ひな祭りが近づくたびに、「今年もちゃんとやらなきゃ」と、どこか気持ちが重くなっていませんか。飾り付け、料理、写真、実家への報告。やることを思い浮かべるだけで、ため息が出る年もあります。私も以前は、毎年同じように準備していました。でも、ある年に思い切ってひな祭りを簡単にしてみたことで、気づいたことがありました。それは、行事の形を変えても、家族の気持ちはちゃんと残るということ。

この記事では、ひな祭りを簡単にした年に私が感じたことや、迷いながら選んだ理由、そしてその後の心の変化をお話しします。「簡単にしてもいいのかな」と悩んでいる方の、少し肩の力が抜けるきっかけになればうれしいです。

ひな祭りを簡単にしようと思ったきっかけ

忙しさと気持ちの余裕のなさに気づいた

その年は、仕事と育児が重なり、毎日が本当にあっという間に過ぎていました。平日は帰宅してから、夕飯の準備、お風呂、寝かしつけまでノンストップ。ようやく一息つくころには、もう夜遅くなっていて、「ひな祭りどうしよう」と考える余裕は正直ありませんでした。

それまでは、「忙しくても行事はちゃんとやるもの」「子どものためだから頑張らなきゃ」と思い込んでいました。でもある日、ふと洗面所の鏡に映った自分の顔を見て、驚くほど疲れていることに気づいたんです。
行事を大切にしたい気持ちはあるのに、そのために自分がすり減っているその状態に、強い違和感を覚えました。

ひな祭りは本来、子どもの健やかな成長を願う行事のはずです。それなのに、準備を思うだけで気が重くなり、余裕がなくなっている自分がいる。このまま「やらなきゃ」で進むのは、何かが違う気がしました。その違和感こそが、「今年は簡単にしてみよう」と思えた一番最初のきっかけでした。

「毎年同じでなくていい」と思えた瞬間

もう一つ大きかったのは、「ひな祭りは毎年同じ形でやらなくてもいいのかもしれない」と思えたことです。これまでは、去年と同じ飾りを出して、同じような料理を用意して、同じ角度で写真を撮る。それが当たり前で、安心でもありました。

でも同時に、「今年もこれをやらなきゃ」という、見えない縛りになっていたのも事実です。子どもは去年より成長していて、生活リズムも変わっている。仕事の状況や、体力、気持ちの余裕も毎年同じではありません。それなのに、行事だけがずっと同じ形である必要があるのだろうかと、ふと立ち止まりました。

そう考えたとき、「今年のわが家に合う形を選んでいい」という発想が浮かびました。完璧に再現しなくてもいいし、去年と比べなくてもいい。行事は続けることより、今の暮らしに合っているかどうかのほうが大切なのかもしれない。そう思えた瞬間、肩の力が抜けて、気持ちが少し軽くなったのを覚えています。

この二つの気づきが重なって、「今年のひな祭りは、簡単にしてみよう」と自然に思えるようになりました。無理をしない選択をしてもいい。そう自分に許せたことが、その後のひな祭りの向き合い方を大きく変えてくれました。

実際に簡単にしたひな祭りの内容

飾りは最小限にした

その年のひな祭りは、大きな段飾りは出さず、小さなひな人形だけを棚の上に置きました。箱から出して、ほこりを軽く払って、並べる。それだけの準備です。以前は、屏風や雪洞、小物まできちんと揃えて、時間をかけて飾っていました。でも今回は、「ここまでやらなくてもいい」と自分で線を引きました。

最初は少し物足りない気もしましたが、いざ飾ってみると、意外とそれで十分でした。部屋にひな人形が一組あるだけで、空気がふわっと春らしくなるんです。子どもも「おひなさまだね」と嬉しそうに近づいて、じっと眺めていました。
飾りの数や豪華さより、子どもの目にちゃんと届くかどうかのほうが大事だったのだと、このとき初めて実感しました。

準備が簡単だと、「出すのが面倒」「片付けが大変」という気持ちも減ります。その結果、飾ること自体を前向きに楽しめるようになったのも、大きな変化でした。

料理は「特別感」だけ意識した

食事についても、以前のように品数を揃えたり、すべて手作りにしたりはしませんでした。ちらし寿司は、できるだけ簡単な工程で作り、あとはスーパーで買ったお惣菜を少し足すだけ。それでも、ひなあられや彩りのある食材を添えると、食卓はちゃんとひな祭りらしく見えました。

以前は「せっかくだから」と気合いを入れて作りすぎて、当日はぐったりしてしまうこともありました。でもその年は、準備に追われなかった分、食卓に座るときの気持ちが全然違いました。
料理を頑張りすぎなかったことで、家族との会話を楽しむ余裕が生まれたのです。

子どもも「これおいしいね」「今日はひな祭りだね」と、自然に行事を感じてくれていました。豪華であることより、「いつもと少し違う」が伝われば、それで十分なのだと思いました。

写真を撮らなくてもいいと決めた

その年は、写真についても大きな考え方の変化がありました。以前は「ちゃんと残さなきゃ」と思って、何枚も撮影し、撮り直しまでしていたこともあります。でも今回は、そのプレッシャーを手放すことにしました。

必要だと思った一枚だけ撮って、あとはカメラを置く。そう決めたことで、子どもの表情や声、その場の空気に意識が向くようになりました。
記録を残すことより、その瞬間をちゃんと味わうことを優先できたひな祭りだったと思います。

あとから振り返っても、写真の枚数が少ないことが気になることはありませんでした。それよりも、「あのとき、こんな話をしたな」「こんな顔で笑っていたな」という記憶のほうが、はっきりと残っています。写真を減らしたことで、思い出が薄くなるどころか、むしろ濃くなったように感じました。

簡単にしたことで感じた気持ちの変化

「やらなかった」ではなく「選んだ」と思えた

ひな祭りを簡単にしたあと、不思議なくらい後悔はありませんでした。それは、「できなかった」「手を抜いてしまった」という感覚ではなく、「この形を自分で選んだ」という納得感があったからだと思います。以前なら、「本当はもっとやるべきだったかも」と気持ちが引っかかっていた場面でも、その年はそう感じませんでした。

行事を簡単にすることは、何かを諦めることだと思っていました。でも実際は、無理をしない形を選び取っただけでした。やらないことへの罪悪感よりも、自分で決めたという安心感のほうがずっと大きかったのです。
ひな祭りは「やらなければならない義務」ではなく、「家庭ごとに選んでいい行事」なのだと、心から実感できた出来事でした。

子どもとの距離が近くなった

準備や段取りに追われなかった分、自然と子どもに向ける視線が増えました。「このおひなさま、かわいいね」「こっちとこっち、どっちが好き?」そんな何気ない会話が、特別に意識しなくても生まれてきます。

以前は、料理をしながら時計を気にしたり、飾りが崩れていないかを気にしたりして、どこか落ち着かない気持ちで過ごしていました。でもその年は、子どもの反応をゆっくり見て、言葉を受け止める余裕がありました。
完璧を目指さなかったからこそ、子どもとの時間そのものに集中できたのだと思います。

行事をきちんと整えることより、一緒に過ごす空気を大切にできたことで、「ちゃんとひな祭りをした」という実感が、以前よりも強く残りました。

周りと比べなくなった

SNSを見ると、豪華な段飾りや手作り料理、きれいに撮られた家族写真がたくさん並びます。以前の私は、それを見て「うちは全然できていないな」と落ち込んだり、焦ったりすることがありました。

でも、ひな祭りを簡単にしたその年は、不思議とそうした気持ちが湧いてきませんでした。自分たちの家庭で納得できる形を選べていたからだと思います。
比べる必要がなくなったのは、「わが家の基準」がはっきりしたからでした。

誰かの正解を追いかけるより、今の暮らしに合っているかどうか。それを大切にできるようになると、行事そのものがぐっとラクになります。周りと比べなくなったことで、ひな祭りが評価されるイベントではなく、家族のための時間に戻ったように感じました。

ひな祭りを簡単にすることへの不安との向き合い方

「手抜きでは?」という気持ち

ひな祭りを簡単にすると決めたとき、真っ先に浮かんだのは「これって手抜きなのかな」という不安でした。特に、実家のことや周りの家庭の様子を思い浮かべると、「ちゃんとやらないといけない気がする」という気持ちが、どこかに残っていたのだと思います。

でも、ふと立ち止まって考えてみました。ひな祭りは、誰のための行事なのか。親の評価のためでも、周囲と比べるためでもなく、本来は家族、とくに子どものための行事のはずです。その答えにたどり着いたとき、基準が自然と変わりました。
家族が笑顔で過ごせているかどうか、それこそが一番大切な判断軸なのだと気づいたんです。

無理をして準備して、当日イライラしてしまったり、疲れ切ってしまったりするよりも、穏やかな気持ちで一緒に過ごせるほうが、子どもにとっても心地いいはずです。そう考えるようになってから、「頑張りすぎない選択も、ちゃんとした気遣いなんだ」と思えるようになりました。

来年どうするかは決めなくていい

ひな祭りを簡単にしたからといって、「これが正解」「来年も同じにしなきゃ」と決めてしまう必要はありません。その年の暮らし、体力、仕事の状況、子どもの成長段階によって、ちょうどいい形は変わっていきます。

その年は簡単にしたけれど、来年は少し余裕があれば、もう少し手をかけたくなるかもしれません。逆に、また簡単にしたくなる年もあるでしょう。行事の形を毎年見直していいと思えたことで、ひな祭りへのプレッシャーがぐっと減りました

一度選んだ形に縛られず、「今年はどうしたいかな」と考える余白を残しておく。その柔らかさが、行事を長く続けるコツなのかもしれません。完璧を目指さなくても、続け方は一つじゃない。そう思えるようになったことで、ひな祭りとの向き合い方が、少しずつ楽になっていきました。

簡単なひな祭りでも大切にできたこと

行事の意味を言葉で伝えた

飾りや料理を最小限にした分、その意味を子どもに伝える時間を意識して作りました。ひな人形を前にして、「ひな祭りはね、元気に大きくなることを願う日なんだよ」と話すだけでも、行事の空気はちゃんと伝わります。難しい説明は必要なく、短い言葉で十分でした。

以前は、準備や段取りに追われて、行事の意味までゆっくり話す余裕がなかったように思います。でも、その年は落ち着いた気持ちで向き合えたからこそ、子どもの反応もよく見えました。「そうなんだ」「だからおひなさまがあるんだね」と、子どもなりに受け取ってくれている様子が伝わってきました。
形を整えることより、想いを言葉にすることのほうが、子どもの心に残ると感じた瞬間でした。

家族で過ごす時間を優先した

準備や片付けに時間を取られなかったことで、ひな祭り当日はゆったりとした時間が流れていました。一緒におやつを食べたり、少し早めに布団に入って絵本を読んだり。特別なイベントを用意しなくても、「今日はひな祭りだね」と自然に感じられる一日になりました。

以前は、行事をきちんとやろうとするほど、時間に追われてしまいがちでした。でもその年は、「何をするか」よりも「どう過ごすか」を大切にできた気がします。
家族が同じ空間で、穏やかな気持ちで過ごせたこと自体が、いちばんのひな祭りだったと思えるようになりました。

行事を簡単にしても、大切なものまで失われるわけではありません。むしろ、余白ができたことで、本当に大事にしたい時間や気持ちが、自然と浮かび上がってきました。

まとめ|ひな祭りを簡単にした年に感じたこと

ひな祭りを簡単にした年、私は「行事は、頑張り方を選んでいいものなんだ」と、心から実感しました。豪華にしなくても、すべてを完璧に揃えなくても、家族の中に残る気持ちは何も減らなかったからです。むしろ、余裕が生まれたことで、行事そのものを穏やかな気持ちで受け止められるようになりました。

以前は、「ちゃんとやらなきゃ」「周りと同じくらいは」という思いが先に立っていました。でも実際に簡単にしてみて感じたのは、行事の価値は、準備の量や完成度では決まらないということでした。子どもがひな人形を見て笑ったこと、食卓で交わした何気ない会話、その日の空気。それらが、ひな祭りの思い出として、ちゃんと心に残っています。

もし今、「今年は簡単にしたいな」「少ししんどいかも」と感じているなら、その感覚を無視しなくて大丈夫です。今日すべてを完璧に整えなくても、ひな祭りはちゃんと迎えられます。飾りを一つだけ出す、料理を一品だけ用意する、写真は一枚にする。そんな小さな選択でも十分です。

あなたの家庭に合った形を選ぶこと自体が、立派なひな祭りだと、私は思います。無理のないところから、今の暮らしに合ったやり方を選んでみてください。その選択が、きっと後から振り返ったときに、「あの年はあれでよかった」と思える、心に残る一日につながっていきます。