っていた証拠だということ。
子どもが楽しめた一日を支えるために、親も同じだけエネルギーを使っていた。
その疲労感は、決して無意味なものではありません。

何もできない夜があってもいい。
ごはんが簡単なものになってもいい。
まずは「今日はよくやった」と、自分に声をかけてあげる。
運動会の一日は、そんなふうに締めくくっていいのだと、今は思っています。

「しんどい」と感じるのは悪いことじゃない

ここまで振り返って思うのは、運動会がしんどいと感じるのは、決してわがままでも、気合が足りないからでもないということです。
むしろ、それだけ親が真剣に向き合っているからこそ、心も身体も疲れてしまうのだと思います。

「楽しめていない自分はダメな親なのかな」
そんなふうに思ったこともありました。
でも今は、その考え方自体が、親を追い込んでしまっていたのかもしれないと感じています。

親の負担が大きい行事だからこそ

運動会は、子どもにとっては非日常の楽しいイベントです。
友だちと走ったり、応援したり、特別な一日として記憶に残る時間。
その一方で、親にとっては準備から片付けまで含めて、かなりのエネルギーを使う行事でもあります。

当日までの段取り、仕事の調整、人との関わり、体力面の負担。
表には見えにくいけれど、親が担っている役割は想像以上に多いです。

だからこそ、
「しんどい」と感じるのは、それだけ本気で子どもの行事に向き合っている証拠
この考え方にたどり着いたとき、少しだけ気持ちが楽になりました。

すべてを楽しめなくてもいい。
笑顔でいられない瞬間があってもいい。
それでも、子どもの成長を大切に思っている気持ちまで否定する必要はありません。

「今日は疲れたな」と感じる自分を、そのまま認めてあげる。
運動会は、親にとっても頑張った一日。
そう受け止められるようになると、次の行事への向き合い方も、少し変わってくる気がしています。

まとめ|運動会がしんどいと感じたら立ち止まっていい

運動会が親にとってしんどい理由は、決して一つではありません。
事前の準備、当日の段取り、人との距離感、そして終わった後まで。
そのすべてが重なって、気づかないうちに心と体に負担が積み重なっていきます。

だから、「運動会がつらい」「正直しんどい」と感じてしまうのは、とても自然なことです。
楽しめない自分を責める必要も、無理に前向きになろうとする必要もありません。

もし今、気持ちが重くなっているなら、立ち止まってみてください。
「今日はここまででいい」
「全部やらなくても大丈夫」
そうやって、自分にかけるハードルを少し下げるだけでも、心はずいぶん楽になります。

完璧にこなそうとしなくていい。
すべての競技を見られなくてもいい。
できる範囲で関わり、その場にいるだけでも、それは十分すぎるほどの応援だと、私は思います。

来年の運動会は、少しだけ肩の力を抜いて。
「しんどい」と感じる自分も含めて、その一日を受け止めてみてください。
親が無理をしすぎず、穏やかでいられること。
その姿そのものが、きっと子どもにとって安心につながっています。

運動会は、子どもの成長を祝う日であると同時に、親もよく頑張った日。
そう思えたら、それで十分なのだと思います。