子どもの誕生日を盛大にやるのをやめて感じた変化

子どもの誕生日が近づくたび、「今年はどうしよう」と少し憂うつになることがありました。飾り付け、ケーキ、プレゼント、写真、祖父母対応……気づけば“お祝い”なのに、準備に追われて疲れてしまう自分がいたからです。周りを見ると、SNSには華やかな誕生日パーティーが並び、「ここまでやらないとダメ?」と焦る気持ちもありました。
そんなわが家は、ある年を境に子どもの誕生日を盛大にやるのをやめる選択をしました。すると、思っていた以上に心と暮らしに変化があったのです。この記事では、その実体験を正直にお話しします。
子どもの誕生日を盛大にやめたきっかけ
準備が「楽しみ」より「負担」になっていた
以前の私は、誕生日が近づくたびに、気持ちが落ち着かなくなっていました。
「今年は何をテーマにしよう」
「去年より手抜きだと思われないかな」
そんなことが、ふとした家事の合間や寝る前まで頭の中をぐるぐる回っていたんです。
本来なら、子どもの成長を喜ぶはずの誕生日。なのに、現実はケーキの予約、飾り付けの準備、写真映えのこと、祖父母への連絡など、やることリストばかりが増えていきました。前日は夜遅くまで準備をして、当日は朝からバタバタ。気づけば、私は笑顔を作る余裕すらなくなっていました。
子どもは確かに嬉しそうでした。でもその横で、「ちゃんとできているかな」「段取り大丈夫かな」と頭をフル回転させている自分がいて、心から一緒に楽しめていない感覚がずっと残っていたんです。お祝いのはずなのに、終わった後にどっと疲れが出る。その違和感を、何年も見ないふりをしていました。
「やらなきゃ」に縛られていた自分に気づいた
ある年、準備をしながら飾りを並べていたとき、ふと手が止まりました。
「これ、本当に必要?」
その瞬間、胸の奥が少しザワっとしたのを覚えています。
誰かに「やりなさい」と言われたわけではありません。でも、「誕生日は盛大にやるもの」「ちゃんと祝わないとかわいそう」という思い込みが、いつの間にか自分の中に根を張っていたんですよね。SNSで見る華やかな誕生日、ママ友から聞く準備の話。それらと比べては、無意識に自分を追い込んでいました。
冷静に考えてみると、誕生日の主役は子どものはずなのに、いつの間にか「ちゃんとやる私」でいることが目的になっていた気がしました。そのことに気づいたとき、少し肩の力が抜けたんです。
「盛大にやらない=愛情が足りない」わけじゃない。
そう自分に言い聞かせられたことが、やめる決断への大きな一歩になりました。
盛大にやめると決めたときの不安
子どもががっかりしないか心配だった
盛大にやるのをやめよう、と頭では決めたものの、気持ちはなかなか追いつきませんでした。一番引っかかっていたのは、やっぱり子どもの反応です。
「お友だちの家はすごいのに、うちは地味」
そんなふうに感じさせてしまったらどうしよう、と何度も考えました。
特に、少しずつ周りの様子が分かる年齢になってくると、「比べる視点」を親が勝手に想像してしまうんですよね。実際にはまだ言われてもいないのに、先回りして心配していました。子どもにとっての誕生日より、親である私の不安や罪悪感のほうが大きくなっていたことに、後から気づきました。
「ちゃんとやらなかったと思われたらどうしよう」
「寂しい思いをさせたら一生残るかも」
そんな極端な考えまで浮かんでしまって、なかなか踏み切れずにいました。
周りと比べてしまう気持ち
もう一つ大きかったのが、周囲の目と比べてしまう気持ちです。SNSを開けば、風船で飾られた部屋や豪華なケーキ、笑顔の写真が流れてきます。ママ友との何気ない会話でも、「今年は〇〇を呼んで」「テーマは〇〇で」と聞くたびに、心が少し揺れました。
「やっぱり、ちゃんとやったほうがいいのかな」
「これくらいは普通なのかな」
そんな思いが頭をよぎるたびに、私は自分に問い直すようにしました。“これは誰のためのお祝いなんだろう”と。
見栄や世間体、比べる気持ちで選んだやり方は、たとえ立派でも、きっと自分も子どもも疲れてしまう。そう思えたことで、少しずつ気持ちが整理されていきました。周りと同じでなくても、わが家なりの形でいい。そう受け止められるようになるまで、実は何度も迷いながらの決断でした。
盛大にやめて実際に変わったこと
親の気持ちに余裕が生まれた
盛大にやめて、一番はっきり変わったのは、私自身の心の状態でした。以前は、誕生日の前日も当日も「間に合うかな」「これ忘れてないかな」と、常に頭の中がフル稼働していました。でも今は、前日も普段とほとんど変わらない気持ちで過ごせています。
その分、子どもと何気ない会話をする時間が増えました。
「もうすぐ誕生日だね」
「何歳になるんだっけ?」
そんなやり取りを、家事の合間や寝る前にゆっくり話せるようになったんです。準備に追われていた頃は、こうした会話すらどこか上の空でした。
気持ちに余裕があると、不思議と同じ一日でも感じ方が違います。子どもの表情や声のトーンに目が向くようになり、「祝う側の私」が落ち着いていることが、こんなにも大事なんだと実感しました。
当日の空気が穏やかになった
当日の朝の空気も、大きく変わりました。以前は、「飾り付けは大丈夫?」「写真撮るタイミング逃してない?」と、気が張ったまま一日が始まっていました。楽しんでいるつもりでも、どこか義務感が混ざっていたと思います。
今は、朝起きて「お誕生日おめでとう」と声をかけて、一緒に朝ごはんを食べる。それから、子どもの好きなメニューを少しだけ用意して、ゆっくり過ごす。それだけなのに、家の中の空気がとても穏やかなんです。
「ちゃんとしなきゃ」がなくなると、自然と笑顔が増えました。写真も、撮らなきゃと思わなくても、気づけば何枚か残っています。特別な演出がなくても、安心した空気そのものが思い出になる。盛大にやめたことで、そんな誕生日の過ごし方に変わりました。
子どもの反応はどうだったか
意外とあっさり受け入れていた
正直に言うと、少し拍子抜けしました。こちらがあれこれ想像していた不安とは違って、子どもの反応はとてもシンプルだったんです。
「ケーキある?」
「プレゼントはこれ?」
気にしていたのは、そのくらいでした。
飾り付けが少ないことや、いつもより静かな誕生日に対して、特別な不満を口にすることもありませんでした。むしろ、「今日は自分の日」ということが分かっているだけで、十分に嬉しそうだったのが印象的です。
振り返ると、「盛大じゃないとがっかりする」という不安は、ほとんどが大人側の思い込みだったのだと思います。子どもは、私たちが想像している以上に、目の前の楽しさや安心感をそのまま受け取っているのかもしれません。
大切なのは“どう祝うか”より“どう過ごすか”
後から思い返してみて、子どもが一番嬉しそうだった場面は、特別な瞬間ではありませんでした。私が隣に座って一緒にケーキを食べていたとき、他愛ない話をしながら笑っていた時間でした。
「これが好きなんだね」
「もうこんなに大きくなったんだね」
そんな会話をしながら過ごす時間のほうが、子どもの表情はずっと柔らかかったんです。
形や演出よりも、一緒に過ごす空気や感情のほうが、ちゃんと伝わる。盛大にやめてみて、そのことを改めて実感しました。誕生日はイベントというより、「一緒に過ごす一日」なのだと、今では自然に思えるようになっています。
盛大にやめて残したこと
「これだけはやる」と決めた小さな習慣
盛大にやめると決めたからといって、誕生日を何もしない日にしたわけではありません。むしろ、「これは大切にしたい」と思えることだけを、意識的に残すようになりました。
わが家で続けているのは、とても小さなことです。
必ず「生まれてきてくれてありがとう」と言葉で伝えること。
その日だけは、子どもの好きなメニューを一つ食卓に並べること。
そして、気負わずに一緒に写真を一枚撮ること。
これだけでも、誕生日らしさはちゃんと残ります。以前のように準備に追われることはなくなり、その分、子どもと向き合う気持ちはむしろ濃くなりました。やることを減らしたからこそ、「伝えたいこと」がはっきりしたように感じています。
家庭ごとの“誕生日の形”でいい
豪華な飾り付けや、大人数を招いたパーティーを否定したいわけではありません。それが楽しくて、家族全員が無理なく続けられるなら、とても素敵な形だと思います。
ただ、どの家庭にも同じやり方が合うわけではない、ということにも気づきました。住まいの広さ、家族の性格、生活リズム、親の余裕。条件が違えば、心地よい誕生日の形も違って当然です。
今は、家庭の数だけ誕生日の正解があると、心から思えます。盛大でも、ささやかでも、その家族が笑顔で過ごせるなら、それが一番の祝い方。わが家にとっては、このシンプルな形が、長く続けられるちょうどいい答えでした。
盛大にやめたことで気づいたこと
「足りない」より「満ちている」に目を向けられた
盛大にやめる前の私は、いつもどこか「足りない」という気持ちを抱えていました。
もっと飾ったほうがいいかな。
もっと特別なことを用意すべきかな。
そんなふうに考えては、自分で自分を追い立てていたように思います。
でも、盛大にやめてみると、見える景色が少し変わりました。大きなことを足さなくても、すでに十分なものが家の中にあったことに気づいたんです。家族がそろってごはんを食べて、笑って話せる時間。子どもが安心した顔で過ごしている日常。「これで足りている」と思えた瞬間、気持ちがふっと軽くなりました。
その感覚は、誕生日だけでなく、暮らし全体にも広がっています。完璧を目指すより、今あるものを大切にするほうが、ずっと穏やかに過ごせる。そんな価値観に、少しずつ変わっていきました。
子育ては見せ場より積み重ね
誕生日は、たしかに特別な一日です。でも、一年に一度のイベントよりも、子どもが日々感じているのは、日常の声かけや関わりの積み重ねだと思います。
忙しい中でかける「おかえり」の一言。
寝る前に話す今日の出来事。
何気なく交わす笑顔や相づち。
そうした日常の積み重ねが、子どもの安心感を育てているのだと感じるようになりました。一日の派手さより、365日の安心感のほうが、子どもの心には残る。盛大にやめたことで、子育ての軸が少しはっきりした気がしています。
まとめ|子どもの誕生日は「盛大じゃなくても愛は伝わる」
子どもの誕生日を盛大にやるのをやめる決断は、正直なところ少し勇気がいりました。「やめて後悔しないかな」「子どもに寂しい思いをさせないかな」と、何度も自分に問いかけました。でも、実際にやめてみて分かったのは、愛情はイベントの規模や派手さでは測れないということでした。
誕生日を通して大切だったのは、どれだけ準備したかではなく、その日をどんな気持ちで迎えられたか。私自身が余裕を持って笑顔でいられると、家の中の空気も自然とやわらぎ、子どもも安心した表情で過ごしていました。その時間こそが、何よりの「お祝い」だったのだと思います。
もし今、「この準備、本当に必要かな」「頑張りすぎているかも」と感じているなら、一度立ち止まってみてください。盛大にやるかどうかより、自分が無理なく、心から祝える形を選ぶこと。それが、きっと子どもにも伝わります。
来年の誕生日は、少し肩の力を抜いて迎えてみませんか。完璧じゃなくても、華やかじゃなくても、家族の気持ちがそろっていれば、それは十分に温かい一日になるはずです。














