去年と同じようにひな祭りを迎えようと思っていたのに、準備を始めた途端、「あれ、去年と同じにはできないかも」と感じたことはありませんか。私も今年のひな祭りを前に、ふとそんな違和感を覚えました。去年はできたことが、今年はしんどい。飾り付けも、ごはんも、気持ちの余裕も、どこか足りない気がしてしまう。そんな自分を責めてしまう人も多いかもしれません。でも実は、その違和感にはちゃんと理由があります。

この記事では、去年と同じひな祭りができなくなった背景にある変化と、その受け止め方を、私自身の体験を交えながらお伝えします。読んだあと、「これでいいんだ」と少し肩の力が抜けるヒントが見つかればうれしいです。

去年と同じひな祭りができなくなったと感じた瞬間

去年と同じようにひな祭りを迎えるつもりでいたのに、いざ当日が近づくと「なんだか違う」と感じたことはありませんか。
私自身、今年のひな祭りを前にして、ふと立ち止まりました。カレンダーを見ながら、「そろそろ準備しなきゃ」と思ったはずなのに、体も気持ちもなかなか動かない。去年はあんなに張り切っていたのに、今年はその勢いが戻ってこなかったのです。

飾り付けをどうするか、ごはんは何を作るか、写真はちゃんと撮れるだろうか。
考え始めるほど、「去年と同じようにはできないかもしれない」という気持ちが強くなっていきました。準備が進まない自分に、少し焦りや罪悪感を覚えたのも正直なところです。

でも、しばらく考えてみて気づきました。それは怠けているからでも、ひな祭りへの気持ちが薄れたからでもありませんでした。
仕事や家事の忙しさ、子どもの成長、生活リズムの変化。去年と今では、日々の状況そのものが違っていたのです。

同じようにできなくなったのは、私が変わってしまったからではなく、暮らしと家族が自然に前に進んでいたから。
そう気づいたとき、「去年と違う」と感じたあの瞬間が、少しだけやさしく思い返せるようになりました。

去年と同じ形に戻そうと無理をしなくてもいい。
今年のひな祭りは、今年のわが家に合った形で迎えればいい。
そう思えたことで、気持ちが少しずつ整っていったのです。

子どもの成長でひな祭りの意味が変わった

去年は「親のイベント」だったひな祭り

去年のひな祭りを振り返ると、正直に言って「私たち親のための行事」だったように思います。
まだ子どもは小さく、ひな人形を見せても特別な反応はありませんでした。目の前に座らせても、すぐに飽きてしまったり、違うおもちゃに手を伸ばしたり。写真を撮るときも、視線をこちらに向けてもらうのに必死で、声をかけるのはほとんど私の役目でした。

それでも、「初めてのひな祭りだから」「形として残しておきたいから」という気持ちが強く、私自身は張り切って準備していたんです。
ひな人形をどう飾るか、料理は何にするか、写真はどの角度がいいか。今思えば、子どもよりも私のほうが行事に意味を見出していたのかもしれません。

去年のひな祭りは、子どものためというより、“親としてちゃんとやった”と安心したい気持ちが大きかった行事でした。

今年は「子どもの気持ち」が中心になった

ところが、今年のひな祭りは空気がまったく違いました。
ひな人形を見た子どもが、「これなに?」「おだいりさま?」と話しかけてきたり、「ピンクがいい」「ケーキたべたい」と、自分の気持ちを言葉にするようになったのです。

その様子を見た瞬間、去年と同じ進め方はできないと感じました。
写真を撮るにしても、「こっち向いて」ではなく、「これかわいいね」と一緒に眺める時間が増え、ごはんも「何を作るか」より「何なら食べてくれるか」を考えるようになりました。

ひな祭りが、「用意したものを見せる行事」から、「子どもの反応を受け止める時間」へと変わっていたのです。
子どもの成長によって、ひな祭りは“親が用意する行事”から、“一緒に感じて作っていく時間”へと自然に形を変えていました。

去年と同じようにできなくなったのは、できなくなったのではなく、必要なくなっただけなのかもしれません。
子どもの気持ちが真ん中に来たことで、ひな祭りの意味そのものが、少しずつ変わっていったのだと感じています。

家庭の余裕や体力が去年とは違っていた

忙しさは少しずつ形を変えていく

去年のひな祭りを思い返すと、今よりも時間のやりくりがしやすかった気がします。
ひな人形を出す時間を作り、料理を考え、写真もそれなりに撮る。決して余裕があったわけではありませんが、「なんとかなる」という感覚で動けていました。

ところが今年は違いました。
仕事の予定、家事、子どもの世話、その合間に発生する細かな用事。ひとつひとつは小さくても、積み重なると確実に余裕を削っていきます。気づけば一日が終わり、「今日も準備できなかったな」と思う日が増えていました。

「去年はできたのに、今年はしんどい」
その気持ちが浮かんだとき、私はつい自分を責めそうになりました。頑張りが足りないのか、段取りが悪いのか。そんなふうに考えてしまったのです。

できない理由は「手抜き」じゃない

でも、立ち止まってよく考えてみると、去年と今とでは条件そのものが違っていました。
子どもの世話はより手がかかるようになり、夜中に起きる回数も変わった。自分の睡眠時間は短くなり、生活リズムも少しずつずれてきています。

同じ「ひな祭り」でも、それを迎える私自身の体力や余裕が、去年とは別物になっていたのです。
それなのに、同じ基準で比べてしまえば、「できない自分」ばかりが目についてしまいます。

同じことができなくなったのは、手を抜いたからではなく、暮らしがちゃんと前に進んだから。
そう思えたとき、「今年はこれでいい」と少し受け入れられるようになりました。

忙しさが増すのは、家族の生活が変化している証でもあります。
去年と同じ余裕を求めるより、「今の自分に合ったペース」を認めることのほうが、大切なのかもしれません。

「去年と同じ」が正解だと思い込んでいた

比べていたのは、去年の自分

ひな祭りの準備をしながら、ふとスマホの写真を見返したとき、「去年はちゃんとやってたな」と思いました。
飾り付けもして、料理も用意して、写真も残している。今見ると、きちんとひな祭りをしている家庭に見えます。

でも、その瞬間に比べていたのは、他の家庭ではありませんでした。
比べていたのは、あくまで過去の自分だったのです。

「あのときできたんだから、今年もできるはず」
「去年と同じくらいはやらないと」
そんな基準を、無意識のうちに自分に課していたのだと思います。

でも、去年の自分と今年の自分は、同じ条件ではありません。
生活リズムも、体力も、子どもの成長段階も違う。それなのに、同じ物差しで測ろうとすれば、苦しくなるのは当たり前でした。

行事は毎年アップデートされていい

ひな祭りは、テストでもノルマでもありません。
「去年よりちゃんとできたか」「同じことができたか」を評価されるものでもないはずです。

それなのに、いつの間にか私は、「毎年同じようにできること」を正解だと思い込んでいました。
でも本来、行事は毎年少しずつ形を変えていくものなのかもしれません。

その年、その家庭、その気持ちに合った形で迎えられれば、それで十分。
そう考えるようになってから、「去年と違う」ことを、失敗だとは感じなくなりました。

去年と同じにできなかったのではなく、今年の形にアップデートされただけ。
そう捉えられるようになったことで、ひな祭りに向き合う気持ちも、少しやさしくなった気がしています。

ひな祭りの「やり方」より大切だったもの

飾りや料理が少なくても残るもの

今年は、ひな人形をフルセットで出すのをやめました。
箱を全部出して、細かい飾りを並べて、片付けまで考えると、それだけで気持ちが重くなってしまったからです。料理も、特別な献立は用意せず、簡単なごはんだけ。写真も「ちゃんと撮らなきゃ」と構えず、数枚残しただけでした。

正直に言うと、準備を簡略化したことに少し不安もありました。
「これでひな祭りって言えるのかな」「手を抜きすぎじゃないかな」と、頭のどこかで考えていたのです。

でも当日、子どもと並んでひな人形を見ながら「かわいいね」と話したり、「今日はひなまつりだね」と声をかけ合った時間は、思っていた以上に穏やかでした。
忙しく動き回らなかった分、子どもの表情や言葉にちゃんと目を向けることができた気がします。

行事の本当の役割に気づいた

そのとき、ふと気づきました。
ひな祭りは、完璧に再現する行事ではなく、家族の節目を感じるためのきっかけなのかもしれない、と。

飾りの数や料理の内容、写真の出来栄えよりも、
その日を「特別な一日」として一緒に過ごした感覚のほうが、ずっと心に残っています。

形よりも、気持ちが残っていれば、それで十分。
そう思えるようになってから、行事に対する向き合い方が大きく変わりました。

きちんとやることより、無理なく続けられること。
そして、家族が笑顔でいられること。
今年のひな祭りは、その大切さを改めて教えてくれた気がしています。

来年もまた違うひな祭りになるかもしれない

「毎年違う」を前提に考える

来年のひな祭りは、きっと今年とも違う形になるはずです。
子どもはさらに成長して、興味の対象も、できることも増えているでしょう。私たち大人の生活も、仕事の状況や体力、家族のリズムが少しずつ変わっているはずです。

そう考えると、「去年と同じようにできるかな」と心配するよりも、
「来年はどんな形が合っているかな」と考えるほうが、ずっと気持ちが楽でした。

行事を「再現するもの」として捉えると、どうしても比較や反省が生まれてしまいます。
でも、「その年ごとに選び直すもの」だと思えば、準備の仕方も、気持ちの持ち方も変わってきます。

ひな祭りは毎年続くからこそ、毎年違っていい。
そう前提を切り替えたことで、「できるかどうか」ではなく、「どう過ごしたいか」を考えられるようになりました。

変わっていくことを前向きに受け止める

行事の形が変わるのは、何かを失ったからではありません。
むしろ、家族がちゃんと前に進んでいる証でもあると思います。

去年は静かに飾りを眺めていた時間が、今年は会話の時間に変わった。
準備に追われていた時間が、子どもと向き合う時間に変わった。
そう考えると、「できなくなったこと」よりも、「増えたもの」のほうが多い気がしました。

完璧にできなくなった行事ではなく、今の家族に合った行事になっている。
そう受け止められるようになってから、「去年と違うひな祭り」も、悪くないどころか、愛おしく感じられるようになりました。

これから先も、ひな祭りは少しずつ姿を変えていくはずです。
その変化を不安に思うより、「今年らしさ」を楽しめる気持ちで迎えられたら、行事はもっとやさしいものになるのかもしれません。

まとめ|去年と違うひな祭りは、家族が進んだ証

去年と同じひな祭りができなくなった理由は、気持ちが冷めたからでも、頑張らなくなったからでもありません。
それは、子どもが成長し、暮らしが変わり、家族の形が少しずつ前に進んだからです。去年の「できた」は、去年の条件の中でのベストでした。今年は今年の条件の中で、また別のベストがある。そう考えるだけで、行事への向き合い方が少しやさしくなります。

もし今、
「去年みたいにできなかった」
「ちゃんとできていない気がする」
そんなふうに感じているなら、一度立ち止まってみてください。落ち込む前に、比べている“基準”を見直してみてほしいんです。去年と同じ形にこだわるほど、今の暮らしや体力とのズレが大きくなって、苦しさが増えてしまいます。

今年のひな祭りは、今の家族に合った形になっているでしょうか。
ひな人形をフルセットで出せなくても、手作り料理を並べられなくても、写真が少なくても大丈夫です。大切なのは、家族の中に「節目の日だね」という空気が流れたかどうか。子どもと一緒に眺めた時間、交わした会話、ふと笑った瞬間。そういうものは、ちゃんと残ります。

完璧に整えた行事より、無理なく過ごせた一日こそが、家族の記憶になっていきます。
「ちゃんとやる」より「続けられる形」を選んだほうが、来年も再来年も、ひな祭りをやさしい気持ちで迎えられるはずです。

来年もまた、違うひな祭りになるかもしれません。
子どもはもっと成長し、好みも変わり、家族の生活リズムも変わるでしょう。その変化を「去年と比べて足りない」と捉えるより、「今年のわが家らしさが増えた」と捉えられたら、行事はもっとラクになります。

今日できる一歩として、まずはひとつだけ決めてみてください。
たとえば「今年は飾りは小さく」「ごはんは子どもが好きなものを一品」「写真は2枚だけでも撮る」など、無理のないラインで十分です。あなたの家庭にとっての“ちょうどよさ”で、ひな祭りを迎えてみてください。