初節句をやらない選択は後悔する?家庭ごとの考え方

初節句が近づくと、「やったほうがいいのかな」「でも正直、余裕がない…」と悩みませんか。
私自身、子どもが生まれて初めて迎える節句の時期に、同じように迷いました。周りを見ると、立派な雛人形や五月人形を用意して、お祝いをしている家庭も多い。一方で、夫婦ともに忙しく、「そこまでできないかも」と感じる自分もいて。
この記事では、「初節句をやらない選択」をしたときに本当に後悔するのかどうかを、私自身の体験や周りの家庭の話を交えながら整理していきます。答えは一つではありませんが、読み終えたときに少し気持ちが軽くなる考え方をお伝えできたらと思います。
初節句とは何をする行事なのか
そもそも初節句の意味
初節句とは、赤ちゃんが生まれてから初めて迎える節句をお祝いする行事のことです。
女の子の場合は3月3日の桃の節句、男の子の場合は5月5日の端午の節句が該当します。
もともと節句は、季節の変わり目に体調を崩しやすいことから、邪気を払い、無事に過ごせるよう願うための行事でした。そこに「子どもの誕生」という節目が重なり、初節句は赤ちゃんの健やかな成長と命の無事を願う特別な行事として受け継がれてきた背景があります。
昔は、祖父母や親族が集まり、立派な雛人形や五月人形を飾り、ごちそうを囲んでお祝いするのが一般的でした。家族全体で「この子がここまで無事に育ってくれたこと」を喜び合う、そんな意味合いがとても強い行事だったのだと思います。
現代の初節句は家庭ごとに形が違う
一方で、現代の初節句は大きく形を変えています。
核家族化が進み、共働き家庭も増えた今、昔と同じように準備や段取りをするのは簡単ではありません。
実際には、
・大きな雛人形・五月人形を用意する家庭
・省スペースのコンパクトな飾りを選ぶ家庭
・人形は用意せず、写真撮影だけにする家庭
・ケーキや食事でささやかにお祝いする家庭
など、考え方は本当にさまざまです。
ここで大切なのは、初節句には「こうしなければならない」という絶対的な決まりはないということです。形式よりも、「子どもの成長を願う気持ち」が本来の中心にあります。
私自身も調べていく中で、「立派にやらなきゃいけない行事」だと思い込んでいたことに気づきました。でも実際は、家庭の状況や価値観に合わせて形を変えていい行事なのだと分かり、少し肩の力が抜けたのを覚えています。
初節句は、誰かと比べるための行事ではありません。
その家庭なりのペース、その家庭なりの想いで向き合っていい節目なのだと思います。
初節句をやらない理由は珍しくない
忙しさや体力的な余裕がない
私が一番強く感じたのは、体力と気力の問題でした。
産後間もない時期は、生活リズムが大きく変わります。夜泣きでまとまった睡眠が取れず、昼間も赤ちゃん中心の生活。気づけば一日があっという間に終わっている、そんな毎日でした。
その中で、初節句の準備を考える余裕がなかったのが正直なところです。
人形を選び、飾る場所を考え、食事の段取りをして、写真のことも考えて…。頭では「やったほうがいいのかな」と思いながらも、心と体が追いつかない状態でした。
この感覚、決して特別なものではありません。
産後の時期は、ただ日々を乗り切るだけで精一杯になる家庭が多いと、後から周りの話を聞いて感じました。
経済的な負担が気になる
初節句は、思っている以上にお金がかかります。
人形代だけでなく、飾り一式、食事やケーキ、写真撮影をすればさらに出費が増えます。
我が家も、「ここまで今やる必要があるのかな」と悩みました。
赤ちゃん用品や生活費がかかる時期だからこそ、優先順位を考えたくなるのは自然なことだと思います。
実際、「今は最低限にして、余裕ができてから形を変えてお祝いする」という選択をする家庭も多く、それは決して後ろ向きな判断ではありません。家計を守ることも、家族を大切にする立派な選択だと感じています。
親族との距離感
初節句の悩みで意外と大きいのが、親族との距離感です。
実家や義実家が近い場合、「ちゃんとやらないといけないのでは」と感じることもありますし、逆に遠方で関わりが少ない場合は、簡単に済ませる家庭もあります。
私自身も、「期待されているかも」「何か言われたらどうしよう」と考えたことがありました。でも実際には、親族との関係性や価値観によって、正解はまったく違います。
大切なのは、誰かの理想に合わせることではなく、今の家庭状況に無理がないかどうか。
初節句をどうするかは、家族ごとの事情があって当たり前で、「やらない理由」があること自体、決して珍しいことではありません。
そう思えたとき、少しだけ気持ちが楽になりました。
初節句をやらなかった人が感じる後悔とは
「やっておけばよかったかも」という気持ち
実際に多いのは、「強い後悔」というよりも、ふとした瞬間に胸に浮かぶ「やっておけばよかったかな」という小さな気持ちです。
日常生活の中では特に気にしていなかったのに、あるきっかけで思い出すことがあります。
たとえば、SNSで初節句の写真が流れてきたとき。
色鮮やかな雛人形や、楽しそうな家族写真を見て、「うちは何もしていなかったな」と感じる瞬間があります。また、数年後に子どもの写真を整理していて、「この時期、何か残しておけばよかったかも」と思うこともありました。
ただ、その気持ちは長く引きずるものではなく、ほんの一瞬の引っかかりのようなものです。
「あのときできなかった自分」を責めるというより、「余裕があればやりたかったな」と振り返る感覚に近いと感じています。
後悔の正体は「比較」から生まれることが多い
この「やっておけばよかったかも」という気持ちをよく考えてみると、原因は意外とシンプルでした。
それは、「自分たちが本当にやりたかったかどうか」ではなく、他の家庭と比べてしまったことから生まれているという点です。
もし周りの情報を目にしなければ、「やらなかった」という選択に違和感を持たなかったかもしれません。
でも、他の家庭の様子を見たときに、「うちは足りなかったのかな」「ちゃんとできていなかったのかな」と感じてしまう。そんな気持ちが、後悔のような形で現れることがあります。
特に初節句は、「初めて」「一度きり」という言葉が強調されやすい行事です。だからこそ、比べるほどに気持ちが揺れやすくなるのだと思います。
でも、本来の初節句は、他の家庭と比べるためのものではありません。
そう気づいてからは、「あのときの自分たちには、あの選択が精一杯だった」と、少し穏やかに振り返れるようになりました。
後悔に見える気持ちの多くは、実は「比較」から生まれた一時的な感情。
そう捉えるだけでも、心の重さはずいぶん軽くなる気がします。
初節句をやらなくて後悔しなかったケース
家族が納得して決めていた
初節句をやらなくて後悔しなかった家庭に共通しているのは、「やらない」という選択を、なんとなくではなく、きちんと話し合って決めていたことだと感じます。
夫婦で、「今の生活状況」「体力や気持ちの余裕」「本当に大切にしたいこと」を共有した上で決めていると、あとから気持ちが揺れにくいのです。
「今は余裕がないから無理をしない」
「形式にこだわらず、別の形でお祝いしよう」
こうした理由を言葉にしておくことで、「やらなかった」という事実よりも、「考えた上で選んだ」という感覚が残ります。自分たちで納得して決めた選択は、時間が経っても後悔に変わりにくいと、周りの話を聞いていても感じました。
別の形で思い出を残していた
初節句をしなかった家庭でも、「何もしていなかった」わけではないケースはとても多いです。
たとえば、家でスマホで写真を1枚撮るだけでも、その日の記録はちゃんと残ります。ケーキを買って家族で囲む、ゆっくり過ごす時間を意識する。それだけでも、「節目を大切にした」という感覚は持てます。
大切なのは、行事として形を整えることではなく、「この子の成長を嬉しいと思った気持ち」を残せたかどうかだと思います。
形は小さくても、子どもを想う気持ちは、ちゃんと記憶と記録に残るのだと、私自身も感じました。
後から写真を見返したとき、「この日はこうだったね」と話せる思い出が一つでもあれば、それは立派なお祝いです。
初節句をどう過ごすかは自由。大きな行事にしなくても、家族なりの温度で向き合えた時間があれば、それで十分なのだと思います。
後悔しないために考えておきたいポイント
「やる・やらない」ではなく「どう関わるか」
初節句は、何かを「やるか・やらないか」を決める行事ではないと、私は感じています。
大切なのは、イベントを一通りこなすことではなく、「この節目をどう受け止めるか」「家族としてどう関わるか」という部分です。
人形を飾ることだけが初節句ではありません。
子どもの成長を思いながら、その日を少し特別に意識すること自体が、すでに初節句の本質なのだと思います。行事を“完了させる”より、気持ちを向けることのほうがずっと大切。そう考えると、選択肢は一気に広がります。
将来の自分がどう感じそうかを想像する
迷ったときに役立ったのが、「今」ではなく「少し先の自分」を想像することでした。
数年後、アルバムを見返したとき、どんな気持ちになりそうか。写真が1枚もないと寂しく感じるのか、それとも「この頃は大変だったね」と笑って流せるのか。
将来の自分が求めるのは、立派な行事の記録かもしれませんし、たった1枚の写真かもしれません。「後でどんな自分でいたいか」を基準に考えると、選択がぐっと現実的になります。
無理のない範囲で「余白」を残す
完璧にやろうとすると、初節句は一気に負担になります。
準備・お金・時間・体力。そのすべてが揃わないと「ちゃんとできていない気がする」と感じてしまうからです。
一方で、完全に何もしないと、あとから少しだけ気持ちが引っかかることもあります。
だからこそおすすめなのが、「全部やらない」でも「何もしない」でもない、余白を残す選択です。少しだけ関わる余地を残しておくことで、気持ちに逃げ道が生まれます。
写真を1枚撮る、子どもに声をかける、その日を覚えておく。
その小さな余白が、後悔を大きくしないための支えになると、私は感じています。
我が家が選んだ初節句との向き合い方
当時の正直な気持ち
我が家は、いわゆる「きちんとした初節句」はしませんでした。
人形を用意して、親族を呼んで、お祝いの席を整える。そうしたイメージは頭にありましたが、現実はそこまで手が回らなかったというのが正直なところです。
産後の生活は想像以上に余裕がなく、毎日をこなすだけで精一杯でした。
「今は無理をしないほうがいい」「これ以上、自分たちを追い込まないほうがいい」。そんな気持ちが、夫婦の間で自然と共有されていきました。
もちろん、周りと比べて不安になったこともあります。
SNSで流れてくる初節句の写真を見て、「うちは何もしていないな」と感じたこともありました。それでも、あの時の私たちには、行事を完璧にこなすより、日々を穏やかに過ごすことのほうが大切だったと思っています。
今振り返って思うこと
数年経った今、初節句をきちんとやらなかったことに対して、強い後悔はありません。
むしろ、「あの時は本当に大変だったよね」と、夫と笑って話せる思い出の一つになっています。
当時は余裕がなかった分、今だからこそできることもあります。
写真を見返しながら節句の話をしてあげたり、「こんな時期だったんだよ」と伝えたり。節句は一日限りの行事ではなく、後からでも家族の物語として語り直せるものだと感じました。
初節句をどう迎えたかは、家族ごとに違って当たり前です。
我が家にとっては、「無理をしなかった」という選択そのものが、今につながる大切な判断だったのだと思っています。
まとめ|初節句をやらない選択は家庭の答えでいい
初節句をやらないからといって、必ず後悔するわけではありません。
実際に多くの家庭を見ていて感じるのは、後悔の有無を分けるのは「やったか・やらなかったか」ではなく、「その選択に自分たちが納得できていたかどうか」だということです。
忙しさや体力、経済的な事情、親族との距離感。
家庭ごとに置かれている状況は本当に違います。だからこそ、どの家庭にも同じ正解を当てはめる必要はありません。今の暮らしや気持ちを大切にして選んだ判断なら、それは十分に尊重されていい選択だと思います。
もし今、「やらないと後悔するかな」「ちゃんとできていない気がする」と迷っているなら、完璧を目指さなくても大丈夫です。
人形を用意しなくても、立派なお祝いをしなくても、写真を1枚撮る、子どもに声をかける、その日を意識する。そんな小さな関わり方も、立派な初節句の形です。
そして、今日すべてを決める必要もありません。
「今は無理をしない」「後からできることを考えよう」そうやって一度立ち止まることも、大切な判断です。
「わが家にとって無理のない初節句って何だろう」
そう考える時間そのものが、すでに子どもを想い、家族の形を大切にしている証だと、私は思います。













