行事が近づくたび苦しくなった理由|ワンオペでつらいと感じた日々

子どもの行事が近づくたびに、気持ちが重くなることがありました。
ひな祭り、運動会、七五三、誕生日。どれも子どもの成長を祝う大切な時間のはずなのに、準備が始まると、なぜか私だけが忙しくなっていく。気づけば、献立を考え、必要な物を調べ、予定を調整しているのはいつも私ひとりでした。
「なんで私ばっかりなんだろう」
そう思った瞬間、自分が心の中で一線を越えてしまった気がして、さらにしんどくなったのを覚えています。
この記事では、行事準備がワンオペでつらかった私の体験を通して、その苦しさの正体と、少し気持ちが楽になった考え方をお伝えします。
「行事=私の仕事」になっていたことに気づいた瞬間
いつの間にか役割が固定されていた
最初から「全部私がやる」と決めていたわけではありません。
最初の行事も、「たまたま私がやった」という感覚に近かったと思います。
子どもの月齢的にも私のほうが余裕があったし、調べるのも嫌いじゃなかった。
だから、自然と私が段取りをして、買い出しをして、当日を迎えていました。
そして無事に終わって、「よかったね」と言われて、それで完結。
それを何度か繰り返すうちに、気づけば
「行事のことは、私が考えるもの」
「何かあったら、私に聞けばいい」
そんな空気が、家の中にできあがっていたのです。
夫に悪気がなかったのは、今でも分かっています。
でも、私が何も言わなくても回ってしまう状態が、結果的に役割を固定し、ワンオペを当たり前にしていたのだと思います。
期待されているような、されていないような曖昧さ
行事が近づくと、夫から
「手伝おうか?」
と言われることは、確かにありました。
でも、その言葉を聞くたびに、胸の奥が少しざわついていました。
何をどこまで頼めばいいのか、自分でも分からなかったからです。
「何をしてほしいか分からない状態」で、「手伝おうか?」と聞かれると、
結局「大丈夫」と答えてしまう。
そうすると、また私が全部やる流れになる。
本当は、大丈夫じゃなかった。
疲れていたし、しんどかったし、誰かと一緒に考えたかった。
でも、それを言葉にするほどの余裕もなくて、曖昧なまま飲み込んでしまっていました。
期待されているような、されていないような。
頼っていいのか、頼らなくていいのか分からない。
その曖昧さが、行事が近づくたびに、私の気持ちを少しずつ重くしていったのだと思います。
「私がやらなきゃ回らない気がする」
「でも、本当は一人で抱えたくない」
その矛盾を抱えたまま進める行事準備は、想像以上に心をすり減らすものでした。
行事準備がつらくなる本当の理由
作業量よりも「責任の重さ」がしんどい
行事準備がつらい理由は、単純に忙しいからだけではありません。
本当に重たかったのは、「失敗できない」というプレッシャーでした。
忘れ物があったらどうしよう。
段取りが悪くて子どもががっかりしたらどうしよう。
周りから「ちゃんとやってない」と思われたらどうしよう。
そんなふうに、起きてもいないことを先回りして考え続けていました。
そして、その結果がどうなっても、「うまくいかなかったら自分のせい」だと思い込んでいたのです。
実際には、行事は一人で背負うものではありません。
多少抜けがあっても、子どもが少し不機嫌になっても、それで家庭が壊れるわけではない。
頭では分かっていても、責任を抱えた状態では、そう割り切れませんでした。
作業そのものよりも、「全部を自分で管理しなければいけない」という感覚が、少しずつ心の余裕を奪っていたのだと思います。
楽しめない自分を責めてしまう
行事が近づくにつれて、楽しみよりもため息が増えていく。
そんな自分に気づくたび、私はまた自分を責めていました。
「子どものための行事なのに」
「みんなは楽しそうにやっているのに」
「私は母親として、どこか欠けているんじゃないか」
そうやって比べては、落ち込む。
楽しめない気持ちそのものが、悪いことのように思えていました。
でも今振り返ると、楽しめなかったのは愛情が足りなかったからではありません。
準備も判断も責任も、すべてを一人で抱え込んでいたから、余裕がなかっただけです。
楽しめない自分を責めるほど、行事はどんどん重たいものになっていった。
それが、当時の私のいちばん苦しかったところでした。
本当は、楽しめなくなった時点で、立ち止まってよかったのだと思います。
「しんどい」と感じる気持ちは、手を抜くサインではなく、無理をしているサインだったのかもしれません。
ワンオペ行事で心が限界に近づいた出来事
小さなきっかけで涙が出た夜
ある行事の前日、準備がほぼ整ったと思っていたところで、ひとつ買い忘れに気づきました。
たいした物ではなかったはずなのに、その瞬間、頭の中が真っ白になって、慌ててスーパーに走りました。
時間も遅く、子どもはもう寝る準備。
「今日中に行かないと間に合わない」
そんな焦りで、胸がぎゅっと締めつけられていたのを覚えています。
ようやく帰宅して、袋を置いたとき。
夫が、特に深い意味もなく言った一言。
「そんなに大変なら、簡単にすればよかったのに」
その瞬間、涙が止まらなくなりました。
責められたわけではありません。
でも、私がどれだけ一人で考えて、迷って、気を張ってきたかが、まったく伝わっていない気がしたのです。
簡単にできなかった理由も、そうしたかった気持ちも、全部飲み込んできた。
その積み重ねが、その一言で一気にあふれてしまったのだと思います。
「もうやりたくない」と初めて口にした
泣きながら、その夜、初めて口にしました。
「行事の準備、正直つらい」
「もう、全部一人でやるのはしんどい」
言葉にした瞬間、自分でも驚くほど、胸の奥に溜まっていたものがあふれ出ました。
疲れだけじゃない。
我慢してきた気持ち、分かってほしかった思い、弱音を吐けなかった時間。
「もうやりたくない」という言葉は、逃げではなく、限界を知らせるサインだったのだと、今は思います。
それまで私は、「ちゃんとやらなきゃ」「弱音を吐いたらダメ」と、自分を追い込んでいました。
でも、声に出したことで、初めて自分がどれだけ無理をしていたかに気づいたのです。
あの夜がなければ、たぶん今も「大丈夫なふり」を続けていたと思います。
心が限界に近づいていたからこそ、ようやく立ち止まることができた。
そう感じています。
少しずつ考え方を変えてみた
「ちゃんとやる」を手放す
あの夜をきっかけに、私は少しずつ考え方を変えるようになりました。
まずやめたのは、「ちゃんとやらなきゃ」という思い込みです。
行事は、ちゃんとして当たり前。
省いたら手抜き。
そんな基準を、いつの間にか自分の中で作っていました。
でも、すべてを完璧にやろうとするのをやめてみると、意外なことに気づきました。
飾りを減らしても、料理を簡単にしても、手作りをやめても、子どもはそれほど気にしていなかったのです。
写真だけにした行事もありました。
正直、少し後ろめたさはありましたが、後から写真を見返した子どもは、ただ嬉しそうに笑っていました。
行事の大きさより、親が余裕を持ってそばにいることのほうが大事だった。
そう気づいたとき、肩の力が少し抜けた気がしました。
「察してほしい」をやめてみる
もうひとつ、意識してやめたことがあります。
それは、「察してほしい」と思うのをやめることでした。
期待しているのに、何も言わない。
分かってほしいのに、伝えない。
その状態が、いちばん自分を苦しめていたのだと思います。
「手伝おうか?」と聞かれても、
「何をすればいいか分からない」
そんな気持ちで曖昧にしてしまっていました。
そこで、勇気を出して、具体的に言うようにしました。
「買い出しをお願いしたい」
「当日の流れを一緒に確認してほしい」
それだけで、少しずつ空気が変わっていきました。
全部を理解してもらえたわけではありません。
でも、言葉にしたことで、一人で抱え込まなくていい場面が増えたのは確かです。
察してもらえなかった苦しさは、伝えていなかった自分にも原因があった。
そう認められたことで、行事に対する気持ちが、少しずつ軽くなっていきました。
行事を「一人で抱えない」ためにできたこと
役割を決めるより、気持ちを共有する
最初にやったのは、分担表を作ることでも、具体的な作業を割り振ることでもありませんでした。
それより先に、「どこがつらいか」「何がしんどかったか」を、そのまま話すことにしました。
行事の準備が始まると、気持ちが重くなること。
全部を自分で判断しなきゃいけない感じが苦しかったこと。
楽しめない自分を責めていたこと。
うまく言葉にできない部分もありましたが、思いつくままに伝えました。
すると夫は、「そんなふうに感じてたんだ」と、静かに聞いてくれました。
その反応を見て、初めて分かりました。
作業を分ける前に、気持ちを分け合うことができていなかったのだと。
どこまでやれるか、何が負担か。
それを共有してから話し合うと、「じゃあここは俺がやるよ」という言葉も、以前より自然に出てくるようになりました。
完璧な分担ではありません。
それでも、「一人で抱えなくていい」と思えるだけで、行事に向かう気持ちはずいぶん違いました。
行事を減らす選択も正解だった
もうひとつ、大きく変えたことがあります。
それは、「すべての行事を全力でやらなくてもいい」と、自分に許可を出したことです。
世の中には、季節ごとにたくさんの行事があります。
全部を丁寧にやろうとすれば、時間も体力も、気持ちも足りなくなるのは当たり前でした。
そこで、やらない行事、簡単に済ませる行事を決めました。
「今年はこれは省こう」
「これは写真だけにしよう」
そうやって選んでいくと、心に少しずつ余白が生まれていきました。
行事を減らしたからといって、子どもとの関係が薄くなることはありませんでした。
むしろ、親が余裕を持って関われる時間が増えた気がします。
今は、子どもにとって一番大切なのは、
立派な行事よりも、親が笑ってそばにいることなのだと思っています。
行事を抱え込まない選択は、逃げではありません。
家庭を守るための、ひとつの前向きな判断だったのだと、今ははっきり言えます。
同じように悩んでいる人へ伝えたいこと
つらいと感じるあなたは、ちゃんと頑張っている
行事がつらいと感じるのは、手を抜いているからでも、要領が悪いからでもありません。
むしろ、それだけ一つひとつを大切に考え、真剣に向き合ってきた証拠だと思います。
誰にも見えないところで調べて、考えて、迷って。
子どもが喜ぶかどうかを想像しながら、準備を重ねてきた。
その積み重ねがあるからこそ、疲れてしまうのです。
それなのに、
「みんなやっていることなのに」
「これくらいで弱音を吐くなんて」
そうやって、自分を責めてしまう人は少なくありません。
でも、つらいと感じている時点で、あなたはもう十分に頑張っています。
その気持ちを否定せず、「しんどかったんだね」と、自分に声をかけてあげてほしいと思います。
完璧な行事より、穏やかな家庭
行事は、本来、家庭を明るくするためのものです。
思い出を作り、成長を感じ、家族で笑うための時間。
もしその行事が、誰か一人を追い詰めてしまっているなら、
形を変えたり、規模を小さくしたりしていいのだと思います。
完璧な飾り付けや、手の込んだ準備がなくても、
子どもにとって大切な記憶は、「一緒に過ごした時間」や「親の表情」だったりします。
家庭が穏やかであること以上に、大切な行事はありません。
無理をして続けるより、今の暮らしに合った形を選ぶことも、立派な判断です。
行事をどうするか悩んでいるあなたは、
家族のことをちゃんと考えている人です。
だからこそ、どうか、自分の心も大切にしてください。
まとめ|行事準備がつらいときは「立ち止まる」ことから始めて
行事準備がワンオペでつらいと感じたとき、無理に頑張り続けなくて大丈夫です。
「私がやらなきゃ」「ちゃんとしなきゃ」と思うほど、心と体は知らないうちに疲れていきます。
でも、立ち止まって考えることは、決して後ろ向きな選択ではありません。
「どうしたら少し楽になるだろう」
「今のわが家に合っている形は何だろう」
そうやって考える時間も、家族を大切にしているからこそ生まれる、立派な行事の一部だと思います。
すべてを一気に変えなくてもいい。
行事を減らすかどうか、誰かに頼むかどうか、答えがすぐに出なくても構いません。
まずは、「自分は今、しんどいんだな」と気づいてあげることが、最初の一歩です。
気持ちに気づくだけで、見える景色は少し変わります。
無理をしていたこと、抱え込みすぎていたこと、頼ってよかったかもしれないこと。
そこから、少しずつ、あなたの家庭なりの行事の形が見えてくるはずです。
行事は、家庭を苦しめるためのものではありません。
家族が穏やかに過ごすためのものです。
どうか、あなた自身の心も、その大切な一部として扱ってあげてください。














