行事で完璧主義に疲れたときの対処法|気持ちがラクになる考え方

子どもの行事って、なぜか「ちゃんとやらなきゃ」と思ってしまいませんか。
私もそのひとりでした。入園式や誕生日、発表会…。どれも大切な場面だからこそ、「失敗したくない」「ちゃんとしたい」という気持ちが強くなっていきました。
でも、気づけば準備に追われて、当日はぐったり。
子どものためのはずの行事なのに、楽しむ余裕がなくなっていたんです。
この記事では、そんな私の体験をもとに、完璧を目指して疲れてしまった理由と、少しラクになれた考え方についてお話しします。
完璧を目指してしまった理由
周りと比べてしまっていた
最初のきっかけは、周りの家庭でした。
「ちゃんと写真館で撮ったよ」
「手作りで全部そろえた」
そんな何気ない会話を聞くたびに、私は少しずつ焦るようになっていきました。
最初は「すごいな」と思うだけだったのに、気づけば「うちもやらないといけないのかな」と感じるようになっていたんです。
SNSを見ても、きれいに整えられた写真や、丁寧に準備された様子が目に入ります。
それを見るたびに、「これくらいが普通なのかも」と思ってしまう。
でも本当は、その家庭ごとに状況も余裕も違います。
時間の使い方も、価値観も、優先したいことも違うはずなんですよね。
それなのに、私はどこかで「ちゃんとしている家庭=正解」というイメージを持ってしまっていました。
そしていつの間にか、
「自分たちにとってどうか」ではなく、
「周りと同じくらいできているか」
を基準に考えるようになっていたんです。
この“無意識の比較”こそが、完璧を目指してしまう大きな原因でした。
比べているつもりがなくても、少しずつ心に影響していく。
それが積み重なって、「ちゃんとやらなきゃ」というプレッシャーに変わっていったように思います。
「後悔したくない」という気持ち
もう一つ大きかったのは、「あとで後悔したくない」という気持ちです。
子どもの行事は、一度きりのものが多いですよね。
入園式や誕生日、発表会など、その瞬間は二度と戻ってきません。
だからこそ、私はこんなふうに考えていました。
「あのときもっとやってあげればよかったって思いたくない」
「今しかないんだから、できることは全部やろう」
一見、すごく大切で前向きな気持ちに見えます。
実際、子どもを思うからこそ出てくる考えだと思います。
でもこの気持ちが強くなりすぎると、少しずつ方向が変わっていきました。
「やりたい」ではなく「やらなきゃ」
「楽しみたい」ではなく「失敗したくない」
そんなふうに、行事そのものよりも「後悔しないための準備」が目的になってしまったんです。
その結果、
・念のためにあれも用意
・万が一に備えてこれも準備
・せっかくだからこれも追加
と、どんどんやることが増えていきました。
気づけば、本来はシンプルでもよかったはずの行事が、かなり大がかりなものになっていました。
そして一番つらかったのは、
準備を頑張れば頑張るほど、「これで足りているのか」と不安が消えなかったことです。
「後悔したくない」という気持ちは大切だけど、それが強すぎると今を苦しくしてしまう。
そう気づいたのは、だいぶ後になってからでした。
実際にしんどくなった瞬間
準備に追われて余裕がなくなる
行事の前になると、やることが一気に増えます。
・服の準備
・持ち物の確認
・写真の段取り
・食事やお祝いの準備
こうして書き出してみるとシンプルに見えるのですが、実際には細かい作業がどんどん増えていきます。
たとえば服ひとつでも、
「サイズは合ってる?」
「シワはない?」
「靴や小物はそろってる?」
と確認することが増えていきますし、写真も「せっかくならきれいに残したい」と思うほど、場所やタイミング、構図まで気になってきます。
さらにそこに、日々の家事や仕事、子どものお世話が重なります。
いつも通りの生活をしながら、行事の準備をプラスする状態になるので、思っている以上に負担は大きくなります。
私の場合、前日になると頭の中はやることだらけで、
「忘れていることはないかな」
「これで大丈夫かな」
と、何度も同じことを考えていました。
その結果、気づけば気持ちに余裕がなくなっていて、イライラしたり、家族にきつく当たってしまうこともありました。
本来は楽しみにしていたはずの行事なのに、
いつの間にか「こなさなきゃいけないイベント」になってしまっていたんです。
「楽しみ」よりも「やらなきゃ」が前に出てしまった瞬間、行事は一気に負担へと変わってしまいました。
当日を楽しめなかった
いちばんショックだったのは、当日を楽しめなかったことです。
子どもは嬉しそうにしていて、笑顔もたくさん見せてくれていました。
それなのに私は、その瞬間を心から楽しめていなかったんです。
頭の中ではずっと、
「次はこれをしないと」
「時間は大丈夫?」
「ちゃんとできているかな」
そんなことばかり考えていました。
写真を撮るときも、「いい表情を撮らなきゃ」と思いすぎて、何度も撮り直したり、つい細かく指示を出してしまったり…。
あとから写真を見返すと、確かにきれいに残ってはいるんですが、そのときの空気感や自分の気持ちはあまり思い出せませんでした。
むしろ記憶に残っているのは、
「うまく進められているか不安だったこと」
「焦っていた感覚」
そんな部分ばかりだったんです。
子どもにとっては楽しい一日だったはずなのに、親である私はそれを十分に味わえていなかった。
それがすごくもったいなく感じました。
行事は“成功させること”よりも、“その時間を感じること”のほうがずっと大事だったんだと、このとき初めて気づきました。
それ以降、「完璧にやること」だけを目標にしてしまうと、本当に大切なものを見失ってしまうんだと強く感じるようになりました。
気づいたこと|完璧じゃなくてもよかった
子どもは「完璧さ」を求めていない
ある行事のあと、子どもがぽつっと言ったんです。
「楽しかったね」
それだけでした。
私はその言葉を聞いたとき、少し拍子抜けしたのを覚えています。
あれだけ準備をして、「ちゃんとできていたかな」と気にしていたのに、子どもはそんなこと一つも気にしていなかったんですよね。
振り返ってみると、子どもが話していたのは、
「友だちとこんなことした」
「ここが楽しかった」
「ママ(パパ)と一緒にいられて嬉しかった」
そんなことばかりでした。
どんな服を着ていたか、どれだけ段取りが完璧だったか、写真がうまく撮れたか。
そういった“親が気にしていたこと”は、ほとんど記憶に残っていない様子でした。
むしろ子どもにとって大切だったのは、
・一緒に笑ったこと
・そばにいてくれたこと
・自分のことを見てくれていたこと
そういう、シンプルな体験だったんだと思います。
完璧に整えた行事よりも、「一緒に過ごした時間」のほうが、子どもの記憶にはしっかり残るんだと気づきました。
このことに気づいてから、「全部ちゃんとやらなきゃ」という気持ちが少しずつゆるんでいきました。
親の余裕がいちばん大事
もう一つ強く感じたのは、親の状態です。
行事の雰囲気って、思っている以上に親の気持ちに左右されると感じました。
余裕があると、自然と笑顔が増えます。
子どものちょっとした行動にも、「いいね」「楽しそうだね」と声をかける余裕が生まれます。
すると子どもも安心して、その時間を思いきり楽しんでいる様子でした。
一方で、余裕がないとどうなるかというと、
「早くして」
「ちゃんとして」
といった言葉が増えてしまい、空気が少しピリッとしてしまいます。
本人はそんなつもりがなくても、子どもは敏感に感じ取るものなんですよね。
私自身、準備でいっぱいいっぱいだったときは、笑顔が少なくなっていたと思います。
あとから写真を見返しても、どこか余裕のない表情をしている自分がいて、少し反省しました。
でも逆に、あえて準備を減らして気持ちに余裕を持てたときは、
子どもとゆっくり話したり、一緒に笑ったり、その時間をしっかり味わうことができました。
同じ行事でも、親の状態ひとつで「楽しい思い出」になるかどうかが変わるんだと実感しました。
親が無理をせず、穏やかに過ごせることが、そのまま子どもにとっての安心や楽しさにつながる。
今はそう思えるようになっています。
完璧主義をゆるめた工夫
「全部やる」をやめる
まず私がやったのは、とにかく「やることを減らす」ことでした。
それまでは、「せっかくの行事だから」と思って、できることは全部やろうとしていました。
でもその考え方を一度手放してみたんです。
具体的には、
・写真は最低限でOK
・手作りは無理しない
・準備は前日までに終われば十分
こうやって自分の中で基準を決め直しました。
たとえば写真も、以前は「いい表情を残したい」と思って何枚も撮っていましたが、今は「数枚きちんと撮れたら十分」と考えるようにしました。
手作りについても、「できたらいいな」くらいにして、無理そうなら既製品に頼る。
それだけで、準備にかかる時間も気持ちの負担も大きく減りました。
最初は少し不安もありました。
「これで大丈夫かな」「手を抜いていると思われないかな」と考えてしまうこともありました。
でも実際にやってみると、まったく問題なかったんです。
むしろ、余裕ができた分、子どもとの時間をしっかり楽しめるようになりました。
「やることを減らす=手を抜く」ではなく、「大切なものに集中するための選択」なんだと気づきました。
この考え方に変えてから、行事に対する気持ちがかなりラクになりました。
優先順位を決める
もう一つ大きかったのが、「優先順位を決めること」です。
それまでは、すべてを同じくらい大事にしようとしていました。
だからこそ、どれも中途半端に気になってしまい、結果的に全部しんどくなっていたんです。
そこで、「今回の行事でいちばん大切にしたいことは何か」を考えるようにしました。
たとえば、
・子どもが楽しめること
・家族でゆっくり過ごす時間
この2つを軸にすると、不思議と判断がしやすくなります。
「これは本当に必要?」
「これをやることで、子どもはもっと楽しめる?」
そうやって考えていくと、やらなくてもいいことが自然と見えてくるんですよね。
たとえば、
・凝った装飾をするより、一緒に遊ぶ時間を増やす
・写真の枚数にこだわるより、その場の会話を大切にする
こうした選択ができるようになりました。
全部を完璧にこなそうとするよりも、「ここだけは大事にする」と決めたほうが、結果的に満足度は高くなります。
優先順位を決めることで、「やらない選択」にも自信が持てるようになったのが大きな変化でした。
今では、「全部できていなくても大丈夫」と思えるようになり、行事そのものを前より楽しめるようになっています。
それでも気になるときの考え方
「できている部分」に目を向ける
完璧を目指していた頃の私は、どうしても「足りないところ」にばかり目が向いていました。
「もっとこうすればよかった」
「ここがうまくできなかった」
そんなふうに、終わったあとも反省ばかりしてしまっていたんです。
でも今は、意識して見るポイントを変えるようにしています。
・準備をちゃんとしたこと
・忙しい中で時間をつくったこと
・子どもと一緒に過ごしたこと
こうした“できている部分”をひとつひとつ拾っていくようにしました。
最初は少し違和感がありました。
「これでいいのかな」と思うこともありましたが、続けていくうちに気持ちの持ち方が変わってきました。
不思議と、「ちゃんとやれている」と思えるようになるんですよね。
完璧じゃなくても、
時間をかけて準備したこと
子どもと向き合ったこと
その場を一緒に過ごしたこと
それだけで、十分に価値のある時間だったと思えるようになりました。
完璧かどうかではなく、「自分なりに向き合えたかどうか」に目を向けるだけで、気持ちはぐっと軽くなります。
行事のあとに少しでもモヤモヤしたときは、「できたこと」を思い出してみるだけでも、気持ちの整理がしやすくなります。
長い目で見る
もう一つ意識しているのが、「長い目で見る」ということです。
行事はどうしても“その日一日”に意識が集中しがちです。
だからこそ、「ちゃんとできたか」「うまくいったか」にこだわってしまいます。
でもよく考えてみると、子どもとの時間はその一日だけではありません。
日々の何気ない会話や、一緒に過ごす時間、積み重なっていく思い出。
そういったもののほうが、子どもにとっては大きな意味を持っていると感じています。
一つひとつの行事が完璧でなくても、
・一緒に笑った日
・ゆっくり過ごした時間
・何気ないやり取り
こうした積み重ねが、あとから大きな思い出になっていきます。
だからこそ、一回ごとの出来にこだわりすぎなくてもいい。
少しくらい思い通りにいかなくても、それで関係が変わるわけではありません。
むしろ、親が無理をせず、穏やかに関わり続けることのほうが、長い目で見ればずっと大切だと感じています。
行事は「一発勝負」ではなく、長い時間の中のひとつの場面にすぎない。そう考えるだけで、肩の力が抜けていきます。
今では、「今日が完璧じゃなくても大丈夫」と思えるようになり、行事との向き合い方も少しずつ変わってきました。
今の私が大切にしていること
「ちょうどいい形」を選ぶ
今は、「完璧」ではなく「ちょうどいい」を意識しています。
以前の私は、「せっかくならちゃんとやらなきゃ」と思って、無理をしてでも理想に近づけようとしていました。
でも今は、そのときの自分たちの状況に合わせて選ぶことを大切にしています。
たとえば、
仕事が忙しい時期なら準備はシンプルにする。
体力的に余裕がないときは、無理せず外部に頼る。
そんなふうに、「今の自分たちにできる範囲」で考えるようにしました。
同じ家庭でも、毎回同じ条件で行事を迎えられるわけではありません。
子どもの年齢も違えば、生活のリズムや忙しさも変わっていきます。
だからこそ、「毎回同じレベルでやらなきゃ」と思う必要はないんですよね。
少し手を抜くように感じることがあっても、それは決して悪いことではありません。
むしろ、その分だけ余裕が生まれて、大切な時間にしっかり向き合えるようになります。
「ちょうどいい形」は、そのときの自分たちにとっての最適解であって、決して妥協ではないと考えるようになりました。
この考え方を持てるようになってから、行事に対するプレッシャーがかなり減りました。
行事は“家族の時間”として考える
行事を「イベント」として捉えていた頃は、どうしても結果や見た目に意識が向いていました。
「ちゃんとできたか」
「周りからどう見えるか」
「写真はうまく撮れたか」
そんなことばかり気にしていた気がします。
でもあるときから、「これは家族の時間なんだ」と考えるように変えてみました。
そうすると、不思議と見え方が変わったんです。
・一緒に笑った時間
・何気ない会話
・子どものうれしそうな表情
こういったものが自然と目に入るようになり、「いい時間だったな」と感じられるようになりました。
行事の内容や完成度よりも、その場の空気や過ごし方のほうが、あとからしっかり記憶に残るんですよね。
たとえば、何気なく交わした会話や、ふとした瞬間の笑顔。
そういう一コマ一コマが、あとから思い出としてよみがえってきます。
逆に、どれだけ準備を頑張っても、余裕がなくてバタバタしていた時間は、あまりいい記憶として残りにくいと感じました。
行事は“成功させるもの”ではなく、“家族で過ごす時間を味わうもの”だと考えるようになってから、気持ちがぐっとラクになりました。
今では、「何をしたか」よりも「どう過ごしたか」を大切にしながら、そのときの時間を楽しめるようになっています。
まとめ|完璧より「ちょうどいい」でいい
行事は大切なものですが、完璧にやることが目的ではありません。
私自身、頑張りすぎて疲れてしまったからこそ感じたのは、
「無理なく続けられる形こそが、いちばん価値がある」ということでした。
完璧じゃなくても大丈夫です。
少しくらい抜けていても、ちゃんと伝わるものはあります。
これからの行事は、「ちゃんとやる」ではなく「気持ちを込める」を大切にしてみてください。
それだけで、きっと今より少しラクに、そして温かい時間になるはずです。













